思い出のアルバム第一回ザ・フー『セル・アウト』

フーというのは、僕にとってすごくミステリアスなバンドだ。日本で今一つ受けない状態が続き、情報があまり入って来なかったという事情も多少は影響しているのだろうけれど、やはり時折哲学者めいた顔を見せるピート・タウンゼントのソング・ライティングがそうさせるのだろうし、また、バンドのあり方そのものも、すごく風変わりだと思う。そもそもバンド名からして「WHO(だれ?)」というすごく単純だけれど、とりようによっては、ひどく意味深なものなのだから。また彼らによる楽曲、あるいはアルバムも、みんなわかったような顔をしてあまりちゃんと分かっていないのではないかと邪推させるものも少なくない。そしてその筆頭の一つに挙げられるのが、この「セル・アウト」というアルバムではないだろうか。

 最初映画『キッズ・アー・オールライト』で、このアルバムのジャケット写真がほんの少しだけだけれど、映し出されたとき、それまで聞いていたビートルズやストーンズ、ツェッペリンなどが繰り広げる世界とぜんぜん違ったものを感じたのをおぼろげながら覚えている。ビートルズほどアイドル然としているわけでもない。ストーンズみたいに不良っぽくもない。ツェッペリンみたいにミュージシャン然としていない。どこかステレオ・タイプにはまり切れない所在なさと逆にそれを売りにしたような不思議な魅力・・・・・そんなものを僕はそのとき感じていたような気がする。

 それを見た二、三ヶ月後くらいに米MCAから出ていた『セル・アウト』と『クイック・ワン』のカップリング盤を手に入れたとき、『キッズ・アー・・・』で見たあの摩訶不思議な写真をジャケット上に見て軽いめまいに近い感激を覚えた。それ以来僕にとって古今東西のアルバム・ジャケットで一番好きなものの一つが他ならぬこの『セル・アウト』のそれであり続けている。ちょっとした余談だが、僕はこのアルバム・ジャケットをプリント・アウトしたTシャツを作ろうとずっと考えていたことがあるが、結局実現できないまま今日に至っている。ずっとそんなことを考えていなかったが、こうやってそのことについて思い出していたら、忘れていた願望が若干鎌首を持ち上げてきてちょっと怖かったりする(笑)。そしてもちろんジャケットもそうだが何よりアルバム内容そのものが僕を魅了したのである。

 もともとちょっとねじれたポップスに惹かれる傾向にあった僕にとって、あの『セル・アウト』で繰り広げられる音世界は、非常に魅惑的だった。『マイ・ジェネレーション』で聞かれるようなハードなロックン・ロールが好きな人にとっては、『セル・アウト』はかなり軟弱に聞こえるかもしれないが、そもそもピート・タウンゼントはハードさと裏腹のある種の危うさを孕んだリリカルな側面も持ち合わせている人だ。これはこれで充分にフーの魅力を伝えているアルバムだと断言できる。よく言われているようにこのアルバムは、ビートルズの『サージェント・ペパー』の影響下にあるアルバムだが、僕は個人的にジャケットを含めたトータル性、各楽曲のクオリティといった面から見て、むしろ『セル・アウト』のほうを高く評価している。このような意見はいささか極端に過ぎるとは言え、『セル・アウト』が好きというフーのファンは、わりに多いようだが、やはり一般的評価はそれ程高くない。それはなぜかというとやはりフー特有のわかりにくさ、あるステレオ・タイプにはまりこみそうではまりこまない所在なさというところに還元されるのではないだろうか?そのあたりをあえて突っ込んだ評論というのを未だに目にしたことがない、というのは大いに不満だ。僕の手元にある十二年前(!)に初めてこのアルバムが国内でCD化されたときのライナー・ノーツを見ても、やたら図式的な解釈に終始している。長らく僕を魅了していながら同時に謎に満ちていたこのアルバムについてもうちょっと何か突っ込んだ情報を得られるのではないかと思っていた当時の僕は、このライナー・ノーツを読んでかなり幻滅した記憶がある。要するにそれだけ適当にお茶を濁した言葉を書き連ねていけば、なんとか形になるアーティストという位置づけが当時のフーになされていた、ということだろう。

 そんなことはまあいい。アルバムの内容そのものに触れよう。とにかくこのアルバムの特徴は、佳曲の部類に入る地味だがしかしとても良い曲が多いこと。そして「オドロノ(体臭)」と「いれずみ」に顕著なようにピート・タウンゼントにしか作り得ない思春期時代に特有の切なさと情けなさを歌った曲が収録されていること。そしてそれらの曲がアルバム全体のスムーズな流れの中で息づいていることだ。特に「いれずみ」はフーの楽曲の中で一番好きなものの一つで、とりわけこの曲におけるピートのギターがすばらしいと思う。アルペジオとコード・ワークでこれだけ聞き手を魅了できるギタリストが他にいるだろうか?多くのギタリストに影響を与えていると言われているピートだが、この「いれずみ」や同じく『セル・アウト』に収められている「サンライズ」におけるギター・プレイにもっと光が与えられてもよい。これらの曲における繊細さが際だったギター・プレイにピートのギタリストならびに音楽家としての真骨頂の一端が現れていると言っていいだろう。

 しかし何よりこのアルバムの目玉となるのは、次の『トミー』へとつながると言われるラスト・ナンバー「ラエル」の存在である。『トミー』でも繰り返し演奏される「スパークス」のギター・リフを盛り込んだこの曲を初めて聴いたとき、フーの意図・・・・・というよりピート・タウンゼントが何を意図してこの曲を作り演奏したのか測りかねて随分と不思議な気持ちになったものだ。でもとにかくあの「スパークス」のフレーズを聞くときの高揚感はどうしようもなく抑えがたい。結局のところこの「ラエル」と先に挙げた「いれずみ」の存在によって僕はこの『セル・アウト』をフーの全アルバムの中で一番好きなものに挙げるようになったと言っていいだろう。それにしてもこの曲、何度歌詞カードを見ながら聞いてみても意味するところは不明なままである。第一「ラエル」というタイトルからして何を指しているのか未だによく分からないというのだから、その不可解さは推して知るべしといったところである。このようなフーを巡る不可解さ難解さは、この曲に限ったことではなく、探求されないままで今日まで放って置かれている問題が多い。そういえばかの名作『フーズ・ネクスト』が『ライフ・ハウス』という一大プロジェクトがとん挫した果てに生み出されたなんて事情もかなり後々になってわれわれが認識するところとなったのではなかったか?このあたりは今後の真摯な態度による研究が待たれるところである。
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