1999・12・1・水
今日は清掃日ということで、8時から30分間は掃除にあてられた。その後、3、4メートルほど縦にしかれた直径1m、幅1.5m程の円柱形の原料を パレットの末端のほうへと押しやろうとしたら、末端部分の留め具の配置が悪かったため、勢いあまって原料はパレットから飛び出て、もう少しでO田さんをケ ガさせるところだった。当然のことながらO田さんからはおこられたが、どう考えても全面的に僕に責任があるとは思えない。そのことを後で主張してみたが、 受け入れてもらえず、何だか一日ドス黒いものが頭をうずまいている。
それから3時前だったかT本課長からFさんと一緒に呼びよせられる。僕と同じく今月の22日付けでここを辞めることになっているFさんと一緒だっ たので、てっきりその段取りについてかと思いきやさにあらず。今週夜勤のU君に持病が出て、仕事ができなおので、どちらか明日から夜勤に出てくれとのこ と。今週は土曜まで夜勤があり、Fさんは週末予定が入っているというので、それではと僕が入ることにした。しかし考えてみれば、いい年して基本的に週末予 定が無いというのもかなり情けない話ではある。それに土曜日の夜勤というのもかなり憂鬱だ。
作業が終わり、8時まで休憩所でだべっているところにT本が来る。明後日5時に派遣の人間は集まってくれとのこと。この工場担当の営業マンに加えて本社の人間も来るそうで、こっちにしてみたら「なんじゃ、それ?」という感じである。
まあここしばらくは労災で辞めたり、2日で逃げたり、3日でやめたりとか派遣から来た人間はことごとくろくなことになっていないから、そのことに 関連したことだとは思うが。しかし、[派遣会社との]パイプ役のT本がおおよそ人望の無い人間なので、どうしても不信感のようなものがつきまとう。
しかし、ここも後3週間だな。なるべく穏便に済ませるようにしよう。そう思う反面、最後の最後には…という気にならないでもないが。
夕食の後、寮に戻って何を見るということもなしにテレビのチャンネルを気の向くままに替えていた。思えば平日の夜テレビを見るのもずいぶん久しぶ りのような気がする。たなたな男子中学生のいじめのシーンが映し出されたので「何だこれ?」と思いながら見ていたら、スマップの草薙と西村雅彦が主演の 『チーム』というドラマだった。西村の悪ガキに対する扱いが妙にしぶくて、つい最後まで見てしまった。
1999・12・2・木
いつものとおり6時過ぎに鳴った目覚ましで起きた。食堂に行ったら懸念したとおり朝食用のおかずは跡形もなく無い。こういうことがあると、本当にこんなとこ早いことおさらばしようと思う。
昨夜寝たのがやや遅めだったのと寒いのとで再び布団に身をゆだねて、10時まで寝てしまった。その後横光利一集に収められた『寝園』を読み出し た。結局この作品集の中でこの作品が一番面白かった。しかし、とりようによれば単なるメロドラマに過ぎなくもない。義理の姉の夫にだんだんとひかれる妹が 出てくるところでは、このあいだやっていたとんねるずの木梨主演の『小市民ケーン』をつい思い出してしまった。
午後からはヴェーユの『神を待ちのぞむ』の後半部分を読み返していた。そのうち改めて読み返さねばとは思っていたが、その時がこんなに早くくるとは思わなかった。そしてこのあいだ読んだ内容の殆どが頭から抜け落ちていることも予想しえなかった。
相変わらずヴェーユが述べていることは時々あまりに極端であり、マゾヒスティックと思える程に神に対して敬虔であり、自己犠牲的である。しかし、こんな紋切り型の感想ではくくりきれない何かが彼女の思想には宿っているのだと思う。
5時半頃食堂に行ったらK山君と一緒になって話をした。ややウザくなる時はあるが、わりに面白い。彼と二人で食堂を出たところで、T本に出くわす。そういえ朝、食堂から出る時も彼に会った。何度会っても何とも言えない翳りを落とされてやりきれない。
1999・12・3・金
いつもどおり昨夜8時前10分に仕事場に入る。休憩所の机の上には、今度の給料の明細書。中を見てみたが、予想していたとおり、夜勤が多かったために、これまでに比べると、一、二万少なめ。夜勤だとずっと残業手当てがついた給料になるのだが、その分就労時間が短いので、どうしても日勤に比べる給料が安くなってしまう。とりあえず短い時間にお金を稼ぎたいというのだったら夜勤専門も悪くないのだろうけれど、やはり僕は日勤のほうが性に合っている。
ただ僕にとっての夜勤の最大の魅力は昼間本が読めることだ。だから二週間おきくらいに夜勤になるというのが理想的だ。もちろんこんなこと言っても、後三週間もしないうちにここを去るのだから、結局のところ関係ないのだけど。
それはともかくとして昨夜一緒に仕事をしたのは、懸念していたとおりT本。それ程きついことは言われなかったが、妙に一言一言がかんに障る。しかもこの男、図体がでかいわりには、地声があまり大きくなく、聞き取りにくいことが多い。場合によってはむかっ腹が立つより、声が聞き取れないことの苛立ちのほうが先立つということもあった。
