1999・8・4・水
それはJR東海道線沿い、ちょうど滋賀県と岐阜県の県境のあたりにある駅から車で10分、歩いたら1時間半から2時間程かかるだろうか(実際は50分程度であるが、このときはそんなふうに思えた)。昨日入寮するためにその駅を降り、駅から約5キロ半程だと分かっていたので、これなら大丈夫と歩いてそこに行くことにしたのだが、もう30分程歩けば着くというところで、その前日の工場見学のときにお会いした総務の方が乗った車からクラクションを鳴らされ少しだけ楽な思いができるようになたった次第。
さて、ここまで書いて何が何やら全然話が見えてこないとお思いの方も多いだろう。事情を説明すると以下のようになる。かねてから仕事が無いとボヤいていた状態が続いていたが、楽で賃金の多いバイトにはなかなかありつけない。とりあえず少々しんどい思いをしてもと飛びついたのが工場労働。某人材派遣会社に京都の工場志望で応募したのだが、そこは敢え無くはねられ、別の人材派遣会社からの連絡待ち状態に突入と思いきや、期せずして前者の会社からの電話。滋賀の工場に派遣したバイトの勤務態度に、問題ありとのこと。んで、会社側から急遽別の人間をまわして欲しいとの要望があり僕に白羽の矢(?)が当たったというわけだ。
ボロなのがたまに傷だが家賃の安さと立地条件の良さに惹かれて住み続けた愛しの下宿をしばし離れ、この人里離れた場所での生活を始めることになった。そして僕のホームページにこの工場での体験を日記という形で公開しようと思い至ったわけである。実際今回バッグにしのばせた何冊かの本の中にシモーヌ・ヴェイユの「工場日記」が収録された『労働と人生についての省察』も含まれている。しかし手書きで(勿論ネットではパソコンで打ち直すけれども)、しかも布団の上で書いているから多分この世で僕以外には解読不可能と思える程字が汚い。本当は、今日工場労働一日目で起こったことについて書く筈だったのだけれど、ことのなりゆきの背景を書いていたら力尽きてしまった…・・というわけでまた明日。
1999・8・5・木
思えばこれまでずっとなぜか肉体労働ばかりやっていた。大学に入って3年半は新聞配達だったし、その後は湯豆腐屋のウエイター兼、調理補助、旅館の皿洗い、その他単発のバイトもそんなのばかり。それ系以外のバイトと言えば、ついこのあいだ数回ばかり入った家庭教師のテレアポの仕事くらいだろうか?そして今現在こうやって住み込みの工場での仕事をやりだすと、本当に一生このての仕事から抜けられないのではないかという気がしてくる。今手元に無いのが残念だが、ここで思い出すのが肉体労働をやりながら小説を書いていたという中上健次が持つ幾つかのエピソード。特に強烈なのは飛行場での仕事の合間に洋式便所を机かわりにして小説を書いていたというそれである。後手製の原稿用紙に細かい字でびっしりと書いていたという話もあった筈だ。残念ながら僕には、そこまで何かを書きたいという欲求は湧かないが。
前振りが長くなり過ぎた、本題に入ろう。何はともあれ昨日から仕事に入った。いつのまにか大学院卒という僕の経歴が一部に知れ渡っている。だからと言って極端に見る目が違ってくるわけではないが。
ぞういえば入寮の前日、母親に滋賀の工場で住み込みで働くと告げたところ、折り返し母親の方から電話があった。この話を聞いて父親ががっくりきているという。「がっくり」ってそもそも何を期待していたというのだろうか?
