『ロストマン』




 働き者は毎日、きっかり同じ時刻に目を覚ます。
 ゴーイング・メリー号の専属コックであるサンジは今日も、まだ陽も昇らぬうちから起きて活動を開始した。
 甲板で澄み切った朝の空気を胸いっぱい吸い込んでから、目覚めの一服を味わいつつ階段を上る。
 と、キッチンを囲む壁の横から男物のブーツが突き出ているのが見えた。
「おいウソップ、んなとこで寝てっと風邪ひくぞ」
 おおかた船尾で夜釣りでもしていて寝てしまったのだろう。
 ついでに起こしてやるか、とサンジは背伸びして後部デッキを覗き込んだ。
    その口から、ぽろりと煙草が落ちた。


 梯子を使うのももどかしく男部屋に飛び込む。
 明かりをつけると、仲間達はふたりともハンモックに揺られて夢の中にいるのが確認できた。
 即座に寝床から蹴り落とす。
「ふがっ!?……何だよこんな朝早くから」
「おおー?メシかー?」
 普段ならまだ寝ている時間に起こされて、彼らは寝ぼけ眼で仁王立ちしているサンジを見上げた。
「メシはまだだ。いいから黙って来い!」
 怪訝な顔でついていったウソップは、サンジが指さしたものを見て文字通り飛び上がった。
「……ぎ」
「!!」
 悲鳴を上げかけたその口をとっさにサンジが押さえて引きずり倒し、騒ぐんじゃねェ!と小声で怒鳴った。
 その背後からルフィがひょい、と顔を覗かせる。
「誰だこいつ?」
 後部デッキに、ひとりの男が横たわっていた。
 もの言わぬ彼が死体でない証拠に、胸が薄く上下している。
 早朝の屋外に半袖のシャツ一枚とにもかかわらず、熟睡しているようだ。大の字で、ゆうゆうと。
 サンジは声のトーンを落とした。
「それが分かんねェからお前らを連れて来たんだよ。知り合いじゃねェんだな?」
「おう。こんなやつ知らねェぞ」
「おおおおおれも心当たりはねェな」
「そうか……よしウソップ、ナミさんを呼んでこい。念のために賞金首のリストもな」
「わ、わかった」
 慌てて駆け下りていくのを見送って、サンジは眠れる青年に注意深く向き直った。
 値踏みするような視線で観察し、傍らのルフィに問う。
「どう思うよ?」
「どうって…うーん、よく寝てるな」
「いや、そこじゃなくてだな」
 こいつ、どう見てもカタギじゃねェぞ。
 サンジはそう呟いて、冗談みたいに渦巻いた眉をしかめた。
 シャツ越しでも実戦で鍛えたものだと一目で分かる、隙のない身体つき。刃物による古傷がびっしりと残る両腕といい、ごつごつとした手のひらの胼胝といい、危険なものを思わせる。
 一見したところ丸腰のようだが、油断はできない。
 年齢は自分達とそう変わらないだろう。
 だが芝生のような珍しい色合いの髪と金のピアスを除けば、その服装はお世辞にも垢抜けているとは言えなかった。白いシャツと黒のボトムに加えてなんと、腹巻である。単に仕事着か何かかもしれないが。
「だいたい、どっからこの船に入り込んだんだかこいつは」
 彼らの船は目下、順調に予定航路を航行中であった。
 最後に陸へ立ち寄ったのは五日も前のことで、それ以降食糧が不自然に減ったなどの異変は起きていないから、寄港時に侵入されたとは考えにくい。
 船体にも接舷されたような痕跡はなく、ますますもって謎が深まる。
 そこへ、ようやくウソップがナミを連れて戻ってきた。
 青年を見るなり、ナミはきっぱりと断言する。
「知らないわ」
「賞金首リストにこの顔はありましたか?」
「たぶん、なかったと思うけど……」
 手にした紙束をぺらぺらとめくる。
「やっぱりないわね。ま、同類の船に乗り込んでおいてわざわざそこでぐっすり寝ちゃうような能天気な奴が、この中にいるとも思えないけど」
「それもそうですね」
 黙っていればそこいらの港町で見かけそうなごく普通の少年少女にしか見えない彼らは、実は立派なお尋ね者だった。
 マストに翻る帆と見張り台に掲げられた旗には麦わら帽子をかぶった髑髏が描かれている。たとえ遭難者であろうと、乗り移ろうなどとはまず思わないはずだ。
 そんな無謀な人間がいるとすれば、海軍の腕ききか賞金稼ぎくらいのものだろう。
