ッパの死亡記事が載った時はかなり混乱していて彼の死に対しての心境並びに彼の音楽に対する思いを上手いこと文章にすることが出来なかったが彼の死から2カ月経った今何とかザッパについて何かまとまったものを書こうという気になりこうしてワープロに向かっている次第である。

  ゼロからの始まり

つて私はフーが日本において不当に無視されていることに対して非常な憤りを感じていた。ラジオでかかるフーの曲は「マイ・ジェネレーション」か「キャント・エクスプレイン」それかせいぜい「サマー・タイム・ブルース」といったところ。誰も「トミー」や「四重人格」について真剣に語ろうとはしなかった。例えその意味が完全に理解出来なくともそれがシリアスな意味を担ったものであるということは多少なりとも音楽を聞いていたものならば感じ取れるはずである。何せ海の向こうの音楽だネーティブ並の理解なんか端から求めたりはしない。ただそのシリアスなメッセージなり思想なりを自分なりの言葉で対象化するという作業から始めなければならないと思うのだ。全ては始まりはゼロからなのである。

  難解、ほんと?

のような不当な扱いがザッパに対しても長い間行われてきたように思う。3月号の「レコード・コレクターズ」でも散々言われてきたことだがザッパの音楽、及びその人となりに対して「難解、変態、奇妙奇天烈」というレッテルを張り付け封印してしまうことはザッパについて何も語っていないに等しい。確かに衝撃的なデビュー・アルバム「フリーク・アウト」のCD面は初めて聞く者にはただの騒音にしか聞こえないだろうし、「アンクル・ミート」は明らかにロック的なイディオムからはかなり遠ざかった音楽ではある。とどのつまり日本の音楽ジャーナリズムかこの辺りのザッパのみでザッパを判断しそれ以降のザッパを真剣に聞いていないのではないかという気さえする。例え聞いていたとしてもザッパは確かに偉い音楽家らしいけれども自分には縁遠い人だという認識から抜け出せていないままなのではないのだろうか?もし現にこのような認識が日本の音楽ジャーナリズムの大半を占めているようであったらそれはあまりにもの怠慢であり、同時に大いなる不幸であると言わなければならない。ザッパの(もし敢えてこの言葉を使うならば)「難解さ」は決して眉間に皺を寄せて考えるよう類いのものではない。ザッパは何といっても音楽を愛した人なのである。観念の頭でっかちの人達とは縁遠い人なのである。ひたすら彼の音楽を楽しむように努力すること、彼の音楽を「理解」するということは、結局このことに尽きるのではないかと思う。
今私はロバート・ワイヤットやイーノ、ソフト・マシーンといった言わば前述の「頭でっかち」の音楽の一派に入れられてしまう人達の音楽と平行してザッパを聞いている。恐らくハード・コアなザッパのファンはあまりこのような聞き方をしないのではないかと思うがしかし天国のザッパはどのような聞き方をしようとも自分の音楽を楽しんでいるということさえ認めれば満足してくれると思う。しばらく遠ざかっていた例えばフーやキンクスの音楽に時折自分のルーツの確認という意味を込めて耳を傾けるように今後もザッパに耳を傾けるだろうと思う。しかも改めて聞くフーやキンクス以上の新鮮さを感じながら・・・・・

  偉大なオリジネーター

々チャック・ベリーが無性に聞きたくなってCDをプレイヤーに乗せることがある。それは技巧派という言葉から程遠い音楽ではある。ギターの音はほんの少しだけデストーションがかかっていることもあるが基本的にはチープそのもの。ドラムは基本的なリズムを刻むだけ。正直言って彼の演奏よりも彼のフォロアーであるビートルズ、ストーンズ、キンクス等による彼の曲のカバーのほうが魅力的だと思う。しかし恐らく数あるポピュラー・ソングの中で彼の曲ほど他のアーティストにカバーされた人というのはあまりいないのではないかと思う。ジミ・ヘンによる「ジョニー・B・グッド」みたくギターの洪水に彩られていても、しかし敢えて言えばチャック節みたいなものはその根底にしっかりと根付いている。一つのスタイルのオリジネイターとしての偉大さというのはこういうところに現れるのではないかと思う。そのスカスカの音の透き間に様々な解釈を許し、且つその基本的な部分を残すことを強要する・・・・・・チャック・ベリーの音楽を聞く度にその事実に驚愕し、何度も確認した筈なのにそのことを新鮮なものとして受け止めるのである。ザッパの音楽にはかなりその意味合いを異にするがこのようなチャックの音楽に対する驚きと似た物を感じる。何げなく聞いていたリズムにそれまでには感じなかったリズムの面白さを感じたり、ギター・ソロが急に「スゲー」と思うようになったり、歌詞の意味が何となし分かるようになってそれまで以上に身近に感じられるようになったりとザッパの楽しみ方には事欠かない。勿論何も考えずその演奏をボケーッと聞いていることだってできるわけだ。それ程の音楽的な幅と深さをザッパの音楽は充分に備えているのだ。

  一カ月で最低10枚聞け

んなことを偉そうに書きはしたが私だって比較的ザッパを多く聞いてきたというだけのことでまだまだザッパに関して素人だと思う。聞き方が浅いなと思うことはしばしばある。2年以上前の「レコード・コレクターズ」のザッパ特集の中で湯浅学がザッパのことを誰も未だ制覇したことのない巨大な山脈だと表現していた。まさに言い得て妙だと思う。あれだけのアイデアと知性、ユーモア、様々なジャンルの音楽、猥褻性等々を一人の人間というフィルターを通して表現できる人というのはそうそうはいないだろう。ザッパを聞くのにどのアルバムから入ったらいいかというのは途轍もない愚問だ。恐らく1カ月くらいかけてアルバム最低5枚から10枚位を集中して聞かなければザッパの音楽の多様性は見えてこない。しかしあくまでそれは楽しむということを年頭においてだ。眉間に皺を寄せてザッパの音楽を聞くのはたまにはいいかも知れないが徹頭徹尾そのような聞き方しかしないとしたらそれこそザッパに対する冒涜だ。その大半がCD化されたとは言えまだ気軽に手に入れることができないザッパの作品は幾つか残されている。未発表の音源等それこそ無尽蔵にあるという。せめてその半分だけでもザッパの手によって満足のいく形で世に出して欲しかったと思う。「フランク・ザッパは最後のツアーに出ました。」というザッパ夫人のコメントを目にする度にザッパの死が現実のものであることを思い知らされ同時に何とも言えず切ない気持ちになるのである。

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