10時頃だろうか、作業中方をたたかれて、誰かと思うとT本課長。やはりいきなり夜勤にまわるということを僕が承諾したということに対する負い目があるのだろう。いつになく愛想が良かった。そういえばK川係長やI原係長も僕に対して気遣いのようなものが感じられた。
仕事はとりあえず淡々とそして黙々とこなすという感じ。T本がかもし出す威圧感に負けまいと変に気負ったりすると、かえってミスを犯したりする。時々妙な負けん気を発揮する人なので、やたら神経がピリピリしている状態で作業していた。その負けん気が転じて、殺伐とした空気を分泌しもして、見方によっては結構すさまじい光景だったかもしれない。ふと向こうの方の機械を見てみると、K家君と研修生のO橋君がやたらわきあいあいと楽しそうに仕事をしていて無性にうらやましく思えた。
今日はやや早め11時に起きて『神を待ちのぞむ』を読み進む。「ただ神だけをねがい求め、ほかのすべてのものは捨てさること、それだけが救いである。」この厳格で美しい立場に比べて、既存の様々な宗教はいかに多くの夾雑物を身にまとっていることか。誰かさん[当時マスコミを騒がせた法の華代表者福永法源のこと。時代を感じさせますな]、みたく神の声とやらと聞いたことがなくても、このような立場を固持している人のほうがずっと(もしいるとすれば)神に近いだろうと思う。そう考えると例の誰かさんなんかは、全く問題外で口にする価値も無いくらいだ。
読書に疲れて布団の中でボーっとしていたところに、ノックの音。ドアをあけるとT本。今日の5時に派遣の人間が集まるという話は来週にもちこされたとのこと。やや半端な時間に集められることがなくなったのは喜ばしいが、一週間も先に持ち越されるのは、ちといただけない。
1999・12・4・土
昨夜の夜勤もさして一昨日のそれとは変化無し。相変わらずT本の発言一つ一つがうざったく、ここはなるべく石に徹しよう[つまりできる限り感情をシャットダウンするということ]と努める。機会があったら何か一言言ってやろうと思うが、どうもそのタイミングがつかめず、その何か言いたいという気持ちが自然に身体からにじみ出てくのか、どうしても「空気が殺伐としたものになりがちになる。
それにしてもT本と一緒に仕事をする機械が、一番単純なノルマしか課せられないもので良かった。おかげでコミュニケーションが最低限で済む。しかし来週も彼と組まされそうでウンザリする。 Y君がケガをしたあたりから、派遣の人間に何かドス黒い空気が立ちこめるようになった気がするが、これもその一環だろうか?とりあえず彼[Y君のこと]がいてくれたら、多分彼[T本のこと]と組まされることは無かったと思う。
仕事を上がった後風呂に入り、そのまま食堂へ。T本がいて、「あーあ」と思っていると、今日は5人制、つまりオペレーター3人に助手2人という体制だから頑張るようにと言われる。5人制というのはしんどいが、その分T本と接する時間が減るということでもあるから、痛し痒しといったところか。しばらくするとK山君が来てとりとめのない話をしていた。
今日は何だかんだと12時近くまで寝ていた。いつものようにカップめんの昼食を済ませて寮に戻ろうとした時にU君とM尾君に会うU君に「僕の代わりに夜勤に行ってもらってすいません。」と言われる。
部屋に戻って『神を待ちのぞむ』の中の「ノアの三人の息子と地中海の歴史」を読むが、よく意味がのみこめなかった。
1999・12・5・日
これが本当に最後になるであろう5時からの夜勤。とりあえずこのあいだの過ち(?)は繰り返すまいと仕事に入る前に食事をしてそのまま仕事場に入る。
あらかじめ知らされていたとおり5人制での労働。T本の思惑が今一つつかめず、何か言われる度に戸惑いと苛立ちを覚える。一度かなりキレる寸前にまで至った。どうも彼と一緒にいると思考が滞ってしまう傾向にあって、本気でそのことを皮肉っぽく口にしてみようかとも思う。
ところで、昨夜はまたT本が動かす機械とそのとなりのH部さんが動かす機械で働いていたのだが、H部さんのほうに人手が要ると、T本がそっちのほうに行けと言い、自分一人で仕事をこなそうとするので、やや後ろめたさを感じながらも、これ幸いと逃げ得るようにして補助に行くことが多かった。
一方のH部さんは、年は25から30くらいだろうか、わりにひょうひょうとした雰囲気があって、何となし好感が持てる人で、一緒に仕事がしやすい。H部さんの補助をしている間にH部さんの機械を挟んでT本の機械と反対側にあるK家君の機械の助手をしている研修生のO橋君がT本の手伝いをするということが幾度となくあった。結局のところT本が大きな態度で接することができるのは同じ派遣会社の人間に限られるわけで、どちらかというとT本には研修生を助手につけるほうがうまくいくと思うのだが。とにかく彼について考え出すと、ネガティブな方向にばかり考えが及んで、精神衛生上あまり良くない。とりあえず最後の2時間は殆ど何も言われなかった。