 だとしても無防備に寝ていることの説明はつかないが。
 何にせよ、本人に直接問い質してみないことには何も分からない。
「とにかく、こいつを起こしてみます」
 サンジは青年の肩を軽く叩いてみた。
 が、反応はない。規則正しい寝息にも、変化はなかった。
 少し強く揺さぶってみる。やはり起きない。
 焦れてきたサンジは舌打ちして青年の襟首をつかんだ。それを見たウソップがこわごわ口を挟む。
「お、おいあんまり乱暴にはするなよ」
「しねェよ」
 つかんだ襟を引っ張り、青年の上半身を引き上げる。その耳元でサンジは怒鳴った。
「おいてめェ!起きろ!」
 反応がない。ボリュームを上げてもう一度。
「起きろってんだよクソ野郎!!三枚にオロすぞコラ!!」
 それでも彼は起きなかった。
 頭にきたサンジはつい、襟をつかんでいた両手を離してしまった。あ、と言う間もあらばこそ、青年の後頭部がデッキの床に派手な音を立てて落下する。
 ここまでされても起きないのにはいっそ感心するしかない。
 サンジはがっくりと肩を落とした。
「なんっっって寝汚ェヤローだ……」
 こうなったらちょっと本気で蹴りでも入れるかと思考が危険な方向へ傾きかけていた彼の背中を、ウソップがつつく。
「こいつでどうだ?」
 ガマ口から取り出されたガラスの小瓶を、サンジは食材を使うのは気が進まねェんだが、と呟きつつも受け取った。
 蓋を開けて中身を青年の鼻先に振りかけてやる。
 かくして、盛大なくしゃみが上がった。
「おお、効果覿面」
 激しいくしゃみを何度か繰り返し、ようやく落ち着いた青年がぎろりとサンジとウソップを睨みつけた。
「ひいぃ!」
 ウソップが、蛇に睨まれたカエルのごとく硬直する。
「やっと起きたか」
 サンジはコショウの瓶をウソップに放り投げ、立ち上がった青年とクルーとの間に割って入った。
「むりやり起こして悪かった。あんたにどうしても聞きたいことがあってね」
 片手を上げて他の三人に断りを入れると、サンジはなおも険悪な視線を投げてくる青年に向かっておもむろに口を開いた。
「さて。いくつか質問があるんだが、答える気はあるか?」
 すん、と少し赤くなった鼻を鳴らして、青年はいらえた。
「その前におれの質問に答えろ」
「……いいだろう」
 熟睡しているところを強引に起こしてしまった手前、ここは譲歩しておく。
 だが、青年の質問は予想外のものだった。
「なんでおれはこんなところにいるんだ」
「   は?」
 思わず呆けたサンジに、青年は胡乱な視線を向ける。
「寝てる間に、てめェらが連れてきたのか?」
「待て待て待て!それはこっちが聞きてェぐれェだ」
 サンジはずい、と青年に詰め寄った。
「あんたがなんでここにいるかなんて知らねェよ。断りもなしにわいて出て、高鼾で寝てやがったのはそっちだろうが」
「あァ?なにワケの分かんねェこと言ってやがる」
「ワケ分かんねェのはてめェだ!」
「なんだとコラ!」
 そのままつかみ合いに発展しかねない勢いのふたりを、ナミの一喝が引き離した。
「やめなさい!ケンカしてどうするのよ!」
 すっかり頭に血が上っているサンジを拳骨で黙らせ、静かに告げる。
「お互い質問は後回しにしましょ。こっちの意図を話すから、そっちの話もしてもらえる?」
「……………話すことなんかねェ」
「あら、どうして?」
 青年が顔をしかめて黙っているので、ナミのほうから説明の口火を切った。
「私はこの船の航海士で、こいつらはうちのクルーよ。で」
 華奢な指先が、髑髏が描かれた帆を指し示す。
「見ての通り海賊だけど、あんたの身ぐるみ剥いで海に放り込むために取り囲んでるんじゃないから誤解しないでね。今朝になって突然知らない人間が船に現れたから、いったい何者なのか確かめたいだけなの」
 だが、青年はにべもない。
「信じられるかよ」
「信じるかどうかはどうぞお好きに。じゃ、そっちの番ね」
 熱くなって食ってかかられるより、こちらの感情を無視して交渉を持ちかけてくる相手のほうがえてしてやりづらいものである。
 青年は不承不承、話し始めた。

