二人の子供が独立してから小旅行を楽しむようになりました。そんな旅行先の感想などを紹介します。
2009年 2月中旬 岡山 new
2008年10月末 熊本
2008年 5月下旬 姫路
2007年10月下旬 四国松山
2005年 4月下旬 横浜
2004年10月中旬 鹿児島
2004年 7月下旬 岐阜
2003年8月初旬 金沢
2009年 2月中旬 岡山へ行きました。
私の実家がある広島県福山市は、岡山県との県境に接しているので、若い頃に岡山天体物理観測所や、倉敷、鷲羽山、高梁川上流にある井倉洞など、結構遊びに行ったことがあるのですが、岡山市へは小学生の頃に両親に連れられて行ったことがあるだけで、記憶がほとんどない状態でした。
滞在時間が正味4時間もなかったので、岡山城と、隣接する後楽園だけを見て回りました。
岡山城は、黒い外観から烏城(うじょう)と呼ばれ、重厚かつ美しい城です。
天守は戦災で消失したために、鉄筋コンクリートで復元されたものですが、外観は往時をしのばせる威光を放っています。
内部の資料館は、4階まではエレベーターで上がれ、最上階から降りながら歴史を勉強できるよう資料が展示してあるので、割と楽に見学できました。
旭川を挟んで隣接する後楽園は、残念ながら訪れた季節が冬だったので、わずかに梅が咲き始めていた程度であったのと、園内のあちこちで工事や池の掃除が行われており、日本三名園の一つとは言え、ちょっとガッカリしてしまいました。
またチャンスがあれば、花々で華やぐ季節に訪れたいと思います。
私の実家で2日を過ごして帰りましたが、新幹線の時間まで少し時間があったので、福山城を撮影しました。
福山城は、昨年NHKの大河ドラマ「篤姫」で登場した、老中 安倍正弘が藩主だった城ですが、正弘が福山を訪れたのは、お国入りのときの一度だけです。 初代藩主は徳川家康の従兄弟である水野勝成が毛利などの西の外様大名の押さえとして入城し、十万石ながら大きく美しい城です。
岡山城と同じく、天守は戦災で消失したため鉄筋コンクリートで復元されたものですが、焼け残った伏見櫓、筋鉄御門が重要文化財に指定されています。
不明門側から望む天守 |
後楽園側から望む天守 |
不明門 |
月見櫓 |
後楽園 沢の池 |
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後楽園 唯心山から望む沢の池 |
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福山駅側から望む天守 |
福山城天守 |
筋鉄御門 |
伏見櫓 |
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2008年10月末 熊本へ行きました。
熊本への旅行は3度目になりますが、1度目は37年前に中学の修学旅行で、2度目は31年前に団体旅行で訪れて以来であり、その記憶も遠い彼方へ消えようとしていました。
前回の姫路同様、城好きの私としては熊本城を半日かけてじっくりと写真撮影しながら散策しました。
中でも見所は今年の春から一般公開になった本丸御殿でした。絢爛豪華な昭君乃間の襖・壁・天井に描かれた金箔がふんだんに使われた絵はとても美しく、夢の世界にいるようでした。
昼食は、この本丸御殿の大御台所で江戸時代のレシピを参考に調理された本丸御膳(1人前3,000円とリーズナブル:予約制)を、お殿様になった気分で堪能しました。
そして夜は、ホテルの近くの観光ガイドに掲載されている居酒屋へ行き、お母さんと生ビールを飲みながら馬刺しや辛し蓮根、豆腐の味噌田楽などを食べて熊本の郷土料理に舌鼓をうちました。
中でも馬刺しは今まで食わず嫌いでいたのですが、思い切って食べてみたところ、な、なんと!とても美味しいじゃありませんか。食べるまでは癖が強いのではないかと思っていましたが、他の肉よりもかえって癖がなく、とても美味しくいただけました。
2日目は水前寺公園に行きましたが、公園に着いたところで雨が本降りになってしまいました。 でも、雨にぬれた木々の緑がいっそう鮮やかになり、雨の水前寺公園もなかなか趣がありました。
西出丸付近から望む宇土櫓(左手前)と天守(中央奥) 宇土櫓は櫓と言っても、小さな城の天守に匹敵する大きさです。 |
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天守西面 |
天守から望む本丸御殿 |
本丸御殿 昭君之間 |
昭君之間天井画 |
本丸御膳 う〜ん世は満足じゃ |
夜に食べた居酒屋の郷土料理セット |
雨の水前寺公園 |
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2008年5月下旬 姫路へ行きました。
城好きの私としては、絶対に訪れたい城でした。なんてったって世界遺産ですからね。 なので、姫路城だけをじっくり見ました。
とにかく広い上に迷路のようなコースなので、見所を撮影しながら見て回るだけでも3時間以上かかってしまいました。
外人観光客は欧米人よりも中国人が圧倒的に多く、中国語があちこちで飛び交っていました。 これも中国の経済成長の高さを表しているのでしょうか…
でも、私達夫婦の写真を撮ってあげると声をかけてくれたのは、英語で話す若いカップルの女性の方で、お言葉に甘えて撮っていただきました。感謝・感謝!
