思い出のアルバム第6回

 オーティス・レディング『ヨーロッパのオーティス・レディング』

 

多分僕より数歳上あたりから僕より二つ、三つ下あたりまでオーティス・レディングを知るきっかけになったのはRCサクセションだったという人は多いと思う。御多分にもれず僕もそのうちの一人だ。そういえば、数年前『Cut』にコラムを連載していた山下達郎氏が次のようなエピソードを寄せていた。氏の自宅に遊びに来た高校生の甥っ子に「オーティス・レディングのCDはないか。」と聞かれ、予期せぬ申し出にどうしてオーティスに興味を持つようになったのかと問うと、RCもしくは忌野清志郎の影響だと答えたと。数年前の話とは言え、この達郎氏の甥っ子は、当然僕なんかよりもかなり下の世代に属する。清志郎の影響力恐るべし、と言ったところか。ちょうど今ミッシェル・ガン・エレファントの影響でパブ・ロックやブリティッシュ・ビートに興味を持つ人が増えているのと同じ類の現象だと言ってよいだろう。

さて当のオーティス・レディングだが、かつて「ブルースについて」で触れたように、基本的にいわゆる黒人音楽にのめり込めない僕は、結局このオーティス・レディングにものめり込むことができなかった。渋谷陽一がよく言っている、オーティス独特の湿り気のようなものにどうしてもなじめない、というのはよく分かる。僕もどちらかというとそのクチだ。少なくともオーティス以上には好きになったジエームス・ブラウンにしても「イッツ・ア・マンズ・マンズ・ワールド」みたいなタイプの曲はかなり苦手だ。それじゃあ何でビリー・ホリデイの時折悲痛にさえ聞こえる湿り気過剰な曲が好きなのかというと、これはもう理屈じゃない。遠藤みちろうの言葉を借りると、「女性の生理は、国境を超えるから」ということにでもなるのだろうか?そのビリー・ホリデイにしたって四六時中聞いているわけではないし。

やたら話があっちこっちに飛んでしまったが、いい加減に『ヨーロッパのオーティス・レディング』に話を戻そう。日本におけるブルースやリズム・アンド・ブルースの大家(と言っていいんだろうな多分)鈴木啓志氏は、このアルバムをあまり評価していない。要するに白人への迎合が強く感じられるというのが、その最大の理由だと思う。確かにビートルズの「デイ・トリッパー」やストーンズの「サティスファクション」をやったりするというのもさることながら、最初に聴衆に「O−T−I−S R−E−D−D−I−N−G」なんて言わせているのも、ショー・アップ志向があまりに露骨だと映って嫌悪感を抱かせるのかもしれない。逆に言えばだからこそこのアルバムは特にロック・ファンへの受けがいいのだと思う。それにしても、この当時は他のアーティストのカバーが実に屈託なく行われていたというのにちょっと唖然とする。だってこの当時彼がストーンズやビートルズのカバーをしてたというのは、今スピッツがミスチルのカバーをしたり、グレイがルナシーのカバーをするようなもんだ。多分著作権とかに対する意識も今よりずっとおおらかだったんだろうな。というよりそれだけ魅惑的な曲が多く存在していたということの証でもあるのだろう。それに比べて…・などと言い出したらきりがないので止めておこう。

このアルバムを手に入れたのは、高校一年の時だったが、中学三年にそのほんの極一部をFENで聞いたことがあった。確かオープニング・ナンバー「レスペクト」と「サティスファクション」だったと思うが、とにかくその頃の僕にとってはオーティス・レディングをラジオで聞けるなんてこと自体が得難い体験に思えた。かのキース・リチャーズが自分達のヴァージョンよりオーティスによる「サティスファクション」のほうが好きだとコメントしていたのは知っていて、どんなのだろうと興味は持っていたが、それをライブ・ヴァージョンで聞けるなんて本当に奇跡的にさえ思えたものである。今にして思えば実に些細なことに感激できるお目出度いガキということになるのだけれど…・何はともあれこのことからオーティスのアルバムで最初に買うのは、なんだかよく分からないけれどとにかくライブ盤にしようと心に決めていたのである。そして高一の九月に手に入れたこのアルバムだが、最終的にオーティスにのめり込むことはなかったとはいえ、買ってしばらく本当に聞きまくっていた。そもそも録音時間は三十分強とあまり長くないのだが、それ以上に短く思えるくらいに一気に聞きとおしてしまう。後に清志郎がそのまんま受け継ぐことになる「ガッタ・ガッタ」という掛け声、これだけでも高校生だった僕をノック・アウトするのに充分な威力があった。何といっても前述した聴衆にオーティスの名前をアルファベットで言わせてオープニングの「レスペクト」になだれ込むところが圧巻。この曲は終わり方もいかしている。

