─ブルースについて─

度と無く言われていることだが、ストーンズやビートルズを通じてロックにのめり込んだ人がそのルーツを溯ろうとしてブルースに行き着きその道にどっぷり漬かってしまうというのは、よくあるパターンである。特に60年代の後半から、70年代の半ばあたりが10代と重なるという人に多いと言われる。しかし、僕のような世代の人間にとっても音楽の入り方と、自ら取捨選択した情報源によって、ロックファン≒ブルースファン的な図式が頭の中に根付いてしまい、何がなんでもブルースがわからなければお話しにならない、という強迫観念にかられてしまうのである。しかもこういうロックファンというのは何かというと要するにたいていはギター少年もしくはバンド志望の輩なのである。かくいう僕もビートルズを聞いて洋楽に目覚め(ロックに関して言えば、その前にツイストとかサザンとか甲斐バンドとかも少し聞いてましたからね)自分でもギターをひいてバンドをやりたいと思ったくちで、そうするとストーンズやツエッぺリンを聞かねばならない、そしてクラプトン、ベック、リッチーからブルースに行かねばならないと思い込んでいた。要するに形から入る奴だったわけである。初めて買ったブルースのレコードはB.B.キングであった。これが高校一年のとき。こういうのが渋いんだろうな、と思いながらも、やはり無理していたのは否めなかった。次に買ったのがロバート・ジョンソン。これはショックだった。言うまでもなくクラプトンが彼のファンだったというので買ったのだが、やたら古い録音でアコースティックの弾き語り。いくら渋くてもこりゃないよと最初思った。さすがに良さが分かるまでかなりかかった。ギター一本で無茶苦茶複雑なこと(要するに親指でリズムを刻みながら他の指でメロディをひくという奏法)をやっているということに気づいたのは、確かレコードを買って2年後くらいだったと思う。確かに落ち込んだときに聞くロバート・ジョンソンは他に類を見ない強力な力があった。そういえば、浪人時代ヘッドホン・カセットでこれを聞きながら予備校で昼ご飯を食べていた、という記憶がある。当然友達がいなかった。大学1、2回の頃やたらだだっ広いだけの田辺キャンパスでもウオ―クマンでこれを聞いていた。言うまでもなく友達がいなかった。考えてみればここ数年ばかりまったくロバート・ジョンソンを聞いていない。おそらくあの頃よりは幸福になったのだろう。
男根主義の音楽
休題。ロバート・ジョンソンはともかくとして大学に入ってかなり自由にレコードを買えるようになって、ある種の勉強のためにブルースのレコードを何十枚か買った。一番買ったのはジョン・リ―・フッカーだった。これはかなりロックの感覚に近いのりであまりブルース特有の鬱陶しいノリがなくて良かった。しかし、結局ブルースにのめり込むことはなかった。これは僕の持論なのだけれど、おそらくブルースというのはかなり男根主義的要素が高い音楽なのだと思う。だから僕のような男性原理が希薄な人にはのめり込めないのだ。それから日本人のブルース・バンドというのが、これまた総じて面白くない。上手いのは皆総じて上手いのだが、ただそれだけ。あれはカラオケで演歌を歌っているおやじが所詮内輪だけでしか受けていないのと同じノリではないか、と思う。カラオケで思い出したが、少々話が脱線するのを承知で是非とも書いておきたいことがある。あの「夜もヒッパレ」というバカ番組である。あんなタレントの余興以外の何物でもないものを公共の電波に乗せてしまうという無神経さは極刑に値する。あそこでどんな大歌手が歌っているのを見ても、どうしても面白いと思えないというのは、何やら薄ら寒いものさえ感じさせる。いまだに番組が打ち切りにならないのは、あんなものを見ている人間が僕が思っている以上にいるということなのだろうか。全く腹立たしい。話を元に戻そう。ブルース・バンドの話である。どいつもこいつも馬鹿の一つ覚えみたく「Sweet Home Chicago」とか「Rolling Stone」だとかをこれ見よがしに演奏する数多のブルース・バンドというのは、どんなに演奏がすぐれていようが、少なくとも僕の心を打たない。その点やはり憂歌団は偉い、と思う。あまり聞いたことがないから大したことは言えないが、彼らは自分が何者で何をやるべきかをちゃんと心得ていると思う。どんなに完璧に黒人のブルースをコーしようとしたって限界があるに決まっているし、たとえコピーできたところで、それは所詮コピーの域を越えることは絶対にありえないのだ。それを人に見せるということが、どういう意味を持つのかということに無自覚な人間が多いのではないか、という気がするのだ。やたら偉そうになってしまったが。
構築美の魅力
ルースにのめり込めない、というところから関連してさらに付け加えると、どうも僕はどちらかというと、ヨーロッパ志向が強い人間ではないか、という気が最近してきている。言ってみれば黒人より白人、アメリカ人よりイギリス人という感じである。ストーンズと同じくブルースやリズム・アンド・ブルースをルーツに持ちながら、自分達が生まれ育ったイギリスはロンドンの郊外に思いを馳せ続けたキンクスや、バッハ等のクラシックからの影響をいわゆるプログレなどとは違った形で消化し、自分達の音楽をいわば構築していたフー等をストーンズよりも好むところに、その傾向の一端が表れているように思う。ヨーロッパ的なものを僕なりに定義すると、それは構築美ということになるだろうか。ザッパの音楽も構築美の魅力を呈しているものが結構あるから好きになったのだろう、今にして思えば。そうすると黒人の共同体の中での音楽であったブルースよりも、かなり早い時期から白人のビジネスと背中合わせだったジャズのほうが好きになるのもうなずける。そういえばある時期のマイルスも構築美を追求したところがある。特に『Bitches Brew』何かはその典型ではないだろうか。というより彼は最初からそういう傾向があったうような気もするけれど。ジャズについて話が及んだところで、ビリー・ホリデイについても言及したいのだけれど、これについてはまた今度。
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