今ようやくビリー・ホリデイについて語る
これもどうも文章にしにくいアーティスト。はっきり言って評論という体裁から遠いのですが、とりあえず今の次点で書けることを書いたという感じです。とりあえずは、読んでみてください。
ここしばらく聞いていなかったビリー・ホリデイを昨日から改めて聞き直している。残念ながら特に愛聴しているデッカのコンプリート盤とかの有名な「奇妙な果実」が収められているコモドアのコンプリート盤を友人に貸しているので、聞くのはもっぱらコロンビアのクイントエッセンシャル・シリーズである。
ところで「女性アーティストについて語る」でも触れたけれど、このビリー・ホリデイについてもまとまった文章を書くのは難しい。この原稿用紙にしておそらく数枚程度になるはずの文章でも最後をどうまとめようかと思いあぐねているくらいだ。でもとりあえずは、書き進めてみよう。
ビリー・ホリデイ。このジャズ史に残るボーカリストの名を強烈な印象をもって頭に刻み付けることとなったのは、ピーター・バラカンがやっていたラジオ番組であった。かの「奇妙な果実(strenge fruits)」にまつわるエピソードである。それは白人によって虐待され、木につるされた黒人の姿を表したものであるという。そしてその時バラカン氏は実は今もこのようなことがまかり通っているということを付け加えていた。この言葉はパンタが歌った「クリスタル・ナハト」という言葉と共にその後何年か、僕の頭のほんの一部分だけれども、しかし確実な強度を持って住み着いていた。
しかし実際に彼女の歌声に触れるようになったのは、ロックへの興味のほとぼりもようやく一段落を得た(?)大学5回の頃だった。最初に買ったのは、50年以降のかなり元気が無くなった頃のもの。それでもそれなりに楽しめた。それよりもその2枚から1ヶ月程後に買ったデッカのコンプリート盤がすごかった。かなりディープな内容なのでCDプレイヤーのターンテーブルに載せるのにちょっとした決心というか心構えのようなものがいるが、一端その世界に身を委ねるとそのまま一挙に聞きとおせてしまう。
ところでこのデッカのコンプリート盤とコモドアのコンプリート盤には同じ曲の別ヴァージョンというのがかなりの数を占めているのだが、それぞれ一長一短はありながらも、それぞれに何とも言えない味わいがありどれも捨て難い魅力がある。これは彼女がいかに希有な才能を持ったボーカリストであるか、いや何より彼女がいかにいつ何時でも一切の妥協無しで歌に向かったかということの揺るぎ無い証左である。
特にコモドア盤に4ヴァージョン収められた「恋人よ我に帰れ」はどのヴァージョンもそれぞれの持ち味があり、甲乙つけがたい。この曲ステージでもよくやっていたようで、それらも一度は耳にする価値があると言っても過言ではない。そしてこのコモドア盤に収められた曲で数少ない別ヴァージョンが収録されていない曲の一つ「明るい表通りで」。あれだけの名声と評価を得ながら、しかし幾多の差別と迫害に苛まれ続け、結局人生の表通りを歩くことのなかった彼女が歌うこの「明るい表通りで」が出色の出来を見せているというのは、なんという皮肉なことだろう。僕はこの2枚組みのCDを手に入れてしばらくは、2枚目の最後から2番目に入っているこの曲を聞くために、わざわざ1枚目の最初からこの曲を心待ちにしながら律義にずっと曲を飛ばすこともなく聞いていた。そうしないと何か後ろめたい、ビリー・ホリデイに対して不徳を犯すような感じがしたのだ。
ところで近日になって黒人女性の悲惨を身をもって生きたと言われるその伝記的事実に疑いの視線が注がれるようになった彼女の生涯だが、しかし細かい部分で多少の食い違いはあったにしてもその大筋においては、そんなに大きな違いは無いと僕は思っている。でも彼女について語る場合その悲惨な部分にばかりに焦点が当てられるきらいがあるのもまた否定しがたい事実ではある。前述の「奇妙な果実」にしても、彼女の辛酸をなめ続けてきた経歴を考慮に入れるか否かでこの曲から受ける印象も変わってくるだろう。
また寺島靖国氏のように、ビリー・ホリデイを自分がなめてきた辛酸を歌で発散させられるのは、たまらないという人もいる。このあたりは判断が難しいな。でもこの寺島氏の意見には正直言って承服しかねる。確かに彼女の歌に独特の悲哀を込めたものが多いのは認める。が、彼女が歌うアップ・テンポの曲にも独自の魅力があることも認めねばならないだろう。そして何より彼女の歌には彼女のなめてきた辛酸をさらに昇華させた他では得難い普遍的な輝きがあるのは、否定できない事実である。ただ寺島氏自身もこのあたりは、ちゃんと認めているようではあるけれども。
そしてその普遍性の一端は、最早言い古されたような手垢にまみれたとさえ言える言葉に独特の光を与えることで実証されている。「貴方は愛するために生まれた」、「貴方が恋に落ちたときに人生は始まる」、「貴方が微笑めば、世界も微笑む」……こうやって文字にすると本当に赤面してしまいそうな、そしてその分あまり説得力を持ちそうにない言葉も彼女の歌声を通して聞くと、思わずうなずかずにはおれない説得力を感じてしまう。今このような説得力を持つシンガーがどれだけいるだろうか?とりあえず日本でこれだけの説得力を持つヴォーカリストとして頭に浮かぶのは忌野清志郎、次点にくるのが小島麻由美くらいである。
ここまで書いてきてどうやって話にオチをつけようか思いあぐねている。これでは、まるっきり「女性アーティストについて語る」の二の舞である。しかし良いものは良いととりあえずは主張しておかねばならない。そこで語られた内容の厳密性に多少の問題はあっても彼女の自伝『奇妙な果実』を読むと余計に彼女の歌にリアリティを感じることができる。
もしこの文章を読んで彼女の音楽に興味を抱いた人がいたら、まずはデッカのコンプリート盤とコモドアのコンプリート盤を手に入れることをお勧めする。それで気に入ったら、クイントエッセンシャル・シリーズ、そして後期のヴァーブ時代のものに手を染めていけばいいだろう。彼女の魂の叫びに是非とも一度は触れてみてください。