そういえばRC時代に「スイート・ソウル・ミュージック」の最後のほうに「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」の一節を織り込むという大胆不適なことをやってのけた清志郎だが、『キング・オブ・ライブ』というライブ盤においては、このアルバムにも収録されている「アイブ・ビーン・ラヴィング・ユー・トウーロング」をその「スイート・ソウル・ミュージック」の終盤に唄ってみせている。RCによる「アイブ・ビーン〜」を耳にしたのが、中学三年の十二月。その後高校に入る直前にストーンズの『ガット・ライブ・イフ・ユー・ウォント・イット!』でこの曲を聞き、そして最終的には、更に半年後御本家による「アイブ・ビーン〜」をしかもライブ・ヴァージョンで聞いたという体験は、何か一つの確信めいたものを僕に植え付けたのではないか、という気がする。

ところでこのアルバムがロック・ファンに受ける最たる理由の一つは、このアルバムが他のオーティスのアルバムにはない躍動感に満ち溢れているということだと思う。実際このアルバムは他のアルバムに比べてアップ・テンポの曲が多い。ちょっとひねくれた見方をするとこのアルバムからオーティスに入ったロック・ファンが他のオーティスのアルバムを聞いて、あんまし気に入らず結局聞くのはこのアルバムだけなんてことも結構ありそうである(僕自身どちらかというとこっちの部類に属する)。だから余計に筋金入りの一部ソウル・ファンにはこのアルバムの評判が良くないのかもしれない。ここらへんの認識の違いというのはかなり大きな問題で僕なんかがあまり偉そうなことを言えることではないのだけれど、分析の余地のあることだとは思う。この認識の違いというのは、かつて一部ジャズ・ファンが毛嫌いしていたローランド・カークが今クラブ・カルチャー周辺で見直されたりして結構ロック・ファンに近しいものになっているという事実ともどこか共通するものを感じる。またオーティスによるサム・クックのカバーはオリジナルにひけをとらないということでかなり評価が高いが僕は殆どのヴァージョンに関してサム・クックのほうが好きである(けっして「軍配を上げる」とは言わないが)。サム・クックもまた白人に迎合したところがある、ということで時々非難の対象になる。でもやっぱりサム・クックは他のソウル・シンガーに比べロック・ファンに近しい存在でもある。やっぱりこのあたり難しいよな。

ところでこのアルバムの録音が行われた年の十二月にオーティスは飛行機事故によって死亡している。もし彼がもう十年長く生きていたらどうなっていただろう?という思いがふとよぎる。このライブの三ヶ月後にかのモンタレー・ポップでジミ・ヘンを始めとするロック・ミュージシャンと同じステージに立ち喝采でもって迎え入れられた彼だが、しかし…・・結局のところ彼は仮にもう十年長く生きていたところで、良くも悪くも彼が亡くなった時に立っていた地点より先を行けなかったのではないか、という思えるのだが、どうだろう?彼がある種伝道師的にゴスペル・ソングを地道に歌い続けるというスタンスを頑なに取り続けていたならば、別にそれはそれでよかったと思う。その場合前進も後退という発想も無いし、誰もそんな枠で彼を捉えようとしないだろうから。実際彼はデビュー当時からそのスタイルはほぼ完成していたと言っていいし、多くのファンは基本的に彼にそのスタイル以上のことをするのを期待していなかったと思う。しかし、晩年の彼は悪しき意味での巨大なロック・ビジネスにからめとられようとしていた側面があったのではないだろうか。その世界にからめとられたとき、見えない「先」に向かってやみくもに走り続けることを強要される。もし彼が生きていて、そのような状況を強いられたとしたら、目も当てられないくらい無残なことになっていたのではないか、という気がしてならない(考えられる線としては、サイケ調のアルバムを作るとか、ジェームス・ブラウンみたいなファンクをやらされるとかっていう感じかな)。そう考えると彼の死には、それほどの悲壮感を感じない。少々視点を変えてみると、この『ヨーロッパのオーティス・レディング』というアルバムを歌うことが純粋に好きだった純朴な黒人青年が巨大なロック・ビジネスという自分とは全く相反する世界と微妙な距離を計ることで生まれたアルバムだなんてことが言えるかもしれない(恐らく事情はもっと複雑だったりするのだろうけれど)。

何はともあれ、これから先もこのアルバムは、ソウルやリズム・アンド・ブルースの名盤というよりもロックの名盤として聞かれ続けることだろう。

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