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初代大橋宗桂


初代将棋名人。幼名龍政。弘治元年(1555年)京都に生まれ、寛永十一年(1634年)3月9日に80歳で没した。法名は玉淨印宗桂日龍。 墓は京都・深草の霊光寺にあり、駒型墓碑として知られ、墓碑の裏面には「桂馬」の二字が刻まれている。 碁の本因坊算砂と共に信長、秀吉、家康に仕えた。家康は碁将棋を愛好し、碁将棋所の制を設けて碁将棋衆に禄を与えた。最初、碁と将棋は一本で、本因坊算砂が司であったが、後に将棋は独立して、宗桂が初代将棋所となった。
宗桂は将棋所任命に応えて慶長七年(1602年)12月7日に詰将棋五十番『象戯造物』を山科言経(ときつね)を通じて後陽成天皇に献上した。これが現存する最古の詰将棋であり、 最古の棋書である。これは元和二年(1616年)に八十番に増補して『象戯馬法并作物』として再刊され、宗桂の没後元禄十六年(1703年)にはさらに百番に増補した『術知象戯力草宗桂指南抄』が出版された。
慶長版『象戯作物』は宗桂の跋の付いた美濃大版本と、序文も跋もない美濃中版本がある。前者は所在不明、後者は古棋書収集家西村英二氏の蔵書中にある。初代宗桂図式には前記の他、元禄五年(1692年)版『根元宗桂象戯秘伝鈔』、同年『根元宗桂象棋秘伝』、寛永八年(1631)『将棋経』(以上は八十番本)、天明九年(1789年)版『術知象戯力草』(百番本)等の版が知られている。

実戦集


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詰将棋博物館