愛しのキンクス
「愛しの」キンクス……キンクスには、この「愛しの」という接頭辞がなぜかぴったりくる。どうもキンクスというバンドは、ファンに独特の愛情を抱かせるバンドであるようだ。とてつもないひねくれ者でなおかつ性格も相当に悪いと言われるレイ・デイビスが作り出すとてつもなく人なつっこく親しみやすい楽曲は、今でも確実にその愛好者を増やし続けているように思える。
3年前の5月にキンクスは3度目の来日を果たした。フーとビートルズを目にすることがかなわず、ストーンズを見る気が失せていた僕は、残った最後の砦(?)キンクスを見ることができた。そのとき客の年齢層の幅の広さと彼らが肌から発散させている「本当にキンクスが好きなんです」という空気にある種のおどろきとそして居心地の良さを覚えた。果たしてその空気を当のレイ・デイビス御大はどれだけ認識していたのだろうか?ステージで織り成すヒット曲の数々は、信じられないほど瑞々しくしかも堅実ささえ感じる確実にツボをえたものだったし、客の反応を楽しんでいるようではあったから、彼なりにその空気を感じ取ってはいたのだろう。あれだけ唯我独尊、我が道を行くという言われかたをされたレイ・デイビスにとってさえもライブにおける客とのコミュニケーションは特別なものなのだろう。そういえば、音最悪内容最高の誉れが高い(?)『ライブ・アット・ケルヴィン・ホール』で感じ取れる空気と僕が感じ取った空気には、そんなに落差がなかったような気もする。
それはともかくこのときのキンクスのライブと、同じ年の年末に行われたレイ・デイビスのソロ公演のとき恥ずかしながら僕は幾度と無く泣きそうになった。そもそも年に2回もレイ・デイビス御大の姿を拝めるというのが殆ど奇跡的な体験なのだ。これを感激せずして何を感激しようかというような貴重極まるものである。そういえばそのライブから溯ること2年前に福岡でキンクスのライブを見た弟もやっぱり途中泣きそうになったと語っていた。やはり血は争えないものか?このファンを独特の心理状態に陥れるキンクスとは一体何なのだろうか?
キンクスには、彼らのファーストや名作『ヴィレッジ・グリーン』のジャケットに漂うような淡いそれでいて柔らかいトーンの色が良く似合う。僕が彼らを知ったのは兄貴が持っていたRCサクセションの本(他に何かふさわしい言いかたがあるような気もするけれど、思い付かない)『愛しあっているかい』で何度か彼らに触れた個所があることからだった。当時中学3年だった僕はふとしたことから福岡でもFENを聞くことができることを知り、高校受験の勉強そっちのけでFENを聞いては、悦に入っていた。そしてその頃やたらFENでかかっていたボーカルの下手なちょっと軽めの曲を演奏しているバンドがそのキンクスだということを知ることになる。『愛しあっているかい』に清志郎の愛聴盤として写っているキンクスのアメリカでのファースト・アルバム『ユー・リアリー・ガット・ミー』のジャケットと比べてそのFENでかかっていた「カム・ダンシング」は、百倍くらい格好悪く感じた。それでもその『ユー・リアリー・ガット・ミー』のジャケットは、僕になにがしかのひっかかりを残してはいたのだ。なんとなくかしこまって写っている4人の姿は、何か違う世界に誘ってくれるような予感がぼんやりではあるが、でも確実にあった。しかしこの時点では、彼らが柔らかい淡いトーンによく似合うなんてことは、もちろん全く認識していなかったが。