仕事を終え寮に戻り、そのまま寝ようと思いながらも、何の気なしにテレビをつけると、妙に興味がそそられ、結局3時近くまで見てしまった。土曜の深夜番組もたまに見ると結構新鮮である。
今朝6時過ぎに起きるつもりで目覚ましをかけたつもりが、スイッチを入れ忘れたのか、7時前にいったん目を覚ます。食堂で昨夜の残りのカレーを食べ、そのまま風呂へ。体はだるいままなので再び布団に身を委ねる。布団の中で『おジャ魔女どれみ』を見てから、12時過ぎまで寝てしまう。これまで見たことのないタイプのしかも妙に印象に残る夢を見た。
朝のカレーでもたれた胃を抱え、とりあえずコンビニへ。ビールと菓子パン、それにたまたま目についた絵入り年賀はがきを買った。しかし今のあやふやな状態では年賀状もなかなか出しにくい[この当時から、さして状況は変わっていない]。とりあえず一刻も早く、京都での生活を再スタートさせたい。
1999・12・6・月
いつもの日曜の夜に比べて昨夜は幾分寝付きが良かった。いともどおり6時過ぎに起きる。昼間の時間の殆どは、アランの『精神と情熱に関する八十一章』を読むのに費やす。2年前に買って数十ページ読んでそのままほうっておいたものだ。
まがりなりにも4年間哲学科の院に在籍していたのにもかかわらず、いざ「哲学とは何か?」と問われるとつい答えにつまる。たまにこういう哲学概論を手にするが、断片的な言葉が頭に刻み込まれるだけで、何かあやふやなままだ。
しかしこの本は、哲学入門書の類の中でも具体的な例え話が多く盛り込まれていて、幾分明確なイメージが植え付けられたような気がする。一度原文と訳文をてらし合わせてみたい。小林秀雄の訳は一つの調子を常に保っていて、そのリズムにつられてつい内容をおろそかにしてしまいがちになる。この訳文を読んでいると小林はひどく気障な奴だったように思えてくる。
午前中郵便局に年賀はがきを買いに行ったらもう無いと思っていた絵つきのものがまだ残っていた。
午前中かなり暖かかったのだが、午後になってから急に天気は悪化し、強い風が吹きすさび、気温も下がった。本当はこれが普通なのだろうけれど。
1999・12・7・火
予想していたとおり今週一緒に仕事をするのはT本。ある程度覚悟していたとはいえやはり気が重い。先週からのうっぷんがたまっていたこともあり、向こうが言う一つ一つの言葉を生返事でしのぎながらもむかつきはおさまらない。そうすると余計になるべく石に徹しようと彼の言動をなるべく意識から遠ざけようとする。
一度むこうの言うことにかなり頭がに来て、二言三言言い返したことがあったが、それからしばらくはややおとなしくなった。
そうしたいきさつがあった直後に天井からつり下げられたクレーンを移動させていたとき、作業用の機械から天井のほうへと連なる直径20センチ程の管をクレーンにぶつけて倒してしまった。突然のことに気は動転。さすがに落ち込む。不安げな顔をしていたであろう僕に、名前はまだ把握していないがややこわもて系のお兄ちゃんが「(心配しなくて)ええで」と言ってくれて妙に嬉しかった。
とりあえず11時の休憩の後は、特に問題なく、これといった文句も言われずに仕事を終えることができた。
Fさんも言っていたがT本は何だかんだ言って、実はかなりの小心者のようで、こちらが多少強気に出たら、おとなしくなる傾向にあるようだ。おとなしくしている時と、ここぞという時に強気に出る時とをうまく使い分けたら何とか後四日やり過ごせるかもしれない。
昨日から冷え込んできたのと、夜勤の気疲れのためか今日は12時半くらいまで寝ていた。そういえば、作業を終えた後、M尾君に「疲れた顔しているな」と言われた。
機能に引き続き風が強くやや荒れ模様。布団の中で『超自然的認識』を読み返す。他の著作と同じような記述を発見することがあって、少しだけヴェーユに近づいた気がする。
1999・12・8・水
昨日、作業を始める前の挨拶の中で、月曜日の僕が起こした事故についての言及がなされた。確かにあれはその後のおとがめがそれ程のものでないことが却って不気味に思える程のかなりシャレになっていないものだった。後でT本課長からも帰る時に以後気をつけるようにとくぎをさされる。それを側で聞いていたFさんからは、あれは誰にでも起こりうるもので、それがたまたま僕に起こったということだ、とは言っていたが。
さて昨日の夜勤は、月曜の僕の逆ギレ(?)が効いたのか、それとも本当にいちゃもんをつけるところがなかったのか、T本から例の人を威嚇し萎縮させるような言動を浴びることはあまりなかった。残る三日間もこの調子で続くと良いのだが。
とにもかくにも何事もなく仕事を終え、風呂に入り食堂に行くとT本がいた。メガネをかけていないのを言い訳にして彼を視界に入れないようにして、彼に背を向けるように席に着く。最初僕と彼以外にも3、4人いた食堂だったが、ものの5分も経たないうちに皆席を立ち、すぐに僕と彼だけになり、食器や椅子を動かす音だけが妙に響く状態になる。その物音に混じって小さく僕の名をつぶやくような声が聞こえたような気がしたが、あれは気のせいだったろうか?