大体この年で哲学科の院を卒業して、それなりのところに就職できると思う方が間違っている。「武士は食わねど……」的に変なプライドを持って、仕事のより好みをするより、とりあえずお金になりそうな仕事をやるほうが十倍かしこく、また潔いと僕は思う。
それにしても今日もまた、結局本題に入ったと思いきや前置きへと変節してしまい、仕事そのものの話に入れなかった。とりあえず2日連続で12時間労働をさせられてしんどかったとだけ書いておこう。それからしんどさで頭がボーっとしている間、耳鳴りの奥からビリー・ホリデイの歌声が聞こえてきたことも。
1999・8・6・金
とりあえず今日からは、具体的な工場内での仕事内容の話に入れそうだ。何はともあれ、始めたばかりの仕事を3日連続で12時間労働というのは、相当にしんどい。仕事のサイクルがどのようなもので、どのように段取りを踏めば仕事がスムーズに運ぶかということについては、それなりに把握できたが、しかしその反面頭と体がついていかない。
ところで今、僕が入っている工場が何を作っているものであるかということについては、一言も触れていなかった。このことについては、色々な兼ね合いもあるので、おいおい話をしていくことにしよう(場合によっては、肝心なところには触れないことになるかもしれない)。
それにしても入って3日間の仕事をこなしてみて、一番感ずるのがごみ箱へと葬り去られる原料の膨大さである。これは僕が思うに恐らく効率を求めるがゆえに逆説的に生じてしまうものなのだろう。効率を求めるがゆえに不可避的に生じてしまう無駄。このあたりもっと抜本的な見直しを計るべきだと思うのは僕だけだろうか?
こうした生産を巡って生じる一連の問題は、いまだにマルクスの問題意識から逃れきっていないように思う。確かに様々な労働条件の改善はなされただろう。それでもなお様々な諸矛盾は、今もなおざりにされたままではないか?
例えば、何が我々に、どういう必然性が我々にノルマを押し付けるのかということに対して誰が明確な答えを打ち出すことができるだろう。どうして休日出勤をしなければならないのか、誰がそれを強要するのか?
つまりは構造的な問題に還元されるべきものであり、その構造の何たるかが体系的に捉えきれていないために様々な局面で大なり小なりのトラブル、もっと大袈裟に言えばある種の不運が生じるのだろう。とにかく今日は眠りたい。
* 註 この日は、工場に入って初めて仕事の後にビールを飲んで、その酔いが頭にまわっている状態で書いたために、意味も無く話が大袈裟になってしまいました。本当はネット上では割愛したかったのですが、これはこれである種のリアリティを感じてもらえるかと思いあえてそのまま載せることにしました。
1999・8・8・日
一昨日の朝(つまり金曜日)、今日の仕事を終えたら2日休みだと思って、幾分軽くなった気持ちで職場に入ったら朝礼で、「休日出勤」を言い渡される。かなりがっくりきた反面、休日2日間をかなりもてあますだろうということを大いに予想できたので、別の意味である種の安堵感をも感じた。
ところで出来上がった商品をハンドリフトという、フォークリフトの簡易版のようなもので運ばねばならないのだが、最初これには相当戸惑った。うまくやろうと焦れば焦るほど無様な醜態をさらしてしまう。10年以上も前に自動車試験所で初めて原付に乗ったときの違和感を思い出した。そういえば昔ゴーカートに乗っていて縁石に乗り上げるなんてこともしでかした。どうも僕は人力以外の動力で動くものと相性が良くないのだと少々意気消沈しながらも、回数をこなすうちにウソみたいになれてくる。なれてくるとハンドリフトを操るのが面白く感じられさえする。今僕は車の免許を持たないし、出来ることなら一生車のハンドルを握らずに過ごしたいと思っているのだが、ハンドリフトを操る楽しさと車を運転する時の楽しさというのは共通するのではないかとふと思ったりもした。
車と言えば、本当にここは車でもなければ、休日は殆ど動きようがない。今日、半ば冒険心でここに向かう時に通った道を更に向こうまで歩いてみたら小一時間もしないうちに関ヶ原へと足を踏み入れることになった。数年前の一月にJRで関ヶ原の辺りを通った時、やけに荒涼とした風景が印象にの残ったものだが、まさか自分がそこからごく近いところで働くことになるとは夢にも思わなかった。
