| 初っ端から唐突で恐縮だが、僕にとって日本の音楽シーンが一番面白かったのは、実は1977から80年あたりにかけてではないか、という気が最近になってしている。確かに今の音楽シーンもこれまでになく雑多になっていてそれなりに楽しめるのだが、しかしそれは何となしある程度出るものが出尽くした後での雑多というか混沌で、この時期にあった色々なものが生まれ出でようとする混沌とは、その未分化のパワーの度合いという点で圧倒的に違っているように思える。勿論この見解はあくまで僕の個人的な音楽体験に根差すものであり、決して一般化しうるようなものではないが。 そしてその77年から80年あたりまで一世を風靡していたのがこの文章のテーマとなるニュー・ミュージックというやつである。このニュー・ミュージックと呼ばれる音楽は殊ロック・ファンには白眼視されがちである。そういえば、以前カラオケでアリスの曲を歌ったらとある先輩から「銀蝿を駄目と言いながら、アリスの曲を歌うというのが分からない。」いうような揶揄をされたことがあったが、実を言うと幼稚園の時に芽生えたフィンガー5をきっかけとする音楽への興味を、再び呼び戻したのが他ならぬアリスだったのだ。そしてアリスへの興味から丁度そのころ放送を開始した『ザ・ベストテン』や、幾つかのラジオ番組を通じて色々な音楽に触れていくことになった。そういえば、RCサクセションを初めて目にしたのもテレビでやっていたアリスが主催するつま恋でのイベントでだったし。さすがに今アリスの曲を改めて聞く気にはとてもなれないが、しかしこうして振り返ってみると彼らと彼らを含めた当時の音楽状況というのが、意外に僕の音楽体験に大きな影響を及ぼしていることがわかる。それにソング・ライターとしての谷村新司の才能に対しても、それなりの敬意を抱いている。 ところで今日二ユー・ミュージックと呼ばれる音楽は、先程も触れたように保守的な音楽の別称かのように思われがちである。そのことにあえて異を唱える気は無いが、しかしあの当時のニュー・ミュージック・ブームが一つの時代的雰囲気を作り、それが狭義のニュー・ミュージック以外の様々なアーティストを世に知らしめることになったのは、評価に値するのではないかと僕は思うのだ。まずそれまでフォークやロックの音楽に携わる人達はあまりテレビに出なかったのが、このあたりを境にして段々とテレビに出るようになった。この点はまず注目すべき点であろう。とはいえ、当時にあってもテレビ出演を拒否するミュージシャンはその数は限られてはいたが、何人かいた。しかしそれらの出演拒否していた人達の中から今ではCMに出たり、ドラマに出演する人が出たりしているのだからまさに時代の流れを感じざるをえない。そしてこのような状況は、当然のことながらこのニュー・ミュージック・ブームと呼ばれる潮流があってのことである。 ところで、ここで注意しておかねばならないことがある。今日ニュー・ミュージックと呼ばれる音楽と当時ニュー・ミュージックという名のもとに一括りにされたミュージシャンとの間には若干のズレがあるということだ。前者の場合、特にフォークの流れから出てきながらもより洋楽テイストが強かったり、ポップ色が濃ゆかったりという特色をもつ人達に限られているように思えるが、当時においてはフォーク、ロックを問わずそれまでになかったメジャー志向を持つ自作自演のミュージシャン全般に対してこの名称が冠せられていた。つまり狭義のニュー・ミュージックの範疇に入る代表と言えば、アリス、中島みゆき、松山千春、オフ・コース(もっとも彼らが本格的にメジャーになるのはもう少し後だったと思うが)、チューリップ、チャゲ&飛鳥、そしてもっと広義になると矢沢永吉、ツイスト、松任谷由美(彼女の場合前者に入れてもいいかもしれないが)、甲斐バンド、サザン・オールスターズ、山下達郎、原田真二、ゴダイゴといったあたりがその範疇に入るだろう。そしてその昔タモリがニュー・ミュージックが嫌いだと公言して憚らなかったが、そのときに彼が言うニュー・ミュージックとは概ね前者のミュージシャンに限られると思われる。そういえば当時ツイスト。チャー、原田真二がロック御三家と言われていたという事実も、時代を物語るエピソードだと言えるだろう。