 何故自分がここにいるのか分からないこと。

 己の素性どころか、名前すら思い出せないこと。

 青年が己自身について知っている事実は、初対面のナミ達と何ら変わりがなかったのである。
「それで、どうしたいわけ?」
 ナミの問いに、青年は少し考えて分からねェ、と言った。
 一応忠告しておくけど、とナミは腕を組んだ。
「この海域から一番近い島までは足の速い船でも早くて五日はかかるわよ。泳いで行く気なら止めないけど、せめて降りるか乗り続けるかの選択はしてくれる?」
「ナミさん、こいつ乗せるんですか!?」
 驚くサンジにナミはぴしゃりと告げる。
「決めるのは私じゃないわ。ルフィ、あとはよろしく」
 赤いベストの背中を押しやり、ナミはすっと身を引いた。
 青年の視線がメインマストに翻る髑髏のしるしと目の前の麦わら帽子とを往復する。静かな声が問うた。
「てめェがこの船の船長か」
「おう」
 それきり、会話は止まってしまう。
 ルフィは青年からけして視線を外さないのだが、何を尋ねてくるわけでもなくただじっと彼を見ているだけだった。
 この船長殿は特に自分に要求したいことはないらしいと判断し、青年は単刀直入に尋ねた。
「次の上陸まで、厄介になってもいいか」
「いいぞ」
「……そりゃどうも」
 船長の決定は船の決定である。
 この瞬間に、青年はゴーイング・メリー号に一時的なゲストとして滞在することになった。
「そうと決まれば、さっそく働いてもらうわよ」
 タダで泊まれるなんて思わないでよね、とナミは肩をそびやかせた。
 ウソップを手招きして、何事か耳打ちする。
「なにーッ!おれが案内するのかぁッ!?」
「助手が欲しいって言ってたわよね?頑丈そうだし、思う存分こき使ってやればいいじゃないの」
「うう……急に持病の『船の案内をしてはいけない病』が〜」
 何やら胸を押さえて苦しみだしたウソップを、ナミは容赦なく青年に向かって蹴とばした。
「ぎゃあ!」
 すっとんで転びかけたウソップを、青年は片手でひょいと支えた。
 悪い、と礼を言う彼に声をかける。
「病気か?だったら無理すんな」
「お、おう。…はっ!今治った!治ったぞ、うん」
 なんだ、顔は恐いけどイイ奴じゃねェか。
 瞬く間に青年への評価を好転させたウソップは、笑顔で握手を求めた。
「おれはウソップ。キャプテン・ウソップだ。分からないことがあったら何でも聞いてくれ」
「ああ。世話になる」
「うわ、すげェ力だな。ええと……あんたのことはなんて呼んだらいいんだ?」
「名前は忘れちまったから、好きに呼んでくれ」
 彼がそう言った途端。
「じゃあ、みんなで名前を考えてあげましょ」
 なぜかナミが嬉しそうに仕切り始める。
「寝太郎なんてどう?」
「なめてんのか」
「マリモ」
「却下」
「偉大なるキャプテン・ウソップの栄誉ある助手第一号」
「そりゃ名前じゃねェだろ」
「ゾロ」
「……由来はなんだ」
「これからうちにイソーローするから、略してゾロ」
 悪びれないルフィの言葉に、ナミがぷっと吹き出した。
「あはは、居候!確かにそうよね。呼びやすいし、ゾロでいいんじゃない?」
「異議なーし」
「なーし」
「……………」
 反対するタイミングを逸した青年改めゾロは、思い出したようにくしゃみをした。