それにしても車じゃなくても、せめて自転車でもあれば随分と行動範囲が広くなるだろうにと思う。今日一日結局食料を調達することがままならずジュースで栄養を補うという異常な一日を過ごすことになった。そういえば、昨日もまともな食事は一回だけだ。明日の朝食が楽しみだ。それから音楽が聞きたい。どうも手持ち無沙汰でついテレビをつけてしまう。
1999・8・9・月
滋賀県と岐阜県の県境にほど近いこの土地で寝起きをするようになって早一週間が過ぎようとしている。この周囲に何も無い所でやることと言えば労働、食事、ごろ寝、そして少しの読書。新聞は読まない。情報源はもっぱらテレビのみである。普段はさわりしか見ないような朝の番組もとっかえひっかえして見てる。本当ならラジオのドイツ語講座を聞いている時間なのに。来月からは、また語学講座の聴講を再開しようかと思う。
先週4日間で仕事のサイクルは一通り把握したが、しかしまだ細かいところで注意される。ハンドリフトの操作は70~80%マスターできたと思うがクレーンの操作にかなり難点がある。そういえばシモーヌ・ヴェイユの『工場日記』に「商品をおシャカにした」という表現が出てくるが、これは言語で何と言うのだろう?もしわかるようだったらH口君に聞いてみよう。
それにしてもこのさして楽しみのない日々のわりにひょうひょうとやり過ごしている自分が我ながら不思議に思える。これまで今以上に不毛で陰惨でくだらない日々を延々とやり過ごしてきた証左だろうか?とりあえず今の最大の楽しみは、お盆休みを京都で過ごすこと。これにまさる楽しみがあろうか。この数日間頭の中で鳴らすだけで何とか自分をごまかしてきた様々な音楽に直截に耳に触れることができると考えただけで楽しみが増す。ところで仕事をしている間の最大の楽しみは仕事の終りである。
1999・8・10・火
仕事を始めて今日で丸一週間である。今日は初日からずっと一緒にコンビを組んで仕事をしていたT上さんとではなくN村さんと一緒である。これまで残業の時だけ他の人と一緒にやったことはあったが、一日ずっと他の人と一緒というのは初めてだったので若干戸惑った。それに加えて午前中機械の調子が悪く、多くの原料をまさに「オシャカ」にした。また今日配属された機械は課長の目がすぐ届くところにあり、これまであまり受けることのなかった課長からの指導を多く受けることになった。
しかし色々教えてくれるのはいいが、その合間に「分かる?」と聞かれると妙にイラつく。何だか小馬鹿にされている気がするのだ。勿論むこうにそんな気持ちは殆どないだろうというのは、わかっているのだけれど。
昨日派遣会社から雇用契約書を工場内の休憩所に忘れてきてしまった。その契約書には、給料の支払いが15日締めの翌日15日払いとある。これはちょっと嬉しい。つまり額は少なくなるとは言え、お金を手に入れるのが早くなる。当初聞いていたのは、月末締めの、翌月末払いだったのだ。
それにしても寮で手持ち無沙汰だとついついテレビに手が伸びてしまう。特に朝やっている星占いをチェックするようになってしまった。ここしばらく不調が続いた蠍座だが、ちょっと上り調子になっているようだ。ところで最近というかここ一、二年蠍座で3人兄弟の真ん中に生まれてきたことが自分に及ぼした影響というものを少々切実に感じるようになってきた。
最後になったが、クレーンの操作にかなり問題を残している。なにはともあれ明日一日働いたら京都に戻れる。嬉しい。
1999・8・22・日
二週間近く日記をつけていなかった。京都に帰っていた時の穴がそのままこっちに戻ってきても尾を引いていたというところだろうか。京都にいるのはとても良い。何だか馬鹿みたいな言い方だが、あの場所が自分がいる場所だという意識がとても強い。特に何をするわけでもないのに、あそこにいるだけで何か充実感のようなものを味わえる気がして不思議だ。ぶっちゃげた話、京都の街中で自転車を走らせるだけでわくわくしてしまう。これじゃまるで子供だ。京都に戻った次の日に下鴨神社の古本祭りに行く。『島尾敏雄作品集4』、島田雅彦の『アルマジロ王』、中上健次の『アメリカ・アメリカ』を買う。『島尾敏雄作品集4』は箱無しとは言え2百円は安い。こういうことがあるから古本漁りはやめられない。