今日の午後も『超自然的認識』を読んで過ごした。
1999・12・9・木
昨夜はT本が操作する機械の調子が悪く、かなりの時間を多の雑務と言うべき仕事に費やした。おかげでT本と接する時間が少なくなったとは言え、先週に比べるとかなり文句を言われることが少なくなったが。
そういえば昨日、これからかなりの時間を機械の調整に充てねばならないという時、これまであまり見せたことのない苦笑いに近い笑いを浮かべて、そしていつになく柔らかい口調で「ゆっくりしてて」と言ったときには、何となし不思議な印象を受けた。
ところで作業中に思うことは、後二週間でここをおさらばするということであり、京都に戻ってからの生活である。何度も書くが、特にこれといったイベントその他がなくても京都での生活は僕にとってかけがえのない魅力を持つものであり、京都での生活からかけ離れたここでの生活はやはり一時的なものだと思って開き直らねばやってられない代物なのである。
寒いとエネルギーを消費しやすいのか、また12時近くまで寝てしまう。夜勤明けを体験するのも後2日と思うとやはり感慨がわかなくもない。
昨日80ページしか読めなかった『超自然的認識』を今日は頑張って120ページ近く読む。前にもちょっと触れたが、彼女の著作を読むと、どうしてもここしばらく連日のようにテレビをにぎわしている「法の華」について考えてしまう。
福永法源が何かと言えば口にする「天声」という言葉を聞く度に言いようの無い憤りを覚える。どうして彼に面と向かって「お前は間違っている」と言えないだろう。あれは宗教なんてもんじゃない。あそこで行われているのは、救いではない。
僕は[高橋和巳の]『邪宗門』を読んで以来、新興宗教団体について考えるとき、悲哀という言葉を用いずしてそうすることができないのだけれど、テレビの報道を見ている限り、「法の華」には悲哀が感じられない。このことを強引に言い換えると、彼らには宗派を越えたところで人々に訴えかける何かがあまりに欠落しているということである。
確かに進行を貫くためには何かを捨てねばならず、そうした意味では信者が多額のお金をあえて費やすというのも意味はあるだろう。しかし、そのお金で教団施設が建てられ、福永た富むという構図は絶対に間違っている。何よりもまず始めに全てを捨て去ったところから始めねばならない筈ではないか・・・
あまりこのことについて考え出すと長くなるのでここらでやめておくが、本当にあの福永という人物は、法の手によってではなく、思想的に敗北させてやらねば気が済まない。
※この日記後半の宗教論(?)は、二十代の性急さと潔癖性的なものが色濃く残っていて、今読み返すとかなり気恥ずかしい。ただ、前にも書いたことだが、この日記に表れているメンタリティは、やはり後のカトリック受洗に直接に結びついていると思う。
1999・12・10・金
昨夜、いつもどおり所定の仕事場につき、仕事の段取りなどをしていると、加工した製品を梱包するためのヒモをぶらさげているところに観光地などで売られている[三角形の]ペナントを一回り程大きくした神がぶら下がっているのがふと目に止まった。
昼間機械をまわしているO田さんによるものだが、[梱包用に裁断した]ヒモが長すぎるという僕に対するクレームが書かれてあり、その文面があまりに子供じみたもので、こちらに反省を促すというより、こちらの反感を買おうとしているとしか思えない代物。結局夜勤の間ずっとそのことばかり考えていたような気がする。前々から大人げない人だなとは思っていたが、その思いが一層深まった。加えて早いとこここを出たいという思いも。
そういう嫌な気持ちを抱きはしたが、仕事はこれといったトラブルもなく、またT本に文句をいわれることもそんなにはなく、かなりいい感じで終わることができた。
休憩中高校卒業と同時にトータルして17、8年程フランスにいたというFさんとフランスの話をする。彼はフランス滞在中パリ第8大学に通っていたのだが、その時の話など非常に興味をそそられるもので、つい聞き入ってしまう。
因みに第8で専攻したのは、なぜか北欧言語で、そこから英文科時代に習ったこととも通底するところがあるので、半ばその話をしたくて、仕事をあがった後、そのまま一緒に食堂で御飯を食べた。こんなところであんな話ができる人に会えるとは思わなかった。
今日起きたのは、12時。途中9時頃に一度目を覚ましたのだが、寝ぼけて一瞬午後3時[時計の時針の位置がちょうど反対に見えたということか?]だと勘違いしてしまった。
いつもどおりカップめんの昼食を済ませた後はまた『超自然的認識』。残り108ページを何とか今日中に読み終えたかったのだ。昨日に比べて体調が良く、頭がすっきりしていたためか、思った以上のペースで読み進めることができた。結局最後まで読み終えたのが3時を幾分まわった頃だったろうか?