つまりニュー・ミュージックという名称が実に曖昧かついい加減でありながら、なおかつそれによって名指される幾多のミュージシャン達がほぼ確実にある種の時代的雰囲気を共有していたということである。 さて松任谷由美ことユーミンの名前が出てきたところで、彼女に関する個人的エピソードを一つ。アリスに興味を持ちはじめ、ひいてはニュー・ミュージックと呼ばれる音楽に関心を持つようになった頃、ちょっとしたショックを覚えた曲が他ならぬユーミンの「埠頭をわたる風」という曲だった。メロディー・ラインの新鮮さという点から言えば、自己紹介の文章で挙げたフィンガー5の「恋の研究」以来の新鮮さを感じさせるものだったと言ってもいいかもしれない。数年前だったかにたまたまこの曲を久しぶりにラジオで耳にしたとき、改めてそのメロディーの斬新さに驚いた記憶があるが、僕の中ではある時代の節目を飾る一つの象徴といってもいいいような曲である。「まつとうやゆみ」という少し変わった響きを持つ名前とこの曲のメロディー・ラインは、僕にこれまでとは違う世界が開けてくるかのような気持ちにさせたのだ。ちなみに同じようなショックを与えた曲としてスピッツの「ロビンソン」が挙げられる。そういえばこのバンドの楽曲も70年代後半に出てきたら確実にニュー・ミュージックの範疇に括られるような斬新ではあるが耳になじみやすいメロディー・センスを持っているように思う。 ところで広義のニュー・ミュージックの流行の最も大きな、そして最も評価すべき影響として、このあたりを境にいわゆる職業作詞家及び作曲家の専売特許と思われた特にアイドル系を中心とした歌謡曲の世界に、ニュー・ミュージック系のミュージシャンが楽曲提供をいうかたちで参入し始めたことだ。個人的にこのような傾向は松田聖子によって歌われた松任谷由美や大滝詠一の楽曲の一連のヒット曲に一つの結実点を見るのだがどうだろうか?あの辺りから確実に歌謡曲の質が大きく変わったように思えるのだ。それはともかく佐野元春や大沢誉志幸が沢田研二、中森明菜への楽曲提供によって世に知られるようになったのも、今まで述べてきたような布石があってのことだろうし、そう考えるとシャ乱Qによるモーニング娘。やプチモニのプロヂュースなんかも広義でのニュー・ミュージックの流れの影響の下にあると言えるかもしれない(そういえばつんくは、『Love Love あいしてる』で長渕剛の曲を歌っていたし、高校の頃だかにチャゲ&飛鳥のコンサートに行ったことがあるというのを何かで読んだ)。 とこれ以上僕の頭の中にある記憶の蓄積を色々とたぐりよせてもあまり意味が無いようにも思えるので、強引に結論に移ろう。つまり現在狭い意味でニュー・ミュージックと呼ばれている音楽は、確かにその殆どロクなものではないし、おそらくその流れにあると思われるミュージシャン達(今ぱっと頭に思い浮かぶのは、ELT、キロロ、岡本真世あたりか)も、どこか保守的な匂いがしてこれまたもう一つ面白くない。ただ77年から80年あたりにかけての広い意味でのニュー・ミュージック・ブームと呼ばれる潮流は、それまでの日本におけるフォークやロックとテレビを大きな媒体とする歌謡曲との間にあった壁を低くする役割を果たし、そのことによって広義での日本のポピュラー・ミュージックの質と、それをとりまくマスコミとの関係に大きな影響を与えたという点でかなり評価できる。 そして最後に遠い過去の追想をお許し願いたい。確かあれは79年頃放映されていたものだと思うが、加藤和彦と竹内まりやによる音楽番組が土曜の夜にやっていた。今思えばかなりすごいことだと思うが、当時においても新鮮でそれこそ新しい時代の息吹きのようなものを当時の僕は感じ取っていたのかもしれない。残念ながら番組のタイトルが思い出せず、なおかつどんなミュージシャンが出て、どんな楽曲をやっていたかなんてことも殆どと言っていいほど記憶にないが、とにかく毎週楽しみにして見ていた印象が強くある。ニュー・ミュージック・ブームという潮流のさなかに生まれた、時代を象徴するような番組の一つだったような気がする。たとえ放映時間が短くてもよいから、あのような本当に音楽を理解している人間をパーソナリティに迎え、なおかつ押し付けがましくない程度にバライティ色のある音楽番組がゴールデンタイムに放映されるようになることを望んで止まない。 |