それからこの週の土曜日に大阪で久しぶりに会う友達も含めた四人で飲む。僕以外は全員大学の一学年下の哲学科の同じゼミ生。どういうわけか僕はそのゼミ生に入り交じって飲んだり一緒に勉強したり、山に登ったりするようになっていた。人の縁とは不思議なものだ。そして、この四人が四人ともまともに就職をしていない。みんなバイトとか親の仕事の手伝いである。それで酒を片手に話すことと言えば、終身雇用という制度の限界と崩壊。誰も明日のことなんか信じていないというわけだ。しかし、男四人4時間以上話をしていて、ワイ談はおろか、女の子の話さえ殆どしなかったというのは、かなり異常だったように思う。真面目と言えばそれまでだが、でもちょっと……という気もするが。
さて話を工場での生活に戻そう。今週の火曜から仕事再開。盆明けということで残業が7時までというのが何より嬉しかった。一緒に仕事をしたのは、それまで別の工場に出向していて盆明けからこっちに戻ってきたというK玉さん。この人は優しすぎて逆に気を使ってしまうところがある。土曜の休日出勤のときに一緒にやったT橋さんは、最初ちょっとぶっきらぼうに思えたが適格な指導をしてくれる人で、その点ではやりやすかった。とりあえず体はかなり仕事についていけるようになった。それに伴ってか時間の流れが日に日に早く感じられる。こうやって一ヶ月や二ヶ月、いや半年、一年があっという間に流れていくのかと思うと、一気に年をとってしまうようでちょっと恐い。
1999・8・23・月
今日から残業が8時までとなる。残業が7時までと8時までとの差は、かなり大きい。寮に戻ってから寝るまでの時間の余裕というものもあるし、何より5時を過ぎてからの負担感に雲泥の差が出る。とは言え、昨日の日記にも書いたように、最初ここで仕事をやり始めた頃に比べると、体の仕事に対する慣れに伴ってか、1時間や2時間すぐに経ってしまうように感じられるのは、かなり楽だ。この調子でなおかつ仕事が5時までだったらどんなに楽だろうと思う。
ところでこの地獄の(?)12時間労働の始まりを共にしたのは、これまで見た記憶のないT山君(それにしてもこの職場は頭文字にTのつく人が多い)。多分僕より10くらい年が離れているのではないか?ちょっと髪をそめていて見かけは一見無愛想にも思えるが、言葉を口にすると声としゃべり方にあどけなさが感じられる。ふととなりを見ると先週一緒だったK玉さんと盆まで一緒に仕事をしていたN村さんが一緒に仕事をしていた。なんとなし、恐らく僕にしか感じえないであろうある種のおかしみを感じた。N村さんは体ががっちりしているが猫背で少し動作にノソノソとした感じがあって言わばサイか何かのような動物を思わせるところがある。さて話をT山君に戻そう。彼が仕事をやる上でし主導権を握るべきなのだが、どうやら彼は若干この仕事(つまり主導権を握る側の仕事)にまだ不慣れらしく、また明らかに年上だと思われる僕への遠慮も手伝ってか、これと言った指示もあまり出さずに、基本的にはおどろく程淡々と仕事をこなしていった感じがする。それから夕方6時半を過ぎたあたりから頭がボーっとなってやや仕事に影響を与えた。
ところで今ここで生活する上で欲しいものは、自転車と電気スタンド、そしてオーディオ機器である。
1999・8・24・火
昨夜眠りに落ちたのが早かったためか、その後幾度と無く目を覚ますことになった。おそらく1時間から1時間半おきに目を覚ましていたのではないだろうか?大した動作をするわけでもないのに、妙な疲労感のようなものが伴ってなにやらやりきれない気持ちになる。
