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発刊の辞ご存知の方も多いでしょうが、柳田さんには永年将棋ジャーナルの詰将棋欄を担当して頂いておりまして、その明朗で誠実な人柄、明晰な文章には日頃から敬服しておりました。 が、ひとつだけ私の怠け癖で作品を吟味したことがなかったのです。今回、必要に迫られて取り組んでみて、いやその感触の斬新にして巧緻なること、まことに以って堪能した次第でした。 初中級の方には棋力向上のために、また上級者にはトレーニング用に本書を愛して頂けましたならこれに過ぐる喜びはありません。 昭和63年1月 鰹ォ棋ジャーナル社社長 関 則可 序 文 吉田 健何とか帆布、とメーカー名の目立つ角張ったルックザックを背負って、やあ、お待たせしました、と現れる。中には小さなテープレコーダーと、やはり小型のカメラが入っているはずである。宇佐見正さん、若島正さんも顔を揃えて、やがて「将棋ジャーナル」誌の「詰将棋ジャーナル賞」選考座談会が始まるわけである。 「申棋会」の二大音声、とかいう評判があるそうだが、繊細な神経には似つかわしくない、力強い語調で司会が進められる。作品評に熱がこもる。当方にも気分がが乗り移って、いつの間にか多弁になる。当然、録音テープの量は多くなる。 その座談会記事を、最初に誌上で見た時はびっくりした。細かい活字がギッシリ何頁も組まれている。あれを全部起したのか、と少しコワくなった。だが、これで「ジャーナル賞」に特色が出た。 選題についての眼識や、解説における見識は云わずもがなだから、ジャーナル誌は詰将棋担当者に適材を得ていると云うベきであろう。 その柳田明さんの作品集が、関則可さんの新企画として、ポケット版で上梓されると聞いて、柳田さんの手腕が、今度は本作りにどう発揮されるかが楽しみであった。 短編詰将棋は「手筋物」と「構成物」とに大別できるが、何でもこなす柳田さんの本領は、敢えて云えば「構成物」にあるように思われる。手順の流れよりはがっちりした組立てがその生命である。ここで19手詰以下に限って選ばれている百局の作品の中でも、13手詰以上が大勢を占めるのは、その作風に所以するものであろう。 この骨のある力作揃いの印象を和らげるために、作者はアプリ出し曲詰を副え鈴木芳広さんのカットを入れた。更に、何よりも文章を書くことに力を込めた。 思いっ切り書きまくりました、ということだが、とにかく全巻を通して、一種親密な雰囲気が漂うのが楽しい。詰めて下さい、読んで貰いたい、という作者の気持が滲みている。ともすれば独りよがりに陥りがちの詰将棋マニアの個人作品集として、これはむしろ珍重すべき要素と云わねばなるまい。指すほうの読者にも、きっとアピールするのではなかろうか。 昭和62年12月 あとがき短編集を出しておいて変な事を言うようだが、私は短編作家ではない。長くても19手ぐらいまでという注文があって、大半を占めていた中長編を削って大慌てで短編をかき集めた。だから類作くさいのがあってもお許し下さい。いずれは中長編もまとめる予定だが、早く見たい方は編集部ヘリクエストを送って下さい。(感想もよろしく) タイトル『奇想曲』は勿論チャイコフスキーのイタリア奇想曲のイメージ。軽快さあり、重々しさあり、そして喜怒哀楽あり。色々なものが飛び出してくる本書にピッタリではないだろうか。カバーデザインもイメージ通りのものを鈴木芳広氏が作って下さった。 本書発行に際し、ジャーナル賞でいつもお世話になっている方々に最強のバックアップをいただいた。校閲の宇佐見正氏、序文の吉田健氏、検討の若島正氏。その他にも原案作成では飯尾晃氏。多くの助言をいただいた編集部の鈴木芳広氏。発行の機会を与えて下さった関則可氏。そして本書に登場していただいた全ての方々へ、心より御礼を申し上げます。 昭和63年1月 著者記す |