その終わりのほうを読んでいた頃だったか、ノックの音。ドアを開けると、やはりT本。今日5時に派遣の人間が集まるという話は月曜の6時に変更になったとのこと。何とも不信感を抱かせる話である。
それはともかく今日で夜勤も終わり。そして恐らくここのカレーも今日食べたのが最後になるだろう。先週は土曜の夜中働いたため、何となし損した気がしているので、余計に明日明後日と殆ど丸々フリーになるのが嬉しい。
1999・12・11・土
かなり気が重かったT本とのタッグ(?)も昨夜で終わり。とはいえ最後のほうはかなり和やかな空気になったが。昨夜は11時の休憩時間になるまでは、何だか妙に苛立っていたが、それでも少々のミスをしても口元でブツブツ言うだkで、こちらの反感を買うような発言は皆無。それ以降は更に態度は穏便。作業中に出す指示もいつになく口調が優しい。
出荷した製品の数が規定より多くて、その多い分を出荷前の製品と一緒にした時も、妙に天真爛漫な笑みを浮かべてミスをたしなめていた。こういう調子でずっといてくれたら彼に対する評価もずいぶんと変わるのだろうけれど。
作業を終え、休憩所でだべっていると、U君が持ってきた雑誌を見ていたFさんがいきなりその雑誌に載っていた椎名林檎について語り出したので、少々面食らう。フランスにずっと滞在していたというだけあって、40という年のわりには、しゃべる内容やその語り口に若々しさは感じていたが、それでも椎名林檎のライブのチケットがとれずくやしかったとイイダされると、さすがにちょっとひく。
仕事をあがり、そのまま布団にはいる。6時過ぎに一度起きて、もし残っていたら昨夜の残りのカレーを食べて風呂に入って、再び布団に入ろうと思ったのだが、カレーは残っておらず、とりあえず夜勤のときにゲットしておいたパンと牛乳を食べて、また眠りに落ちる。
12時半頃どうにか起き出す。起きた時は小雨がパラついていたが、昼食を買い求めに外に出る頃には晴れ間がのぞいていた。どうも最近天気が不安定だ。
いつものスーパーまで自転車を走らせたのだが、こんなことをするのも後一回か二回と思うと何だか不思議な気がする。ということは、あたり前の話だが、この日記も終わりが近いということでもある。
帰りにお約束のビールを買って寮に戻る。階段の踊り場で風呂の行こうとしていたM君に会った。仕事以外で彼に会うのは、初めてで、何だか変な気がした。
昼食を食べてビールを飲むと何だか寒くなってきて、つい布団にもぐり込んでウダウダしてしまう。明日はもうちょっとましな過ごし方をしよう。
1999・12・12・日
昨夜だらだらと深夜番組を見続けてしまったためか、今日はいつになく朝寝坊。『おジャ魔女どれみ』も見損なってしまった。
今日晴れていて、なおかつ遅くとも8時前に起きることができたら、もう一度伊吹山に登ろうかと思ったが、天気はぐずつき気味であきらめることにした。
幸い昼御飯を調達しにコンビニに向かう頃は幾分晴れ間が覗いてくれたが、しかしその後はやはり天気はぐずついていたようだ。国道に自転車を走らせながら、右手に雲の合間からのぞく日の光に照らされる伊吹山を見ていると、何となしたまらない気持ちになってくる。この先あの山に登ることが一体あるのだろうか?
コンビニの弁当を食べ、ビールを飲むとまたもやウトウト。つい布団にもぐり込んでしまう。6時前になんとか風呂に入る決心がつき、その後はヴェーユの『労働と人生についての省察』を読みなおす。
この頃の彼女はまだ信仰を持っておらず、それこそ「超自然的」とでも形容したくなる特異な思想を生み出すには至っていない。しかし、それでも彼女の透徹したまなざしは随所に感じることができる。
3ヶ月程のブランクをおいて読みなおした「工場日記」だが、具体的な数値が逆に、今となってはそこで何が行われていたかをわかりにくくしてしまうことを改めて感じた。しかし何より目を疑ったのが、9時間全く休みなく働かねばならないという記述。今、僕は平日の日勤の実労働時間が残業を含めると11 時間という条件のもとで働いているが、それはあくまで1日に4回休憩時間があるという前提があるからこそできること。恐らく現在の何倍もの劣悪な状態であった工場内での休み時間が全くない9時間ぶっ続けの労働がどんなものであったかを想像すると、何ともおぞましいものさえ感じる。
1999・12・13・月
一週間半ぶりの日勤。そしてここを去る日も秒読み段階に入っていると思うと、例えば昼食の弁当も後何回かだとか、一つ一つの行為が何か特別なものに思えてくる。
朝礼の後T本課長に今週の土曜休ませてくれと頼むと、一応承諾しれくたのだが、その後別の所に@@@(原文読解不可能)られ新しく作成し直した夜勤のシフト表を渡され、来週も夜勤をやってくれと言われる。いい加減にしれくれと思うが、抗議のための言葉が思いつかず、受け入れるほかはない。どうでなら最後の日の朝礼の時にみんなの前であいさつをしてここを去りたかった。
最後の日勤で一緒に組むことになったのはO原君。多分NさんかK玉さんと組むと思っていたのだが、これはこれでいい。先々週彼とは結局三日間しかやれなかったので、もうちょっと[一緒に]やってみたいと思っていたのだ。
とりあえずこれといったミスをとがめられたりすることはなかった。しかし、相変わらず一日のノルマがなかなか把握できず、少々気疲れがする。今日は次のノルマのために段取りをしておいたのに、予定が変更になったり、次のノルマが直前まで分からないなんてことがあった。それでもO原君の柔らかい物腰で大分気が楽になったが。
ところで普段だったら、T上さんやO田さんが使用する休憩所で休むところだが、先週、先々週のO田さんとのいきさつ、それにT本もそこに来るということもあって、今週は普段FさんやM尾君がいる所で休むことにした。今回から研修の子らが別の課に行ってしまったので、何となし活気が無い。
今日は七時から派遣の人間を集めての安全会議。別になんてことないとってつけたようなもので、こんなもののために労働時間を削られたとFさんがぶつぶつ言っていた。例のY君の自己もあたりさわりが無い程度にしか触れず、派遣から来た営業マンA本さんはつくづく日和見主義者なんだなと思ってしまった。
会議とは名ばかりの愚も着かない集まりは七時半に終え、そのあまま夕食を食べる(会議が行われたのは、食堂の奥の会議室だったため)。
久しぶりに『ヘイ・ヘイ・ヘイ』を見る。エレカシの宮本がブチ切れていたので、ちょっと嬉しくなる。テレビの音楽番組を見て、「スゲエ」と思ったのは久しぶりだ。あれをH君は見ただろうか?