 早朝の変事から半月余りが過ぎた。
 侵入者改め居候ことゾロは淡々と義務を果たしている。
 航海中の船においては共同生活を支える洗濯や掃除、海水の汲み上げ、船内の点検・修理作業、それに夜の見張りなど、仕事は尽きない。
 それらを黙々とこなす彼は愛想こそないが、誰よりもよく働いた。
 その日の雑事がすべて片付いた後の手持ち無沙汰な時間はといえば、風通しのいい場所でひたすら寝ている。
 異常に寝つきがいい上にいったん眠ってしまうとめったなことでは起きないので、サンジなど彼の記憶喪失を寝過ぎて脳味噌が溶けたせいではなかろうかと半ば本気で疑ったほどだ。
 最初は話しかけられなければろくに口もきかなかったゾロだが、年の近い気安さで接してくる四人と過ごすうちに、徐々に船上での生活に馴染んでいった。


 そんなある日の、うららかな陽気の昼下がりのこと。

 最初に異変に気づいたのはゾロだった。
「……なんか、こっちに近づいてきてるやつがいねェか」
 ゾロの呟きに、フィギュアヘッドに陣取って釣りをしていたルフィがおお、と声を上げた。
「ホントだ、なんかいるぞ」
「なんかって何よ?」
「あれだ、あれ」
 ナミは海図を描く手を止めてルフィが指さした方角に目を凝らしたが、船影らしきものは見つけられなかった。
「ウソップ!二時の方角、何か見える?」
 慌てて双眼鏡を覗き込んだウソップは、大声で叫んだ。
「船だ!船が一隻、まっすぐこっちに近づいてくる!!」
「大きさは?」
「よく分かんねェけど……この船よりはでけェ!」
「OK、そのまま監視を続けて」
 広げていた紙の束をまとめて腕に抱え、ナミはラウンジへと駆け上がった。
 シンクに立っていたいたサンジが彼女の姿を見て愛想を振りまいてくるのへ、短く他船の接近だけ告げる。
 表情を引き締めたサンジが、皿を洗う手を止めた。
「海軍ですか?」
「ここは警戒海域からはかなり離れてるから、その可能性は低いわね」
「では、同業者?」
「たぶん。さもなきゃ狩るほうね。舵をお願い」
「了解しました」
 この広い海の上で、他の船に遭遇する機会はそう多くない。
 それが海賊旗を掲げた船なら尚更である。相手の船籍を確認した時点で民間船ならば先方が、海軍の船ならばこちらが積極的に逃げを打つからだ。
 陸から遠く離れた絶海において船同士が交戦するような事態は、追われる側の船の性能が著しく劣るなどの理由がないかぎりは回避される。
 ただし例外もある。海賊船同士が鉢合わせたり、民間船を装って行き違う船を油断させ、襲撃する輩などがそうだ。
 海賊といってもルフィ達のように堂々と旗を掲げている者ばかりではない。海賊や賞金稼ぎが正体を偽装して獲物を罠にかけることはままあるし、海軍が包囲網へと海賊船を追い込むための囮というのも存在する。
 全員が固唾を飲んで波の向こうを注視する中、船影はその穏やかならざる姿を明らかにした。
 形ばかりは一般的な帆船のようだが、各所に悪趣味な改造が施されていて実に不恰好である。
 帆に染め抜かれたマークは海軍のものでも、海賊特有の脅しを含んだ意匠でもない。
「あれは……」
 ナミが呟いた時、突然相手の船の先端が火を噴いた。
「うわあ!?」
「にゃろ、撃ってきやがった!」
 弾ははるか前方の波間に沈んだが、体格で劣る船に対して警告もなしの発砲とは野蛮もいいところだ。
「出会い頭に一発かましてビビらせて、逃げ出したところを叩こうってハラだろうな」
 ゾロが冷静に指摘する。
「あのマーク、賞金稼ぎの団体さんよ。どうする?」
 ナミの問いに、ルフィはこともなげに答えた。
「ぶっ放してくるからにはあいつらにも覚悟はあんだろ」
 近づいてくる船に向かって、彼は拳を突き出した。
「思いっきり、ぶっ飛ばす」
「了解!!」
 彼らは迅速に行動にうつった。それぞれの持ち場に素早く移動する。
「おれにできることはあるか」
 唯一、ゾロには所定の持ち場がない。緊張した足取りで格納庫に向かうウソップに声をかけると、思いの外しっかりした声が返ってきた。
「サンジが舵を取るのを手伝ってやってくれ」
「わかった」
「それと船の背後も警戒してくれると助かる。ナミの仕事が楽になるはずだ」
「背後だな。了解した」
 すれ違ったウソップの身体は小刻みに震えていた。必死に呼吸を落ち着けようと、口の中で何事か呟いている。
 その背中に、ゾロは肩ごしに言葉を投げかけた。
「雑魚相手だからって、油断するなよ」
 はっとして振り返った彼と視線がかち合う。
 からかうようなゾロの表情を見て、ウソップも無理矢理笑顔を作ってみせた。
「はっはっは、心配には及ばねェ!何たっておれ様は世界一の狙撃手の息子だからな!」
「頼りにしてるぜ」
 ゾロは口の端でニッと笑うと、ラウンジへ向かった。
 戦力の質はともかく、量に乏しいルフィ海賊団には状況に応じていくつかの戦術を駆使する。
 今回選択されるのは、遭遇戦に適したものだ。
 まずは慎重に相手との距離を取り、敵の砲列の死角に回り込んで砲撃を仕掛ける。
 具体的には見張り台に登ったナミから矢継ぎ早に飛ぶ指示のもとにサンジが舵を操り、フィギュアヘッドの真下で砲撃手を担当するウソップが彼らと連携して、正確に敵艦の砲台を狙撃して沈黙させてゆくのだ。
 その間、船長たるルフィは常に敵艦と向き合う位置に移動して敵の砲撃に備えている。
 敵艦がこちらの射程圏内にいるということは、イコール敵砲台の射程圏内にこの船が位置しているということだ。
 的が小さいため当たりにくいが、華奢なキャラヴェル船は船腹に大穴でも空けられればひとたまりもない。彼はゴムゴムの実の能力をフル活用して、船とクルーを守るのである。
 今回は敵も単独艦だったことともあって大きな損傷もなく、第一ラウンドを切り抜けることができた。