私の故郷が広島県福山市なので、子供の頃から瀬戸内の幸を食べ慣れていました。前回の松山、そして今回の姫路も瀬戸内の名物料理は似たり寄ったりと言ったところでしょうか… でも、食べなれた味なので、まったく違う味付けの場所で食べるよりは安心して食べることができました。
土産には、心に染み渡るような音色を奏でる明珍火箸の風鈴を買いました。
入り口付近から望む天守閣 |
菱の門 |
二の丸から望む天守閣 時代劇で使われる角度ですね |
はの門付近から望む天守閣 |
にの門付近から望む天守閣 この位置からが最も美しく見えると 説明板に書いてありました。 なるほど、竜宮城のようです。 |
備前丸広場から望む天守閣 |
天守閣から望む化粧櫓と長局 |
化粧櫓内 千姫もこのようにして遊んでいたのでしょうか |
天守閣から望む姫路市街地 |
扇の勾配 |
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2007年10月下旬 四国松山へ行きました。
数年前に司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んで以来、一度は訪れたいと思っていましたが、坂の上の雲ミュージアムがオープンしてからは一層その思いが強くなっていました。そんな折、妻に松山での仕事が入り、思いがけずチャンスがやって来ました。
小説「坂の上の雲」の冒頭に 春や昔 十五万石の 城下かな と正岡子規の詠んだ俳句が載っていますが、現代の松山も何とはなしにノンビリ見えたのは小説を読んだ影響でしょうか…
ホテルを松山城の傍に取りましたので、萬翠荘−愚陀仏庵−坂の上の雲ミュージアム−秋山兄弟生家−松山城−道後温泉を巡りました。
特に、うっそうと茂る森の中に佇む愚陀仏庵(夏目漱石と正岡子規が短期間だが同時期に住んでいた)では、静かな庵の中で抹茶をいただき、明治という時代に思いを馳せることができました。
また、帰りの飛行機がプロペラ機で、飛行高度が低かったために眼下に見える地形を楽しむことができました。
五木寛之の小説「青春の門」に登場する香春岳を眼下に見ることができましたが、無残に削り取られ、とても低くなっていました。
余談ですが、帰りの松山空港でジーパンのポケットから出し忘れていた硬貨が金属探知機にひっかかり、念入りにチェックされました。
上半身はTシャツ1枚だったのに、べったりと探知機をつけられてのチェック。「オイオイ、皮膚の下を調べているのかい?(心の中のつぶやき)」 Tシャツを脱いで裸になってチェックさせようかと思いました。
せっかくの楽しい旅行も、そんな些細なことで台無し… 原因は私にもありますが、もっと心の通ったチェックができないものですかね…
萬翠荘 |
愚陀仏庵 |
坂の上の雲ミュージアム |
松山城天守閣 |
松山城内茶店の抹茶セット ぼっちゃん団子とタルト付きです |
ぼっちゃん列車 |
道後温泉駅 |
道後温泉 |
帰りに搭乗した飛行機 |
帰りの飛行機から見えた由布岳と鶴見岳 |
カルスト地形の平尾台 |
香春岳 |
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2005年4月下旬 横浜へ行きました。
泊まったホテルが中華街と山下公園の中間にあり、食事をするにも山下公園を散策するにも楽でした。
横浜中華街で夕食を食べましたが、コースを頼んだのに「これも美味しいよー」と女将らしきオバチャンがお勧めメニューを言ってくるのです。なんとまぁ商魂たくましいじゃありませんか。 「もうお腹いっぱいだよ。」と、丁重に断りました。
この30年来生活している長崎県も中華料理の本場なので、横浜で食べた中華料理が特別美味しいとは感じませんでしたが、それぞれ独特の雰囲気があり、異国情緒を十分楽しむことができました。
2日目の観光時間が半日だったので、山下公園〜みなとみらい地区を歩いただけでしたが、結構見るものが沢山ありました。
