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松本朋雅病間八十日で詰将棋百番を作って時の人を驚かし、明治三十七年(1904)には日露戦争記念詰将棋十七番を作った。共に明治三十七年から四十年にかけて東京の『二六新聞』に連載された。 詰将棋百番の方は新聞連載後『將棋萬象』として単行本で発刊される予定であったらしいが、なぜか明治三十八年に第一番から第三十番までを収めた「上巻」が発行されたにとどまった。 これには松本61歳の写真と十二代大橋宗金の序が載っている。松本竹朗(前名竹次郎、書家の松本薫斎の子で、大矢東吉、小野五平と十二世名人位を争った)と兄弟説があるが判然しない。 |