玉久羅篇 浅川蘭旭
第
1番―第10番
第11番―第20番
第21番―第29番
玉久羅篇
『玉久羅篇』(ぎょくくらべ)は山梨県立の甲州文庫に収蔵されている古書で、弘化4年(1847)浅川蘭旭が刊行した。
福田稔氏が発見され、「詰棋めいと」の創刊号(昭和59年6月15日発行)に発表された。
浅川蘭旭
弘化4年(一八四七)、当時甲斐国甲府住の六代伊藤宗看門の高弟・七段内藤竜輔(後の和田印哲、号は蘭風)の弟子の一人であっ た西井出村中村の浅川孫右衛門が、師の蘭風の推挙で将棊初段を与えられたのを記念して詰将棋集『玉くらべ』を刊行した。
孫右衛門は鍛治屋を営み、かなりの財産を一代で築いたといわれる。
法名は″将道院棊豊日勇″・行年七十五歳。法名に″将棊″の文字が付けられていることを見てもよほどの愛棋家であったといえる。
『玉くらべ』を刊行したときは五十一歳であった。墓は現在、山梨県北巨摩郡大泉村西井出地区寺所の日蓮宗上行寺にある。
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