 敵の遠距離攻撃手段を壊滅させて彼我の戦力差を埋めるまでがチームワーク戦だとするなら、一転して積極的攻勢に変じてからは個人戦となる。
 敵艦がこちらとの距離を縮めようと動きはじめたのをナミの合図で確認すると、サンジは舵を固定して甲板に飛び出した。
 その後を追ってゾロも飛び降りる。
「なんだ、てめェも戦る気満々か?」
「じっとしてんのは性に合わねェ」
 そうかい、と応じてサンジは格納庫からくたくたになって出てきたウソップに、舵は任せたぞと叫んだ。
「自分の命は自力で守れよ。てめェの面倒まで見てる暇はねェ」
「わかってる」
 フィギュアヘッドの上に立つルフィのもとへと駆け寄る。
「こいつと一緒に飛んでくのが手っ取り速い。そっちの足につかまってろ、振り落とされんなよ!」
「ああ」
「行っくぞ〜〜〜〜〜!!」
 かけ声とともにはるか後方まで伸びたルフィの腕が、反動で敵艦のマストへと突き刺さった。
 敵が一斉にどよめく。
 三人のシルエットが矢のように宙を飛んだ。
 耳元でごうと風が唸ったと思ったら、目の前に人垣が迫っていた。つかまっていた腕を離して身を翻し、ふたりは敵陣地へと降り立つ。
 当のルフィは敵のマストに衝突して派手に壊したあと、危なげなく甲板に着地した。
 一瞬呆けていたようだった男達が、やっちまえ!という誰かの上ずった叫びに我に返った。
 手に手に武器を振りかざし、侵入者に襲いかかる。
 三か所で悲鳴が上がった。
 丸腰の相手と侮り、勝負を焦った何人かが躱された攻撃で味方を傷つけ、血を噴き出して倒れた。
 拳や蹴りの一撃で昏倒させられる者が続くと数に物を言わせても無駄だと悟ったのか、敵も連携して攻撃してくるようになる。しかしそれでも一度に多人数を薙ぎ倒す技を駆使する彼らの相手ではなかった。
 確実に、敵はその数を減らしていった。
「へえ、やるじゃねェか」
 援護はしないと言いつつも、サンジは目くるめく視界の端にゾロが戦う姿を捉えていた。
 最初に自滅した連中が取り落とした武器の中から二本の剣を拾った彼は、それを両手に握って縦横無尽に振るった。
 その腕が一閃するたびにぱあっと赤いしぶきが上がり、斬られた敵が甲板に倒れ伏す。
 あいつ、剣士だったのか。
 考えてみれば当然と言えた。斬り傷だらけの身体に、手のひらは固い胼胝にまみれていたのだから。
 敵の数が減ってくると、混戦状態では相手が使用を差し控えていた銃で狙われる頻度が増える。
 何度かひやっとする場面を切り抜けたサンジは離れて戦っていたゾロと背中合わせで戦うことを考えた。互いの死角を庇い合えば、銃相手でも不利をカバーできる。
 しかし、サンジはゾロに近づくことができなかった。
 彼がひとりの大柄な使い手と目まぐるしく競り合っていたからだ。剣と剣、それも二刀流同士の火花散る駆け引きに誰も近づけない。
 残った敵をすべて倒してもなお、その戦いは続いていた。
 鬼気迫る、とでも言うべきだろうか。
 憑かれたように剣を振るう姿はあの無口で淡々とした青年と同一人物とは思えなかった。
 立ち尽くすサンジに、累々と横たわる敗者の山を飛び越えてルフィが駆け寄ってきた。
「すげェな、あいつ」
 それに頷きつつも、サンジは懸念を示す。
「でも他のやつらとしこたま戦り合って消耗してる分、あいつのが不利だぜ。どうする、隙見て援護するか」
「そんなもん必要ねェ」
 ルフィはそっけなく言って、腕を振りかぶった。
 こっそりゾロを銃で狙っていた男が吹っ飛ばされて、今度こそ昏倒する。
「あいつが勝つと思うのか?」
「さあ」
「さあ、ってこたねェだろ」
「知らねェよそんなこと。でも、おれやお前がこいつらぶっとばしたのと、あいつが今戦ってるのは全然違うだろ」
 その言葉の意味を図りかねてサンジが黙ると、ルフィは静かに続けた。
「あいつの勝負だ。だから邪魔しちゃいけねェ」
 彼らが見守る中、ゾロの身体がじりじりと後退する。手すりの際に追いつめられ、もう後がない。
 ついにゾロの剣の一方が刃こぼれに耐え切れず、半ばから折れ飛んだ。
 勝利を確信した相手が放った一撃を髪ひと筋の差で避け、ゾロは残ったひと振りを構え直す。
 彼の手に残った片刃の長剣。
 刀、と呼ばれるそれをあたかも地面に突き立てるかのような構えに、相手は血迷ったかとほんの一瞬侮りを見せた。それが命取りになる。
 次の瞬間。
 ルフィとサンジの目の前で、勝負は決していた。
「何が起こったんだ   ?」
 サンジは呆然と呟いた。
 肩で息をするゾロと、胸から鮮血を噴き出して倒れる男。
 がくりと膝をついたゾロに、ルフィは歩み寄った。その後を慌ててサンジが追う。
 ルフィはゾロの目の前で足を止め、立てるかと尋いた。
「……ああ」
 刀を杖にしながら、それでもゾロは自力で立ち上がった。
 倒した男には一瞥もくれず、荒い息の下から呟く。
「   やっとわかった」
 ひょっとして、記憶が戻ったのか?と問うサンジにゾロは答えた。
 そうじゃない。でもこれでようやくわかったと、噛み締めるように呟く。
「これが、おれだ」
 傷を負い、血にまみれていたが、それは実に晴れやかな表情だった。
「そうか」
 と言ってルフィは満足そうに頷いた。
 そして。
「おれもたった今わかったことがある」
 何だ、と目で問うゾロに、ルフィはきっぱりと告げた。
「お前はおれの仲間になるやつだった」
「     は?」
「ずっとどっちかわかんなかったんだ。でも、今のお前を見たらすぐにわかったぞ」
「……おれにはわからねェが」
「わかんなくていいから、仲間になってくれ」
「ならん」
「なれ!」
「ならねェよ!」
 見かねたサンジが止めに入るまで、彼らはひたすら平行線の言い争いを繰り広げたのであった。


