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兄頼春の略歴(康晴氏のこと)有馬頼義有馬頼春。明治四十年二月四日東京生まれ。生来病弱、小児喘息で、学習院初等科−暁星中学−東京外語(イタリー語)に学び、 横浜正金銀行に半年ほど勤めましたが、昭和元年大発作を起こして以来ずっと病床にありました。 いつ頃から詰将棋を始めたのか、私には確かな記憶はありませんが、昭和十一年頃から東京を捨てて熱海市桃山にあった別荘に引きこもり 一生を送りました。塚田前名人と親交のあったのも、その頃だと思われます。 昭和十八年頃から喘息のほかに肺を冒され、終戦期の栄養失調も手伝って喉頭結核となり声が出なくなりました。 亡くなったのは昭和二十年六月二十四日です。墓は東京都港区広尾町の祥雲寺にあります。 遺品として詰将棋の関係のものは何も残っていませんでしたが、愛用していた将棋盤だけ現在私の手許にあります。 兄に関することは、私の「山河ありき」という小説のなかに詳しく書いてあります。一口に云えば不幸な人でした。 |