
平安の昔、貴人が遊猟し、荘園が営まれた肥沃な地、日根野。
![]() 泉佐野市 犬鳴山 端瀧門 |
泉佐野市は大阪府の南部、大阪市の南西30キロ余、和泉の国の中央よりやや南西寄りに位置しています。背後に和泉山脈、前面に静かな内海をひかえたこの地は九州、瀬戸内沿岸の西国と畿内を結ぶ交通の要路として古代から開け、「茅淳の国(ちぬのくに)」と称されて独自の生活圏を構成してきました。とりわけ当蔵の所在します日根野あたりは肥沃な土壌と自然の湧水にめぐまれ、奈良時代にはすでに村落が形成された豊かな農耕の地でした。時代を経て平安時代に入ると桓武天皇の日根野を中心とした行幸や遊猟が度々行われるなど、開発が進むとともにその重要性を増し、稲作技術が飛躍的に向上する9世紀末〜10世紀にかけては荘園が営まれるようになります。日根野においても当時の土豪日根野氏によって「日根(野)荘」が営まれ、日根野の地名はここから由来しています。 |
和泉山系の清水、豊かな土壌。泉佐野の酒造りは江戸時代から。
![]() 泉佐野市 犬鳴山 塔の滝 |
和泉はかつて「出づ水(いづみ)」といわれたように、和泉山系を源とする湧水にめぐまれた地です。肥沃な土壌とこの清らかな湧水が、「日根荘」を中心とする和泉の稲作を育んだのですが、その歴史と伝統は近世にまで受け継がれ、江戸時代から明治、大正の頃まで、日根野村は良質の米を産出する米どころとして知られていました。「良い水と良い米」が揃えば、当然のように醸造が盛んになります。ことに江戸時代、和泉は酒造・酢造がかなり発展していたようで、当時の文献には酒造家として佐野村熊取屋重右衛門(安政二年)、日根野村惣右衛門(寛政二年清酒屋惣代)などの名が見い出され、日根野村には酢屋中右衛門、糀屋権右衛門などがいたことも記されています。荘園が営まれた豊かな農耕の地、日根野は佐野の港から菱垣廻船によって江戸まで運ばれた酒・酢を産出する醸造の技にもたけた地だったのです。 |
辛口にしてふくよかな味わい。「佳い酒を少しずつ」の丹念な酒造り。
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こうした日根野の酒造りの歴史と伝統を受け継ごうと、当蔵は大正10年現在の地に創醸いたしました。誇るような長い歴史や伝統もなく、まだまだ若い蔵ではございますが、吟醸酒に関しては約40年前から少量ずつですが造り続けてきました。吟醸酒というものがまだ「幻の酒」であった頃から、試行錯誤しながら蓄積した技術は、すべて『荘の郷』銘柄の酒に生かされています。「量より質」の酒造りをさらに本格化するため、平成八年には蔵も一新し、手間暇を惜しむことなく、純米酒や吟醸酒などの特定名称酒を中心とした高品質の酒造りを行っています。私達がめざすものは、淡麗に流れず、辛口に過ぎない日本酒本来の旨味です。良質の酒米を高精白し、南部流の「軽ろ味」の技で醸し上げた奥行きの深い味わい、キレが良くしかもふくよかな旨さをお楽しみ下さい。 |