 無事生還した彼らを、船に残って戦況を見守っていたナミとウソップが安堵の表情で出迎えた。
 張り続けていた緊張の糸が切れて、誰からともなく声を出して笑い合う。
 身も心もくたくただったし、海賊相手ではないから実入りも多いとは言えなかったが、誰も欠けることなく戦闘を切り抜けた幸運に勝るものはないだろう。
 負った怪我と船中の傷んだ箇所に応急処置を施し、後片付けを済ませればようやく彼らの日常が戻ってくる。
 コックの本業に復帰したサンジが夕食の準備に忙しく立ち働いている横で、ルフィとゾロは飽きもせず同じ問答を繰り返していた。
「仲間になってくれ」
「断る」
 ひたすらループし続けるやりとりに、ナミは額を押さえて嘆息した。
「全員無事だったのは実に結構なんだけど、なんだってこいつらはこんなことになってるのかしら」
 リズミカルに食材を刻んでいた手を止めて、サンジは大げさに肩をすくめた。
「ナミさんの疑問にお答えできないのは残念ですが、おれにもさっぱりわかりません」
「おれは直接、戦ってたとこは見てねェんだけど……そんなにカッコ良かったのか?」
 しかしルフィは首を振った。
「いや、確かにすごかったけどそれは関係ねェ」
「じゃあ何でだよ」
「おれがそう決めたからだ」
 こう言い出したらきかないのがルフィという男である。
 誰からともなく、ゾロに同情の視線が集まった。
 三人の目はみな一様に同じことを言わんとしていた。観念しろ、と。
 だがゾロは頑として首を縦に振らない。
「あんたも意固地ね。半月も一緒に過ごしたんだから、少しは情とかわかないわけ?」
「世話になったとは思ってる。だがおれはやりたいことを見つけたから、海賊にはならねェ」
「海賊にはならなくてもいいぞ」
 あっさりそう言い切るルフィを、ゾロは半眼で睨めあげた。
「……さっきまでと言ってることが違う気がするんだがな」
「え、なんでだ?違わねェよ?」
「お前の仲間になれってのは、つまりは海賊になれってことだろうが」
「仲間は仲間だ、海賊かどうかは関係ねェよ。そりゃ、一緒に冒険するのは楽しいけどさ、同じ船に乗ってなくたって仲間はずーっと仲間のままだからな」

