思い出のアルバム第8回
頭脳警察 『頭脳警察ベスト』
あまりにも思い入れが強すぎて逆になかなか書くことができなかった頭脳警察を、期待を裏切ることなく(?)思い入れたっぷりに書き綴ったまさに究極の「思い出のアルバム」
いやだな、いまさらこんなこと書くの。でもいつかは触れなきゃいけない自分の原点の一つなのだから、思い付いたときに書いておこう。
かろうじて名前だけを知っていたパンタをもうちょっと具体的に知ったのは、中学のときに兄貴が持っていた日本のロック、ニュー・ミュージック系のアーティストを紹介した『青春音楽グラフティ』という本によってである。そこで触れられた頭脳警察時代のエピソード、特に日劇でのマスターベーション事件と当時のレパートリー「銃をとれ」、「世界革命戦争宣言」といった曲名は、否が応でも頭にこびりついてはなれなかった。高校に入って購読しだした『ロッキン・オン』にも時折パンタは、姿を現した。インタビューに応じるパンタは当然のこと、ライター達によって彼について語られる言葉にも、何か「触れてはいけないものにあえて触れる」かのような、特別な雰囲気があったように思う。後NHK- FMがやっていた日本のロックを振り返るみたいな番組でゲストに出ていた忌野清志郎が、昔のパンタについて「いかにもクスリやってそうで、恐くて近寄れなかった。」と言っていたのも印象に残った。だってあの清志郎をビビらせるんですよ。「どんな奴だ!?」と思うでしょうが、誰だって。
見えない銃をぶっ放す
あの頃パンタは、良くも悪くも多くの人にとって伝説のヴェールに閉ざされていたのだ。そして僕が大学に入ったあたりから、その伝説のヴェールが内的にも、外的にも徐々にはがされ、何となし身近な存在にパンタはなっていった。パンタがどうやって身近な存在になっていったのかは、また 別の機会に書きたい。そしてその大きな第一歩となったのがこの『頭脳警察ベスト』というアルバムである。本当にこっぱずかしい話でしょうがないが、何度このアルバムに慰められ、奮い立たされ、勇気づけられたことだろう。
かつて永山則夫が、ガードマンに向けて銃を放ったように、その当時の僕も心のどこかに見えない銃をしっかりと持って、常にそれをどこにぶっぱなすかずっと思いあぐねていた。結局のところその銃に込められた弾は、どこにも放たれることなく、僕の中でくすぶり今や、消え去りつつあるが、しかしいつかその弾は、どこにも放たれることなく、僕の中でくすぶり今や、消え去りつつあるが、しかしいつかその弾の勢いが飛躍的に増し、衝動的にどこかでぶっ放されるかもしれない。とりあえず、本当に忘れた頃に、頭脳警察のアルバムを引っ張り出し、CDプレイヤーのターンテーブルに載せる時、何か頭に血が上るような自分を感じることができる限りその可能性は、少なくともゼロでない状態であり続ける。
クソッタレ 馬鹿野郎 満足だろう
ふざけるんじゃねえよ今に吠え面かくなよ 「ふざけるんじゃねえよ」
まさに身も蓋もない、自分達を押さえつけようとする輩に対する罵倒の言葉。初期衝動以外の何物でもない、若気の至りの言葉に過ぎないと思うかもしれない。確かにそうだ。逆にだからこそ、この言葉は古くならない。だって気に入らないものは、どうしたって気に入らない。それ以上の説明は要るか?つまりは、そういうことだ。
こうした言葉を吐き出す一方でパンタは実にリリカルな世界も見せてくれる。「時々吠えることがある」という曲がそのいい例であろう。ちなみに初めてみたパンタのしかも元ルースターズの花田裕之をゲストに迎えたライブのオープニングがこの曲というわけで個人的にとりわけ思い出深い曲でもある。本 当は全編引用したいくらい好きなのだが、迷いに迷ってこの部分を引用することにした。
