シリーズ第2回思い出のアルバム

 

T.レックス 『T.レックス』の巻

 


最初は、ティラノザウルス・レックスを取り上げようと思ったのだが、何故か気が変わって、こちらを取り上げることにした。やはりこちらのほうがロックを聞き始めてまだ間も無い頃によく聞いていたということで、感情移入がしやすいということだろう。

T.レックスおよびマーク・ボランを知ったのは中3のとき。宝井金鶴とかいう講談師がやっていた「ロック講談」というNHK−FMの年末の特別番組で彼らが取り上げられたからだ。ちなみにその前の時の年末には、同じ企画でジャニス・ジョップリン、ジミ・ヘン、ドアーズが取り上げられ、僕のロックに対する興味を掻き立てるのに一役買った。その番組で流れた曲が何だったか全然思い出せないが、不思議なヴォーカル・スタイルと独特のギター・リフが印象に残ったような気がする。それからその頃買った『プレイヤー』(ちなみにこの雑誌もロックを聞き始めた時期の僕に対する影響力大であった)の楽器講座で「ロックン・ロール・ギター」を担当していた布袋寅泰が連載第一回目で自分が影響を受けたギタリストとして他ならぬマーク・ボランを挙げていたのも彼らに対する興味を掻き立てた。グラム・ロックというものを知ったのもこの頃である。それから布袋がその中でパンクはグラムの再来だと思うというようなことを書いていたのが、妙に印象に残った。Boφwyが大ブレイクするはるか昔のことである。

その頃パンクにも興味を持ってはいたが、その当時パンクはかなりヤンキー文化との接点を有していたので、何となし距離を置かざるを得なかった。というわけで僕はパンクに影響を与えたであろう人達に興味を持ち、彼らに対する知識を深めようとしていたのである。いささか寄り道が長すぎたが、T.レックスに対する興味もそうした傾向の一環であった。

聞く者を虜にする声
実際に彼らのレコードを手にするのは、高校に入る直前でローリング・ストーンズの『ガット・ライブ・イフ・ユー・ウォント・イット!』(これも大好きなアルバムだ)と一緒に買った。誰もが最初そう思うのだろうけれども、最初聞いた印象は「不思議なというか変てこな音楽だなあ」というものだった。基本的にマークのギターとヴォーカル、それにミッキー・フインのパーカッションという編成で、どちらかというと軽めというかいささか地味な音にさえ聞こえた。ジャケットに写る二人もまた地味なものでグラムというイメージからは程遠い。でも何となし惹かれるものを感じていたのも事実で、買ってしばらくは毎日のように聞いていた。そのうちマークのヴォーカル・スタイルの特異性に改めて気づくようになった。あの独特なビブラートのかかった中性的な声は、聞く者をだんだんと虜にしていく効力を持つらしい。そしてアルバム全体に漂うある種呪術的な雰囲気もまたこのアルバムの特異性の一端をになっていると思う。何せこのアルバムのクライマックスに位置する曲の題名はそのまま「ウィラード」。そしてこの曲の後半は殆どマークのスキャットで占められている。思えばこのアルバムがその後の僕の音楽に対する嗜好性に与えた影響は密かに大きい。僕の中でこの「変てこな音楽」の系譜は、前回取り上げたフーの『セル・アウト』やピンク・フロイドの『夜明けの口笛吹き』、初期のザッパ、テレヴィジョンなどへと大小様々な線でしっかりと繋がっているのだ。たとえ直接に繋がらなくても、このアルバムによってエキセントリックな音楽に対する寛容さがかなり培われたのではないかと思う。

アルバムのプロローグである「チルドレン・オブ・ラーン」で幕を開け、変てこなリズムを叩き出すパーカッションを伴って「ジュエル」の演奏が始まる。曲調は結構ハードなのだが、曲の合間のマークのスキャットが、そのハードさを妙に緩和させる。T.レックスというグループの始まりを告げるものとしてあまりに出来過ぎた幕開けだと思う。単なる言葉遊びか、冗談か本気か分からないような歌詞も魅力的だった。そういえば、マーク・ボランの人生そのものが、よくできた冗談だと言えなくもない。その頃ビデオ録画したT.レックスのヒット・メドレーのプロモーション・フィルムを見ていると、実はマーク・ボランなんて人間は、そもそも最初から存在してなかったのではないか、と思わせる程あからさまな虚像性に満ちていた。それはともかくとしてこのアルバムでのフェイバリット・ソングは、「ダイアモンドの牧場」と「サマー・ディープ」。前者はトニー・ヴィスコンティのストリングスを使ったアレンジが秀逸。曲そのものもとても良い。後者はタイトルをあえて日本語に訳すとしたらやはり「夏の深み」とでもなるのだろうか?日本語にすると違う意味で意味深なニュアンスを帯びるような気もするが、題名に負けず劣らず不思議な感触を与える曲。イントロ無しで入るマークのヴォーカルが非常に印象的である。

ティラノからT.レックスへ
『T.レックス』の次に買った彼らのアルバムは『スライダー』と共に名盤とされる『電気の武者』。しかし僕には物足りなかった(でも近田春夫氏によるライナー・ノーツはとても面白かった)。確かに「ゲット・イット・オン」や「ジープ・スター」は、格好良かった。でもその格好良さは、ツェッペリンやパープルが格好良いというのと、そんなに変わらなかった。その格好良さは、僕がT.レックスに求めるものとは、違っていた。僕が『T.レックス』というアルバムに感じた魅力が、そのアルバムでは半減したように思われてしょうがなかった。何よりヴォーカルのあの独特のビブラートがあまり聞こえなくなって、どこか大味な感じがした。これはドアーズのジム・モリスンのヴォーカルの魅力が3枚目以降だんだんと薄れていったのにも似ている。その後NHK−FMの『軽音楽をあなたに』でのT.レックスの特集を聞いたときに、ほんの一、二曲だけ流れたティラノザウルス・レックスに僕が求めていたマーク・ボランがあったことを発見して、何かが腑に落ちたような気が少しだけした。それからさらに後大学に入ってティラノの『ユニコーン』と『ベアード・オブ・スターズ』がカップリングになったCDを買い求め聞き狂うことになる。

松村雄策氏が言っていたことだが、マーク・ボランが本当にやりたかったことは、ティラノザウルス・レックス時代にやっていた音楽だというのは、よくわかるような気がする。だからと言ってT.レックスになってからの音楽が惰性の産物かというと、それはまた話が違う。確かに彼がティラノからT.レックスへと変貌を遂げるとき、何か捨て去ったものがあったのには、違いない。それは恐らくビートルズがブライアン・エプスタインの指示で襟無しスーツで、ワン・ステージを30分強に押さえる時に捨て去った物に似ているのかもしれない。両者ともその選択が結果的には、正しかったのだ。だってそもそもT.レックスが有名にならなければ、僕たちはティラノの存在すら知ることができなかったのかもしれないのだから。でも捨て去った物がどうしても愛しく思えるのも、世の常である。ティラノからT.レックスへ。ティラノの音の感触を留めながらも、よりビート色を強めていく微妙な瞬間を捉えたこの『T.レックス』というアルバムは、誰にも真似できない不思議な光をこれからも放ち続けていくことと思う。

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