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奥薗幸雄17歳でデビューした時から桁はずれの大才を認められ、『近代将棋』『詰将棋パラダイス』等に数十題の作品を発表したが、ほとんどの作品は不完全作であった。死ぬ直前に発表した「新扇詰」873手詰は彼の最傑作であり、古今の還元玉最長手数の神局である。彼は孤独な性格だったらしく、住所すら滅多に発表しなかったので、ほとんど私生活のことは判らない。恐らく「新扇詰」の創作に尨大なエネルギーを消費し尽くしたことが死を早めたものであろう。 「新扇詰」誕生まで昭和27年、詰将棋パラダイス誌では、611手詰越え作品と煙詰(当時は煙詰も神格的な存在だった。)の新作を懸賞募集しましたが、近代将棋昭和28年新年号に発表されたのが「扇詰」715手です。 同作は詰将棋パラダイスに応募するために作られたものと思われますが、詰将棋パラダイス廃刊のため近代将棋に発表されたのでしょう。 「扇詰」の名は読者から募集した命名で、玉の軌跡を扇に見立てたものです。 「扇詰」は詰棋界の話題をさらいましたが、無念早詰でした。 その2年後雪辱のホームランをとばしたのが、『新扇詰』です。 |