再検証横浜銀蝿――彼らの再結成の今日的意味を問う
別に笑いをとろうなどと思ってこの文章を書こうとしているのではない。あくまで本気である。その
狙いが何であるにせよあのバンドが再結成する。しかも一時的なものではなく、どうもある程度恒常的
なものである、というのだから彼らなりに真摯な気持ちをもってしての再結成であろう。とりあえず金
のためだけに再結成しましたというピストルズのそれとは、心構えが違うようではある。
その結成から 今日に到るまで音楽ジャーナリズムにおいて黙殺あるいは、嘲笑の対象でしかなかったこのバンドの再
結成に対して、音楽ジャーナリズムは果たしてどのような態度を見せるか、というのがこの文章の趣旨
である。
おそらく今回も黙殺して終わり、ということになるのだろうけれど、少なくともロック・バン
ドを名乗りCDをリリースしようとする人達である。無視して終わり、というわけにはいかないのでは
ないか?語るに値しないと決め付け、蓋をしてしまっては、何も前に進みはしない。ここでどこかの音
楽雑誌が彼らを真っ正面から取り上げ、批判批評を加えるということをしなければならないのではない
か?なぜかこのバンドに対してそのような思いが頭から離れない。。
念のために断わっておくが、僕はこのバンドに殆どシンパシーを感じない。正直言って、彼らをテレ
ビ等で目の当たりにするのはかなりの不快感を伴う。「似非ロックバンド」多くのロックファンが彼ら
をこう認識し、そうした認識の下で彼らを嘲笑するか、無視するかしてきたのだと思う。
しかしどこがど う「似非」なのか?色々な人が色々なところで、しかも本人達に聞こえないところで、そのことについ
て語ってきたように思う。それは評論家であったり、市井の音楽ファンだったり、ミュージシャンであ
ったりした。そうした声を直接本人達にぶつけてみるということ、僕はこれがしたくてたまらない。と
にかく彼らを純粋に音楽をする人間として試みられたインタビューを僕は一度たりとも目にしたことが
ない。そのことが不満でしょうがなかったし、そうしたことをしてこなかった広い意味でのジャーナリ
ズムに言いようの無い欠落を感じるのだ。
ところで、今僕の手元に1983年3月号の『ミュージック・マガジン』がある。それに掲載されて いる「チマタをブンブン飛び回る横浜銀蝿――その人気はどこにあるのか」という記事が僕が知る限り 音楽ジャーナリズムが彼らを真っ正面から取り上げた唯一のものである。例によって『ミュージック・ マガジン』特有のアカデミズム志向がいささか鼻につく(なにせいきなり「銀蝿の音楽がつまらないの はマガジン読者は重々わかっているので」とあるのだから、何というか恐れ入る)ところはあるが、し かしかなり興味深いものがある。その中でも最も興味深かったのが彼らが所属していた(今もいるのか な?)ユタカ・プロの社長大坂英延氏のコメントである。その幾つかを以下に書き出してみよう。
「これだけ売れるということは、音楽にハートがあるということでしょ。音楽を能書きでやるカタワ 的な音楽家が増えてきたことのアンチですよ。」
「ロック仲間たちからはお前達のロックは軽いって言われますが、私たちはあらゆる音楽ジャンルの 中の一番を目指していますから、そんな言葉は気にしません。」
「銀蝿は体制と少しも闘っていないという批判もあります。しかしパトカーが50台も60台も会場 を取り囲む中でコンサートをやるようなバンドが他にいますか?」
今となっては、というより当時の時点でもう既に「よくもまあいけしゃあしゃあと」と言いたくなる ような発言だが、しかしこのような発言を許してきた当時の空気というものがあったということは否め ないような気がする。
当時の空気という言葉が出てきたところで、彼らが活躍してきた時期を少々振り
返ってみるのも意味があるだろう。
僕が彼らを知ったのは、中学に入る直前。クラスのお楽しみ会とい
うやつにクラスメイトが持ってきた彼らのファースト・アルバムを聞いたのが最初の出会いだった。つ
まり前の文章で書いた筒美京平を認識し始めた直後あたり、ということになる。つまりはたのきん、松
田聖子全盛の頃、その二年後くらいに堀ちえみや小泉今日子がデビューしたのでないか?そして何より
も重大なことは、この時期バンドという形式で音楽をやる人達に今一つ元気がなかった、ということで
ある。
