思い出のアルバム第3回
フリー『フリー・ライブ』
『レコード・コレクターズ』に掲載された投稿でも述べたけど、僕にとって「最高」のハード・ロック・バンドはレッド・ツェッペリン。でも「最愛」のロック・バンドはフリーである。「最高」と「最愛」との違い、これを言葉で表現するのは、ちょっと難しい。しかし多少なりとも音楽を聞き込んできた人だったらこのニュアンスを理解してくれることと思う。要するに理屈もへったくれもなくて、「好きだ」の一言で全ては片付く話ではあるけれど。
それはともかくとしてフリーは本当に独特のファン心理を喚起させるバンドだと思う。10年前『レコード・コレクターズ』でフリーの小特集を組んだとき、大鷹俊一氏が彼らについて次のように述べていた。「どこか全員の持てる能力、可能性を完全に燃焼させ尽くしたという感じがしないのだ。」ここで大鷹氏が言おうとしている、このバンドの歴史につきまとうある種の後味の悪さ、これが余計に彼ら独自の魅力を醸し出しているのではないか?そんなふうにさえ僕には、思えるのだ。その後味の悪さを象徴するかのように、フリーの楽曲には、絶対他のバンドには真似できないような寂寥感漂うものが多いという事実も、非常に示唆的だ。
そういえば、このバンド全くと言っていい程、アップ・テンポの曲が見当たらない。彼らが活躍した時代やそのルックスから一応ハード・ロックという枠に括られてはいるけれど、その実ハード・ロックという枠からはみ出してしまう部分が意外に多いのではないだろうか。その証拠と言えるかどうかわからないけれど、他のハード・ロックのバンドのアルバムをあまり聞かなくなった今でも、フリーのアルバムはわりによく聞いている。特に好きなのが『ハイウエイ』と言うまでもなく今回のお題である『フリー・ライブ』。
このアルバムのオープニング・ナンバー「オールライト・ナウ」をFMのラジオ番組でエアチェックしたのが、高校2年か3年の時だったと思う。それまでも何度かラジオでスタジオ・ヴァージョンの「オールライト・ナウ」を聞いた記憶がおぼろげながらあるけれど、このときエア・チェックしたライブの「オールライト・ナウ」はとてつもなく格好良かった。その少し前にロッド・スチュアートがカバーした「オールライト・ナウ」なんかとても太刀打ちできない。スタジオ盤にはない荒々しい雰囲気が演奏をより迫力あるものにしていて、それがたまらなく格好良かった。それからわりにすぐにレンタル・レコード屋でこのアルバムを借りてダビングして、しばらく聞き狂っていた記憶がある。
40分程の録音時間だが、何故だかもっと短く感じられる。それだけ貴重な得難いものがぎゅうぎゅうに詰まっているという感じがした。大鷹氏は、コンサートの流れがあまり感じられないと評しているけれど、僕にとっては一寸の隙間もない一冊の小説のような流れさえ感じる。一部では蛇足とされているスタジオ録音の「ゲット・ウエア・アイ・ビロング」がさえもが僕にはとても愛しい。実はこの曲。フリーの曲の中でも五本の指に入るくらい好きな曲だったりする。
あの独特の「熱さ」が充満したかのような四人のプレイの応酬の後それを冷ますかのように、ポール・ロジャースの切ないヴォーカルが歌いあげる。特に“All you can do it〜〜”から始まるヴァースを耳にするたびに気持ちは、毎日のようにこのアルバムを繰り返し聞いた浪人時代の夏にタイム・トリップする。
その浪人時代の夏、僕は言いようの無い疎外感に悩まされていた。十代後半から二十代前半、特にロックもしくは文学が好きな奴にありがちな「『自分は人とは違っているのではないか?』症候群」とでも言うべき、「あれ」にものの見事にはまっていた。今となってはそれなりに笑い話で済ませられるし、あの時期につきものの甘えということで片づけられることもできるだろう。でもその当時の僕はそれなりに必死だったし、苦しかったのだ。
その「あれ」にはまっている人の十中八九がそうだと思うけれど、僕も御多分にもれず友達がいなかった。何がそんなに僕を頑なにさせたのか、自分でも不思議だけれど、人と話すのがとてつもなく億劫で、でも何か話したいことはあって、そして周りの視線はとても気になって、恐くて息苦しくなって……・というがんじがらめの状態だった。そんな状態で胸が締め付けられるような気持ちで聞いていたのが、このアルバムのハイライトの一つと言える「ビー・マイ・フレンド」。なんだかとってつけたような話だと思うかもしれないが、本当のことなんだからしょうがない。
それにしてもいまだに不思議に思えるのが、どうしてこの当時ポール・ロジャースは、二十歳そこそこという若さで、あんなに寂寥感、もっと言えばある種の喪失感さえ漂う曲を作り、あれ程までの説得力をもって歌えたのかということ。「ビー・マイ・フレンド」に限らず、フリーの曲には題名からしてネガティブな印象を与える曲がよく目につく。音から受ける印象から判断する限り、特に奇をてらってやっているとも思えない。おそらく自然体で出てくるのだろう。あまりこれまで取りざたにされてこなかったように思うけれど、あんな曲を作るに至った彼の精神的遍歴は果たしてどのようなものだったのだろうか?急に気になってきた。
それはともかくとして、この『フリー・ライブ』をリリースした後このフリーというバンドの求心力は目にみえて弱まっていく。リアル・タイムで見てたわけじゃないから偉そうなことは言えないけれど、彼らのラスト・アルバム『ハートブレイカー』を聞くとそれがよく分かる。わりに世間での評判は高いようだけど、僕はこのアルバムが好きになれなかった。何せ殆どの曲に参加しているというポール・コゾフがメンバーとしてクレジットされていないというのだから、このときバンドの本質の多くが損なわれていたと見てほぼ間違いではないだろう。
このようなことを思い起してみると、そのバンドの求心力がまだかろうじて存在していた時期のライブ(このライブが行われたツアーの後、バンドは解散を決意する)の価値と意味がどれだけどれだけ高くかつ重いかということを改めて思い知らされるような気がする。
四人の才能豊かで個性的な若者が集まって繰り広げた、今や再現不可能な音世界……・彼らにもまたバンドというものが抱えざるを得ない危うさと、その危うさがゆえの魅力を見出すことはさして困難ではないはずだ。
P.S.昔レンタル屋で借りてダビングしたこのアルバムの冒頭には、マーク・ボランみたいな声が入っていたのですが、実際のところあれは何だったのでしょうか?今僕の手元にあるCDにはそのような音は入っていません。もし御存知の方がいたら御一報ください。