今日は、昨日よりもまして淡々と仕事をこなすという感じであった。ペアを組む相手と言葉を交わすことも更に少ない。ただ昨日から扱っている原料に不良品が多いようで多量の原料を廃棄処分にせねばならなくなり、憤りともやるせなさとも言えない、何とも言えない感情にとらわれる。それにしても早三週間の日々が過ぎてもあまり職場で会話をすることがない。こういう状態はわりになれているので、それ程苦痛でもないが、寮に戻ってもテレビを見るか本を読むかというパターンなので、さすがに何がしかのコミュニケーションの手段を欲するのはどうしようもない。おかげで仕事の間ずっと京都のことを考えているし、夢の中でも京都の友人が出てくることが圧倒的に多い。こうやって日記を書き連ねるのも、他に向き合う対象が無いので、日記に現れた自分と向き合うことを余儀なくされているようにさえ思えてくる。考えてみれば、かつて日記をつけていたときも、あまり友人関係に恵まれなかったためにほぼ一日も欠かさずに日記を書いていたのではないだろうか?もしかすると充たされた生活を送っている人には日記なぞ必要のない代物かもしれない。
それから一昨日からこのあいだの古本市でゲットした『島尾敏雄作品集4』を読んでいる。これは氏が精神錯乱に陥った妻と共にした精神科での入院生活を書き綴ったものが中心に収められている。読んでいると高校のとき鬱病で入院した父親を見舞いに行った時のことを思い出し身につまされる。
1999・8・25・水
さして昨日、一昨日と変わりの無い一日。ただ一緒に組んでいる相手が、多少遠慮が無くなってきたのか、仕事に対する注文が若干多くなってきた。また8時残業の3日目ということで、頭がボーっとする場面が前二日間よりも多かったように思う。人との対話が無い分、意識はいきおい自分に向きがちになる。自分というより自分の中につまった記憶と言ったほうがいいかもしれない。時折記憶の回想に頭の大部分がとらわれ、手の動きが一瞬止まったりする。これは良くない。
残業までいた場合一日4回ある休憩時間が手持ち無沙汰になりがちなので今日はマルクスの『ルイ・ボナパルトのプリュメール18日』を仕事場に持っていった。こんなことをすると余計に仕事場で浮くかなとも思ったが、どうしたって周囲から浮くように出来上がっているのだからと多少の開き直りもあった。今度京都に戻ったらもっと内容が軽めの文庫本を調達してこようと思う。
ところでここで働くようになってから一度もまともに新聞を読んでいない。情報源はもっぱらテレビである。夜中ふと目を覚ましたときも、何となしテレビのスイッチに手を伸ばし、一通りチャンネルをチェックしてみてからまた浅い眠りにつくということも一度や二度ではない。どうもここにいると新聞なんか読まなくてもこれといった不自由も感じずに過ぎていくようだ。テレビで得る幾多の情報も半ば絵空事のように思える。
ところで昨夜から急に寒くなった。衣類はもっぱら夏物のみである。これはちょっと困った。今度京都に戻るまでこれ以上あまり気温が下がらないことを祈るのみである。
1999・8・26・木
今日はなぜか組み合わせが変わり、盆前に一緒に仕事をしたN村さんと組むことになった。この人真面目だが、正直言って素人の目から見てもあまり要領がいいとは思えない。そのことに改めて気づいたのは僕自身の進歩の証か?盆前に仕事をした時には何かと小言を受けたが今日は殆ど指示以上のことは言われなかった。ただ単に嫌われているだけなのかもしれないが。
今日もまた休み時間に『ルイ・ボナパルトのプリュメール18日』を読む。レヴィ・ストロースがこの作品を読んで脳に刺激を与えて仕事にとりかかると言っていたのを久々に思い出す。確かにマルクスの文章は良い意味で軽妙であり表現も巧みである。やはりこの人はアカデミズムの人というよりジャーナリズムの人ではないかという気がする。この人は現代に生まれていたらノートパソコンを常に携えて世界を飛び回るルポライターになっているのではないだろうか。それはともかくとしてその歴史的背景に疎い僕でもこの作品の文章にはつい引き込まれるものを感じる。とは言え、一つ一つ内容をかみくだきながら読み進めるのはかなりしんどいけれども。もしできることなら仏語訳を手に入れて翻訳と参照させてみたものだ。
また工場の話から脱線してしまった。8時残業も今日で4日目を終えた。たまには5時で帰りたい気もするがとりあえず今週は土曜まで頑張ろう。とにかく考えるのは京都のことばかり。いつ京都に戻ろうか?