1999・12・14・火
今朝、いつもどおり食堂に足を踏み入れると、夜勤明けのK山君がいて、しばらく話をしながら、朝食をとった。余談だが、今日もまた朝食のおかずはみんな先に食べられていた。まったっくもうという感じである。しょうがないから昨夜の残りのトンカツを食べる。それにしてもよりによってなんでT本も毎朝あんなに早く食堂に来るのだろう?
仕事の段取りをして所定の機会についてふと横を見たらO原君じゃなくkてT上さん。T上さんが回す機械はM利君がまわして、O原君はまた別の機械で働いていた。
午前中、FさんやM尾君が働いている機械で五人制。午後から、僕やT本が働く機械で五人制になるとのこと。思わずめげる。
午後、三時の休憩までわりに調子が良かった。幸いもう一人の助手のT本がわりによく動いてくれる。ただ若干その動き方に独りよがりなところが見られるが。それからこのあいだの一件以来O田さんにあまり近づきたくなかったのだが、五人制だとどうしてもO田さんの機械も加勢せねばならない。最初若干わだかまりがあったが、そんなことも言っておられず、感情よりノルマが大事とばかりにごく普通に一緒に仕事をした。
三時の休憩の後、段々と疲れが出始める。五時の休憩の後は頭と体、共に働きが鈍る。それでも、もう後少しだからと我が身にムチ打つ。七時にT本(T本課長とは別人)さんが加勢に来てくれてかなり助かった。今日はかなり疲れた。
1999・12・15・水
今日は月に二度ある清掃日で、最初三十分は掃除。実際の作業が始まるのは、九時近かった。朝からT本がいないと思っていたら、T本がいるはずのO田さんが回す機械にはM利君。もしかしてこれは午後から五人体制かなと思ってT上さんに聞いてみるとやはりどうだと言う。さすがにちょっとめげる。
五人制になってしばらくは、それなりに動いてはいたが、やはり三時をまわったあたりからかなりダウン。しかも昨日何も言わなかったO田さんがまた子供じみた嫌みを言ってくる。全くこいつはガキかと思うが、つとめて聞き流すようにする。もう一人の助手M利君にかなり負担をかけたような気がする。
五時でM利君があがり、それ以降はT上さんがO田さんの助手をするという体制になり、ホっと一息。もういい加減にあんなしんどいことはしたくない。
仕事をあがってそのまま食堂へ。そこで一緒になったFさんとM尾君と今日休んだT本のうわさ話をする。彼の話をするのも後何回か。彼も根は悪い人間じゃないんだから早いこと頭を切り換えればいいのにと思う。
1999・12・16・木
夢の途中でふと目が覚めたと思った次の瞬間に目覚ましが鳴る。昨日寝付くのが遅かったのと何より仕事の疲れのためにサっと起きられない。しかし二、三分程布団でウダウダしてから何とか起きあがる。
食堂に行ったら、K山君とGさんが夜勤明けの食事をしていて、K山君から「めっちゃ早いですね。」と言われる。いつもどおりの時間のはずだがと思いながらテレビの画面に出ている時刻を見ると五時四十五分。いつのまにか目覚ましの針が何かの拍子で早まっていたらしい。
今日こそ五人制にならなくていいだろうと思って仕事に入るが、今日はT上さんがいない。これは午後から五人制かなと思ってFさんに聞いてみたら、午後から出てくるとのこと。ホっと一安心と思いきや、午後になってもT上さんは現れず。結局三日連続の五人制。やり場の無い怒りにかられる。今日もO田さんに嫌みを言われてムカつく。どうもあの人とは相性が悪いようだ。しかし、あのオッサンと仕事をするのも多くて後一回なのだ。
1999・12・17・金
朝、仕事が始まる前に一日のノルマを把握して段取りを考えているところに、T本が来る。何事かと思うと、夜勤が日記に変わったとのこと。「何じゃそりゃ!!」という感じである。まあもともと日勤のほうが望ましいとは思っていたが。しかし、夜勤のつもりで色々と段取りを考えていたので、妙な腹立たしさのようなものも覚える。
十時の休憩時間に手を洗って休憩所に向かい時、向こうから手洗い場に行くM尾君からすれ違いざまに今日もまた五人制だと言われる。さすがにいい加減にしてくれと思う。でも五時に上がるつもりでいたから、幾分ましだろうと思って耐えることにした。
休憩の後、おりよくI原さんが別の用事で僕達の機械に来たので、今日は五時であがると告げる。初めての、そしておそらく最後になるであろう五時あがりである。五時であがるというのと、待ちに待った吉田寮ライブに行くということで三時あたりからずっと頬の肉はゆるみっぱなしである。
仕事をあがってそのまま食堂へ。K山君が来て、少し話をした。今月工場を去るときの荷物をなるべく減らそうと思って、二つのバッグにかなり無理して荷物を詰め込んで京都に向かったわけだが、とにかく工場から駅までの道程が死ぬほど長いものに思われた。おまけに出発してすぐに片方のバッグのショルダー・ベルトが壊れてしまうし。それでも何とか駅に着く。後はひたすら京都に向かうのみ。京都駅に着いて、すぐにバスに乗れた。