風が強くて 歩けないことも
ぬかるみに足を とられることも
時々迷うことがある 死に向かってか
ひとりで 迷うことがある 「時々吠えることがある」
この後で出てくる「ジュネの日記」というフレーズに触発されて、ジュネの『泥棒日記』を読んだということもついでに告白しておこう。まさに「ぬかるみに足をとられる」ような日々が延々と続いていくかのように思われた当時の僕にとって、この曲をささやきかけるパンタは、ある種特別な存在だった。
こんなことを言うと尾崎豊ファンに剃刀の刃を送り付けられるかもしれないが、あえて言わせてもらおう。当時のパンタと同じように閉塞された状況の中で生きることのしんどさを歌にした尾崎は、しかし若くして死んでしまった。その過程の中で様々な葛藤があっただろうし、言いようのない重圧に悩まされることのその度合いも並大抵のものでは無かったはずだ。それは想像がつく。だが、ともかく彼はそれに圧しつぶされて死んだ。あまりに尾崎に対して冷たい見方をするかもしれないが、この時点で尾崎は負けたのだと思う(逆に敗者であるがゆえの魅力というのもあるかもしれないが)。確かにパンタが置かれた状況と尾崎が置かれた状況とでは差があり過ぎる。でもともかくパンタは生き残った。圧倒的な勝利者ではないが、少なくとも敗者ではない。おそらくリングに上る気合もあるだろう。この差は大きいと思う。
ところで頭脳警察を語るとき、70年前後の学生運動とはどうしても切り離せない。僕自身は、結局のところ学生運動に全面的に身 を投じたことはないが、未だに左翼活動に対してはある種のシンパシーを抱いており、それは言うまでもなく、頭脳警察による影響が大きい。当時各種党派が繰り広げたアホらしい内ゲバ(まあ当人達にとっては、切実な問題だったのだろうけれど)、イデオロギーばかりが先走った不毛な論争、党派内でのゴタゴタ、その他当時の醜悪な部分は数えきれない程あると思う。しかも現在全共闘世代と呼ばれる人間の殆どがろくなことになっていない。しかし僕が頭脳警察を通して感じた当時の雰囲気とはとりもなおさずこの淀んだ状況に風穴を開けること、不穏な空気を撒き散らすことである。もし仮にロックの本質がそこにあるとするのなら、今巷にはびこっているロックと称するほとんどの音楽がその役割を果たしていないことになる。七面倒臭いことはいい。ただ理屈抜きで、この状況をぶった切ってくれる何か…・・それを僕は頭脳警察と当時の学生運動のスタイルに求めていたのだろう。
子供の心の大人に
頭脳警察を初めて聞いた日から早10年以上の日々が過ぎた。日常的に頭脳警察を聞く程若くないと大人ぶってみせる一方で、たまに彼らの叫びを耳にすると、やはり半ば無条件に血沸き肉踊る自分を感じざるをえない。やはりこれを聞ける間は、俺は大丈夫なのだとちょっと照れながら思ったりもする。8分以上もある大作「それでも私は」で繰り返される「それでも俺は求める 何かを 何かを…・・」というフレーズ。生まれてこのかたずっと迷いっぱなしだったけれども、確かに何かを求め続けてはいる。「何かを求める」ということ。それは自分を完全な敗北者であるとは、決して認めないことだ。「わき出る涙に自分のことを聞いてみたけれど何も教えてくれなかった」とパンタは訴える。また「生きることがわからない」とも。全くもってその通りだ。例えそれを人が甘いと言おうとも「分からない」ということさえ自覚できずに、のうのうと生きている人間がどれだけいるかと考えると、誰が何といおうとこのパンタの叫びは潔く正しいと僕は信じている。「分からない」ことを分かったふりをしてのうのうと生きている子供じみた大人より、僕はいつまでも「分からないものは、分からない」と言い続けることができる子供の心を持った(?)大人でいたい。