1999・8・28・土
昨日は日記を書く気力が無く、寮に戻って寝てしまった。さて、昨日はT山君とのコンビ(?)を復活。さすがに疲れがたまってきたのか、仕事上でいくつかT山君から小言めいたものを言われた。仕事の後風呂に入って食事につく。メニューにはカレーとビールとある筈なのに冷蔵庫にはそれらしきものはなし。何とも言えない煮えきらぬ思いを抱いて寮に戻り、『驚きももの木20世紀』を見た。今日は石川啄木とその妻節子の話である。啄木はここしばらく気になっていた人であり、これは日記を書く間を惜しんででも見ておきたかった。前から知っていたはずのことではあったけれども啄木と宮沢賢治が同郷であることに改めて驚かされる。しかしコメンテーターと司会者の延べるコメントのアホらしさに呆れ返る。天才と呼ばれる人に対して、ごく常識的な見地からものを言ったところで何にもならないのだ。しかし当の僕が彼について何を言えるかというと確かに番組に出演した人間と五十歩百歩に過ぎないかもしれないが、しかし、天才と呼ばれる人間に比してのこの己の卑小さとの葛藤があるという点で彼らとは、一線を期しているとあえて思いたい。後石川啄木と大逆事件との関連について一言も延べていないのには、大いに不満を覚えた。
今日一緒に仕事をしたのは、O田さん。疲れがたまっているうえに、ややうざい系が入った人と仕事をするのはかなりしんどかった。昨日までと何かとかってが違ってやりにくかった。仕事の後ロング缶のビール2本を空けてふと思い立って片道5キロ程あるスーパーまで歩いて買い物に出る。我ながら酔狂なことをするものだと思う。その帰りふと目にとまったディスカウント・ショップで自転車を衝動買い。これで今後の生活パターンにヴァライティが加わる。嬉しい。
1999・8・29・日
ここで過ごす3度目の日曜日。いつものように何度も目を覚ましながら結局8時頃に完全に起き出す。まずは洗濯。そして昨日買った自転車で関ヶ原のほうまで行ってみる。古戦場跡に立てられた石碑を見た。今度来るときは、カメラを持ってこようと思う。周囲に何も無いとは言いながらも、とりあえずカメラに収めたい風景が多いのは、この辺りの良い所である。そういえば、音楽が聞けないわりには、それ程煮詰まった状態にならないのは、我ながらすごいことだと思う。それにここ二週間ばかり仕事以外で会話をしたことが殆どない。先週一緒に仕事をしたT山君とも結局これといった会話をしなかった。
関ヶ原の古戦場を見た後もと来た道を引き帰し、そして昨日行ったディスカウント・ショップにまで足を延ばす。今はまだ買えないが、いずれ買おうと思っている電化製品その他を物色するためだ。一万以内で買えるCDラジカセと二千円の電気スタンドを見つける。これを購入すれば、ここでの生活もより快適になる。後文机も欲しいのだが…・・物を書く時にいつも腹ばいでは、やりきれない。
帰りにコンビニで買った弁当とビールを国道沿いの小学校の校庭で食べる。この小学校はいかにも昔ながらの小学校という感じがして、なごめるのだ。その後立ち寄った湧き水の出る神社もなかなか良かった。長い階段を昇りきったところから見るながめはボーっとしていると時間を忘れるくらいであった。