下宿に戻り、簡単に身支度を済ませ、いざ吉田寮へ。しばらくああいう猥雑な雰囲気の場所から遠ざかっていたので、何だか頭がクラクラした。しばらく会っていなかった知り合いの何人かに会う。珍しくH君も来ていた。京都に戻るときは、いつも連絡を入れるのだが。あんなところで会うのも何だか変な感じだ。[自分の性同一性障害を]カミング・アウトした知り合いのSさんと会って、工場労働の話で盛り上がる。実は彼(女)も滋賀の工場で住み込みのバイトをしているのだ。
ライブのほうは何せ疲れているのでいまいち乗れない。トリから二番目のキング・ブラザーズまで体力を保たせるためになるべくおとなしくし、酒も控えた。その肝心のキングだが、機械の調子が悪かったのか、 ボーカルの声がよく聞こえず残念だった。しかし前のほうの客はそんなことおかまいなしに暴れていたか。
下宿に戻ってホット・カーペットをつけその上で毛布を被って寝た。
1999・12・18・土
起きてみたら十二時前。さすがにノドがいがらっぽい。とりあえず昼ご飯を食べに行く。京大の書籍分で文庫化されたレヴィナスの『存在の彼方へ』を買い求める。久しぶりに本屋で本を買う。しかも哲学書。こんなこと何ヶ月ぶりだろう?
帰りに散髪屋に寄った。三ヶ月ぶりの散髪である。シャンプーをしてくれた兄ちゃんが「今日は京大休み?」と聞いてきた。現在フリーターと言う何だか面倒臭いので、D大の英文科四回生ということで通しておいた。
いったん下宿に戻ってから河原町へ。旅館のバイト先で年末年始のバイトに出ることを告げる。それからヴァージン・メガ・ストアで弟と母親へのプレゼントを買った。
夕方になる前くらいにH君が来る。昨夜瓜生山に登ろうかという話をしていたのだが、しんどくてそんな気になれないようで、結局行かずじまい。下宿で話をして、その後二人で古本屋に行く。『魯迅作品集』と倉橋由美子の小説を買った。
1999・12・19・日
昨夜は九時前に下宿を出て再び吉田寮ライブへと向かう。体力が戻ったこともあって一昨日より楽しめた。前からちょっとだけ気になっていたOKミュージック・ボールといういバンドが良かった。できたら彼らについてもっと詳しいことを知りたい。最後から三番目のチェルシーの演奏が始まるあたりからだろうか、空が明るくなり出し、いつのまにやらすっかり朝になっていた。
普段だったらベロベロに酔っぱらっているところだが、今回はいつになく酒は控えめ。ここ[工場の寮]にいる間殆ど無茶飲みすることが無かったので、あまり一度に飲める体質で無くなったのかもしれない。
下宿に戻ると七時をまわっていた。とりあえず布団に、身を委ねる。ふと眼を覚ますと一時半過ぎ。十二時くらいに起きたいと思っていたので、若干あわてる。今日のうちに出そうと思っていたメールも次にまわすことにした。
素早く身支度をして下宿を後にする。そのときにカバンにしのばせた分古本はコンラッドの『闇の奥』。以前とある授業で紹介された『密偵』に興味を持ったのがきっかけで、[『密偵』を買い求めるついでに]買い求めたものだが、買ってから数年間何度か手にはしたが、どういうわけか結局はなおざりにされたままという代物である。
『密偵』も何か奇妙な感触とストーリーを持った作品だったが、この作品もかなりそういう傾向がある。まず第一に作品の冒頭の語り手が、本筋の語り手から話を聞くという形態が奇妙である。
もちろんそういう形態をとった話はそれ程珍しいものではない。この小説の場合特に奇妙に思えるのは、最初の語り手が本筋の語り手へと代わるその流れである。そして本筋の語り手は殆ど目の前の聞き手など眼中に無いかのように淀みなく語り、最初の語り手が口を挟む余裕を与えない。そしてこれは訳の問題だが、カギ括弧と二重カギ括弧の使い方が一読しただけでは分かりづらく、とりあえずは括弧は文章の区切りを示す、最低限の目安と考えて読み進めることを強要される。
しかし読み進めてはみたものの、何か具体的なイメージとストーリーがつかみにくい叙述が続く。ただただ抜き差しならない状態が描かれているということだけが強く感じられ、その状況を追うためだけに文字を追う。
この作品は作者コンラッドの体験に基づくものらしいが、むしろその体験を特殊なやり方でデフォルメした一種の幻想小説ではないかという気さえする。
そんなこんなで百数十ページほどの本だが、バスと電車に乗っている間には半分程しか読めず、寮に戻ってからも、かなりの時間をこの本を読むのに費やした。
それにしても、ここで働くのも後三日だ。一昨日しんどい思いをして重い荷物を持ち帰ったおかげで、今度京都に戻るときはわりに楽になりそうだ。
1999・12・20・月