その後少しずつ僕とキンクスとの距離はせばまっていった。高一の終わりたまたまレコード屋で流れていたライブ・ビデオ『ワン・フォー・ザ・ロード』のビデオを見たのに触発されてその場で前出の『ライブ・アット~~』を買い求める。これが直接的な彼らへの接近の第一歩だった。それからNHK−FMで小倉エージ氏選曲で日曜日の月一くらいでやっていた「ヒストリー・オブ・ブリティッシュ・ロック」という企画もので流れたキンクスの曲をエア・チェックしてますます彼らへの愛が深まるのである。そのエア・チェックした曲の中で僕の彼らへの愛を決定付けたのが「ウエル・レスペクテッド・マン」という曲である。この曲は今でも僕が一番好きなキンクスの曲、それどころか世界で一番好きな曲ベスト・ファイブに入ると言っていいくらいに思い入れの深い曲である。この曲を始めとしてその当時(60年代半ば頃)は2分から3分足らずの短い中にドラマがあるとさえ言えるような密度の高い曲が沢山あったように思う。この時代をリアル・タイムで体験したわけでもないくせにこんなことを言うのは、おこがましいことを承知であえて言わせてもらうが、この当時のヒット・チャートはさながら宝石箱をひっくり返したかのような輝きを呈しているような気がしてならない。やはりその頃はある種のマジックが働いていたのだろうか?その奇跡のような曲「ウエル・レスペクテッド・マン」の感動に追い討ちをかけるように「オータム・アルマナック」という曲を知るに至る。全く聞いたことのないタイプの曲でありながら、でもどうしようもないノスタルジーを抱かせるこの曲がその淡く柔らかいトーンの色とキンクスを結び付ける決定的な役割を果たした。ここでの音世界は、あくまで柔らかく穏やかで聞く者の気持ちを和ませるものだ。サビで歌われる「イエス、イエス、イエス、イッツ、マイ・オータム・アルマナック」というフレーズは、今でもごくわずかの時間だけれども現実を忘れさせる効力を持っている。
キンクスをキンクスたらしめている最たるものの一つがレイ・デイビスのあの誰にも真似できない鼻にかかったような独特の唄法であろう。楽曲そのものの親しみやすさに加えて、それらの曲があの唯一無二の声で歌われると更に独特の柔らか味を増す。そういえば先に挙げた「カム・ダンシング」が今一つ魅力的に思えなかったのは、肝心のレイ・デイビスのボーカルの魅力が充分に反映されてなかったからだと思う。当たり前と言えば当たり前だけれども「ウエル・レスペクテッド・マン」や「オータム・アルマナック」といった曲をレイ・デイビス以上に魅力的に歌える人間は、この世に存在しえないだろう。蛇足だけれどもこのことは、ティラノザウルス・レックス時代のマーク・ボランにも当てはまると思う。そういえば83年にSMSからキンクスのレコードが再発されたのと、同じくSMSからTレックスのそれが再発されたのは、ほぼ同じ時期ではなかっただろうか?そこからこじつけでレイ・デイビスとマーク・ボランとの比較論ができそうな気もするが、やめておこう。
今実はつい最近出たばかりのキンクスのリマスター盤CDをまとめ買いしたものを聞きながら、この文章を書いている。ブックレットにこれまで見たことのない写真がふんだんに掲載されていたり、音が飛躍的に向上していたり、何かとファン心をくすぐってくれる。何より嬉しいのは、原詞と訳詞がついていることだろう。
本当に聞けば聞くほど不思議なバンドだと思う。レイ・デイビスが描き出す詞の世界の多くは、どれも現実世界を冷静に見据えた上で作り出されたものであるにもかかわらず、それがいったんメロディーに乗り、彼のボーカルによって歌われると、現実を一瞬でも忘れさせる効力を持つのだから。それはただ単に僕が英語に堪能ではないということでもあるかもしれないが……・
ともかくキンクスは、34年の長きにわたってバンドを続けてきた。レイ・デイビスが見据える世界は、ますますシビアになるばかりだ。今彼はこれまでのキンクスの歴史を総括するかのような一大プロジェクトに取り組んでいるらしい。そのプロジェクトが終えた後、果たして彼は、一部で噂されているとおりキンクスの歴史にピリオドを打つのだろうか?できればその前にもう一度彼らの生の姿をこの目に焼き付けておきたいと切に思う。やはり今の僕にとって彼らは60年代ブリティッシュ・ビート・バンドの最後の砦なのだ。
この文章を僕が最初に買ったキンクスのアルバム『ライブ・アット・ケルヴィン・ホール』に素敵なライナー・ノートをよせていた山名昇氏に捧げる。