確かにあの頃RCサクセション全盛の時期でもあったし、多少音楽に意識している同級生は、ア
ナーキーやルースターズに興味を抱いていたし、一風堂は売れたし、YMOも根強い人気があった。し
かしどれもこれもどこかマニアックなのりがあって、例えばニューミュージック全盛期におけるツイス
トや、当時の銀蝿のような華やかさはなかったように記憶する。つまり銀蝿というのは、テレビに頻繁
に出演するようなロック・バンドが少ない時期を縫うようにして活躍していたバンドである、というい
ささか意地悪な位置づけができると思うのだ。そして彼らの解散と相前後するようにしてあの尾崎豊か
が登場する。この事が僕にはひどく象徴的なことのように思える。
ちなみに僕は彼の音楽にも殆どシン パシーを抱かない人だが、しかし彼が残した足跡と、影響力の大きさには、素直に感服している。「落 ちこぼれ代表」と自ら名乗り、それを言わば売り物にしていたと言える横浜銀蝿が解散した後、落ちこ ぼれをも含めてより多くの疎外感や孤独感に苛まれた若者達を虜にした尾崎豊が登場した。もし、尾崎 が活躍していた時期にも、横浜銀蝿がバンド活動を存続していたとしたら……別に彼らが勝負する必然 性があるわけではない。しかしその音楽性やキャラクターの質に大きな隔たりがあるとはいえ、どちら も10代の若者への心情へのアピールということが人気のポイントであった彼らをどうしても比較して みたくなるし、そうした場合どう考えてもその後の絶大の影響力からして尾崎に軍配を上げざるを得 ないだろう。そして尾崎が登場した後、爆風スランプや聖紀魔Uそして誰よりBoφwyがテレビに頻 繁に登場するようになり、後のバンドブームの下地を作った。
少なくとも僕には、そこに銀蝿が活躍する余地はあまり無いように思える。そうした歴史を踏まえて今一度横浜銀蝿が再結成する必然性につい
て考えると、どうしても首をかしげざるを得ない。いわゆるビジュアル系バンドが人気を博し、その一
方で、スピッツのようなかなり洋楽テイストの強い昔だったら通受けするような曲をやるバンドが大ヒ
ットを飛ばし、ミッシェル・ガン・エレファントが繰り出すハードなロックン・ロールがコンビニで流
れてしまうこの御時世である。彼らがそこに自分達のフィールドを確立する可能性はとてつもなく低い
のではないか、と思ってしまうのは僕だけだろうか?僕としては、革ジャンといういでたちのミッシェ・
ガン・エレファントと同じく往年の革ジャンと白のドカンの横浜銀蝿が「ヘイ・ヘイ・ヘイ」に登場し、
浜ちゃんに「おたくら同じような格好をしてますねえ。何か意識してはるんですか?」などと突っ込ま
れるのを是非見て見たいような気もするのだが。後「Love Love愛している」に出演して篠原
ともえにプレゼントをねだられる横浜銀蝿とかね。
それはともかくとして、彼らについてどうしようも
なく不思議に思えることの一つが、彼らが笑えない存在であるということだ。確かにパロディの対象に
なる、という意味では笑えるかもしれない。また彼ら自身にもどことなくユーモラスな味はある。しか
し、どこか笑えないのだ。
彼らの全盛期から実は彼らが非常に生真面目な青年達である、ということは、
色々なところで言われてきた。それはそれでよい。ミュージシャンたるもの楽器を大事にしないでどう
する、ということでローディを置かずに楽器の運搬等はすべて自分達でする。まあいいだろう。しかし、
コンサートを「集会」と称し会場の客にマイクを渡し、色々な話をする。これはちょっと気持ち悪い。
そういえば彼らが提唱するツッパリの原則とやらに「挨拶をちゃんとする」とか「礼儀正しくする」と
いった項目があったような気がする。これも相当に気持ちが悪い。要するにこいつらリーゼントに革ジ
ャンと白のドカンで身を固めた新種の右翼じゃないか?そんな気さえしてしまう。要するにこういった
気持ち悪さが、僕が彼らに感じる笑えなさであり、彼らを生理的に嫌悪する者の多くが、この笑えなさ
を原因として彼らを嫌悪するのではないか?
そうした彼らの言動や体質を今一度音楽ジャーナリズムが
取り上げ、検討する必要を強く感じる。そうしないと、彼らの解散から今日に到るまでの日本のロック
の歴史の言わば時間軸のようなものが、彼らの再結成によって歪んでしまうのではないか、という懸念
さえ密かに抱いてしまう今日この頃なのである。