昨日の日記には書きそびれたが、二晩ここを空けていた間に、周囲の山が一挙に雪化粧をしていて、かなりびっくりした。そして当然のことながら、寒さも厳しくなった。
何はともあれここで過ごす最後の週に突入。何と無しそわそわした気分になってくる。そしてここで最後に組むのは、K家君。十一月に組んだときは、かなり色々と文句を言われて、めげたが、そのときの経験が無駄では無かったのか、今日はそれ程注意を受けなかった。心なしか、こちらに対する口調も柔らかくなったというか、ある種の親しみさえこもっているように思える。
昼、K山君と一緒に御飯を食べている時、彼が後で自分の部屋にギターを弾きにこないかというので行ってみる。彼はビートルズと山崎やまよしの楽譜を持っていて、山崎の曲の弾き語りをやってみせたが、思ったより渋い歌声を出していて、ちょっとびっくりしてしまった。
今日は三時から棚卸し。で、この時間は派遣の人間同士集まって作業をさせられるが、そのときは当然T本と一緒に仕事をせねばならない。棚卸しのときにやらされる作業ははっきり言ってかなり楽なのだが、T本と顔をつき合わせてやらねばならないというのが、若干うざい。しかしそんな思いをするのも後わずかである。
うざいと言えば、五時の休憩時間に手洗い場で並んでいるとO田のおっさんからしょうもないいちゃもんをつけられてちょっと嫌な気持ちになった。やっぱりどうもあのおっさんは苦手だ。
仕事をあがった後、そのまま食堂へ行き、僕とK山君、Fさん、Gさんという派遣の人間が集まって一緒に夕食を食べる。中国で日本語教師をやりたいというK山君を巡って色々な話をする。しかし、K山君と話をしていると時々いらいらすることがある。
1999・12・21・火
朝、いつもの時間に食堂に行こうとすると、うっすらと雪化粧をしている。テレビの天気予報でも、今日は東北、北陸などで大荒れの天気になるというので、もしかするとこのあたりも雪で閉ざされるのではないかという懸念がわく。がしかし、昼頃はかなり日が照って、雪は殆ど跡形も残っていなかった。
今日、作業に入ってからしばらくは、妙に気ぜわしい状態が続き、今一つ仕事のリズムに乗れなかった。加えてノルマの変更があったりして、K家君との意志の疎通がうまくとれないことが続く。それでもまあそれなりにうまくやっていると思っていったが、今日の仕事の終盤にかなりきついことを言われ、めげる。加えてなぜか知らないが、夕方にさしかかった頃からT本がこっちの機械に来て、K家君に何やら話をしているのが、妙にきにさわる。作業の後の掃除の時には、K家君の手伝いまでし始めて、鬱陶しくてしょうがなかった。しかし、雨が降ろうが槍が降ろうが、ここでの仕事も明日で終わるのだ。
それから今日Fさんから明後日Fさんの部屋のベッドの解体を手伝ってくれたら、帰りの交通費を持ち、さらに駅まで[車で]送ってくれるという話を持ちかけられ、一も二もなく乗る。これで明後日の天気の心配はあまりしなくて済む。
仕事をあがった後、また昨夜と同じ四人で夕飯を食べた。Fさんが昨日、どうして他の会社では派遣の人間同士仲が良かったのに、どうしてここではそういうふうにならないのだろうと言っていたが、その理由の一つは派遣の人間を仕切っているのがT本だからだろう。
食後風呂場でK山君と一緒になってまた話をした。
1999・12・22・水
朝から鼻とノドの調子がおかしい。おかげで今日一日、しかもここで働く最後の日というのに不調だった。おかげで今日はずっとK家君に文句を言われどおしだったような気がする(本当はそうでもないのだが)。特に夕方あたりからかなり大ボケな失敗を繰り返していた。どうせなら有終の美というやつを飾りたかった。おまけに午前中パレットの修理をしているところにO田のおっさんが来てまた子供じみた嫌みを言う。今日でもう顔を見なくて済むと思うとせいせいする。それからどういうわけか、何かにつけT本が来るのがやたら鬱陶しかった。何考えているんだろうあいつは。
五時の休憩時間に休憩所に行くとF田さんの姿が見えず、K山君がFさんがいない分空いた席を勧めてくるので、どうしたことかと思うと、ころんで頭をケガしたとのこと。普通ころんだくらいでそうそう大きなケガにならないが、悪いことにころんだ先に壁にとりつけてある機械の制御装置に頭をつぶけ、十五針も縫うケガになったとのこと。つくづくこの会社での派遣はことごとくろくなことにならない。やはり早いことここを去るに超したことはないようだ。
というわけで最後の最後になって、これといった良い意味で心に残るエピソードの無い一日を過ごすことになってしまった。しかし、とりあえず僕自身は何とか大きな問題も無く、約四ヶ月半の仕事をやり終えることができた。それにしても、思った以上に自分が要領が悪いということがよく分かった。これもまあ今後何か仕事をしていく上で参考になるだろう。でも、やはりもうちょっと熟達した仕事ができるようになりたかった(終)。