寮に戻って一休みをしてまたふらりと散歩に出かける。先週の日曜にも行った神社に足を向けると祖母らしき初老の女性につれられた5、6歳くらいの男の子と3、4歳の女の子にあいさつをされる。この辺りは「あいさつ運動」なるものをやっているらしく、先週も路上で車を洗っている若い女性にあいさつをされて少々面食らったことがある。でも小さい子供に笑顔であいさつをされるとさすがに心がなごむ。
それにしても、これまで全然未知と行ってもいいような所に一時的とは言え、身をおくことになったわりには、戸惑いとか、「とんでもない所に来てしまった」という感じがそれ程しないというのも考えてみれば不思議なことではある。案外ここはここで決して悪い所ではないように思えてきたのだ。ただ冬になるのは、ちょっと恐いけれども。
1999・8・30・月
朝起きたら若干体に疲れが残っている。月曜から土曜まで働いて、その上昨日も自転車を買った嬉しさで意味も無く自転車で動き回ったせいだろうか?今日仕事中幾度と無く左足の腿のつけ根に鈍い痛みを感じた。朝の『目ざましテレビ』の星占いをチェックしたら蠍座は、ワースト2位。週の初めからついてないなとややブルーが入る。
今週のパートナーは、盆明けの週の土曜に一回だけ一緒だったT橋さん。先週一週間殆どと言っていい程注意を受けなかった反動がここで一気に来た。午前中は何かと失敗も多く、T橋さんの顔に苛立ちが見え隠れして、こっちの気持ちにも、何かピンとしたものに危うさが帯びがちになる。午後からはやや復活。それでも小言のネタは尽きない。これまであまり口うるさくない人とばかり組んできたしっぺ返しだと思って耐えることにする。それに一昨日一緒だったO田さんほどむかつきを覚えなかったし。この人に一週間みっちり仕事を叩き込んでもらうつもりでいようと思う。
ところで、いまだに僕がたずさわっている業種を明らかにしていないのだが、実はどうしようかと思いあぐねているところなのだ。例え会社名を伏せたところでちょっとでも具体的な作業に話が及ぶと、分かる人には簡単に分かってしまうだろう。これが公になるとどうだろう?何かと面倒なことになりはしないだろうか?このことについては先々考えていくことにしようと思う。
1999・8・31・火
今朝の『目ざましテレビ』の占いは12星座中10位。だからというわけでもないだろうが昨日に比べると大分T橋さんからの小言が減ったように思う。これまで他の人が教えてくれなかったようなことを色々と教えてくれるので何かとためになる。本当に最初からこの人と一緒だったらこれまでの仕事ぶりも相当に違ってきただろうと思う。
そういえば盆休み明けから二週間を経たことになる。実家に帰省した以外でこれだけ京都を離れるのは初めてだ。そのうちそんな感慨さえわかなくなるのだろう。最初の頃に比べると早く京都に戻りたいという気持ちが幾分薄れてきた。それでも決してここが安住の地になるとも思えないが。
相変わらず仕事以外での会話は少ない。寮に一人でいる時、側に電話が無い状態もさして不便とも心もとないとも思えないというのも我ながら不思議だ。別にシモーヌ・ヴェイユがどうしたとか、高橋和己がああだとか、ミッシェル・ガン・エレファントが格好いいとか、小島麻由美がすごいとか、バルバラは素晴らしいとかいうことを話さないでもそれなりに生きてゆけることにわずかだが新鮮な驚きを覚える。
何だか10年以上も前に聞いたRCサクセションの「山のふもとで犬と暮らしている」という曲が妙に気になっている。寮に猫でも住みついてくれないかなと思う。