 だからゾロは、つかみたいものをつかめばいい。

 おれが欲しい「仲間」はそういうやつだ、そう言ってルフィは笑った。
「……それならそうと、最初から言え」
 ゾロはひとつ息を吐くと、ルフィに向き直った。
「なってやるよ、仲間に」
「ほんとか!やったー!」
 喜ぶルフィの鼻先に、ゾロは指を突きつけた。
「おれの船長はお前だ。だからお前も必ず野望を叶えろ、それが条件だ。海賊王、だったな?」
 野望を断念するようなことがあったら、腹を切れ。介錯くらいはしてやるよと彼は嘯いた。
「ああ。おれは絶対ひとつなぎの大秘宝を手に入れて、海賊王になる!」
 その言葉に、ゾロはにやりと笑みを浮かべる。
「海賊王のクルーになら、なってやってもいいぜ」
 ルフィもししし、と笑って答えた。
「大剣豪なら、世界一と世界一で海賊王にはちょうどいいな」
 とてつもない約束を交わして嬉しげなふたりを遠巻きに見つめながら、ナミはあーあ、と呟いた。
「ついてこなくてもいいなんて、私ひょっとして騙されたのかしら」
「おれもそんな気がしてます、ナミさん」
 ウソップが何言ってんだよお前ら、とつっこんだ。
「あいつについてきたこと、後悔してねェくせに」
「まあね」
「まあな」
 彼らもまた、目と目を交わして微笑みあった。


 とある島の小さな港にひっそりと泊まった一隻の海賊船からひとりの青年が降り立った。
 仲間達からの心づけを、背中に背負って。

 航海士からは、無期限・年利一割の貸付金。
 狙撃手からは、毛布と寝袋。
 コックからは、日持ちする食糧。

 そして船長からは、名前と約束を。


「お前が世界一になったら、海の果てにいても迎えに行く」

「逃げ回るかもしれねェぞ」

「逃がさねェよ。絶対見つけるから覚悟しろ」


 それは、この世で一番の約束。