待宵

待宵   渡瀬莊治郎

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待宵序

よの中(なか)棊道にまち(ぢ)る人大(おお)かたは駒のみちをしるの みにして山口の道をたか(が)へしらさ(ざ)るものの多かむめり我このみ ちをたと(ど)る事ひさしくまと(ど)ひぬることのくるしき跡こむひとの 道安(やす)かれと師渡瀬大人(うし)に詰物五拾番をこひて名を待宵と名 つ(づ)け初(うい)まなひ(び)らのために桜の板に書つくる也けりこの みちに入らんとおもふ人は待宵のひまにた(だ)に打なか(が)め心をはな さねは(ば)山のはにいつ(づ)る月の宵にのほ(ぼ)るは目の前にこそかくいふは

慶応二年秋八月 山本正晴

巻頭番外

渡瀬莊治郎

 天野宗歩の弟子で六段。三重の人で、天野の四天王の一人。生年没年共に不詳であるが、没年は明治 末期と思われる。今日まで名の残る有名人であるが、渡世人のかけ将棋指しで、晩年は妻女を連れて旅を しながら、将棋を指していたという。
 彼の著作には、慶応二年刊、詰将棋51番『待宵』および明治二年の詰将棋50番『待宵後集』があるが、内容 は初心者啓蒙用の作品で、歴史的価値は少ない。彼の著作で最も有名な『将棋必勝法』は、詰将棋35題、 必至36題からなる本で、彼の没後木見金治郎が解説して大正四年に発行されたものである。本書は詰将 棋よりも必至が高く評価されている。『必勝法』の実の作者は渡瀬でなく、天野宗歩らしく、同書の序 文の中で、十二世名人小野五平は「これは渡瀬氏の作となっておりますが、その実は天野宗歩氏の作であるということを私は承知していたのです。」と述 べているが、今日ではそれ以上の詮索は困難である。

実戦集




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