羽田空港着陸前に見えた富士山 |
第2次大戦を生き延びた氷川丸 |
氷川丸 水上ホテルとして使用された時期もあったとか… |
氷川丸客室 私の身長ではとても足りないベッドでした |
みなとみらい地区夕景 |
ランドマークタワーから連なるビル群 う〜ん、未来を感じるなぁ〜 |
ランドマークタワー |
ランドマークタワーから見た横浜港 |
ランドマークタワー傍に展示してある日本丸 |
みなとみらい地区にある水上バス乗り場 |
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2004年10月中旬 鹿児島へ行きました。
薩摩島津藩も歴史上重要な場所であり歴史に名を残した人物が輩出された場所ですね。
九州新幹線に乗ってみたくて陸路を選びましたが、佐世保からは特急みどりで鳥栖まで行き、鳥栖でリレーつばめに乗り換え新八代でやっと新幹線に乗れたかと思ったら、あっという間に西鹿児島… 新幹線に乗る時間の数倍も在来線に乗っている時間が長かった… でも、そんな旅もたまにはいいかな…
観光の時間は半日しか取れず、タクシーの運転手さんにお願いして、城山−西郷洞窟−南州墓地−仙巌園−西郷隆盛像を巡り、最後に鹿児島水族館に行きました。
それでも割りとゆっくり観光できて、とても思い出に残る旅でした。
九州新幹線「つばめ」 |
九州新幹線「つばめ」の座席 |
城山観光ホテルから望んだ桜島 |
西郷洞窟 |
南州墓地 |
仙巌園から望んだ桜島 |
西郷隆盛像 |
鹿児島水族館外観 |
鹿児島水族館 大水槽 |
大水槽を悠々と泳ぐジンベイザメ |
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2004年7月下旬 岐阜へ行きました。
金沢旅行から約1年、やはり暑い時期の旅行でした。
岐阜城と金峰山麓にある織田信長館跡、そして岐阜大仏などを巡りました。
岐阜城へは、ロープウェイを降りてからもかなり急な石段や坂道を登らなければなりませんでしたが、岐阜城の内部構造がゲーム鬼武者3の岐阜城とほとんど同じ構造だったのに感動しました。ゲームと言えども、ちゃんと調べているんですねぇ〜。
岐阜城は典型的な山城で、ほとんどが急な斜面ばかりなので、このような山城の場合、もし篭城戦になったとき、どこに兵を待機させておくのだろうかと不思議に思った次第です。
夜は私達夫婦を含め何組かが接待を受け、料亭で美味しい食事をいただきました。 中でも鮎は美味しかった〜。 お酌をしてくれた芸者さんがとても綺麗で話し上手。お遊びも楽しませてくれました。
岐阜城 |
織田信長館跡 |
岐阜大仏 |
岐阜城から見た長良川 |
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2003年8月初旬 金沢へ行きました。
このときは台風が北上していて、日本海側の金沢市はフェーン現象のため記録的な猛暑になりました。
二日間かけて金沢城−兼六園−尾山神社−長町武家屋敷跡などを歩いて巡りましたが、下着は勿論のこと、上に来ているカッターシャツやジーパンまでビッショリと汗で濡れてしまい、もう少しで熱射病になるところでした。
おまけに、帰る日には台風の影響で飛行機が飛ぶかどうか分からない状態で、飛行機が飛ばなかった場合を考えて陸路での便を調べましたが、航空便を使った場合の倍の時間はかかることが分かり、前田利家公が天下を取れなかったのは、京・大阪への距離も一因だったのではないかと思ったくらいです。
幸い、私たちの搭乗する便から飛行することになり、陸路で帰ることにはなりませんでした。
台風の影響で大変な思いはしたものの、金沢城では、いろんな時代の石垣を見ることができ、戦国時代からの歴史の重さを感じることができました。
兼六園 琴柱灯篭 |
兼六園 虹橋と琴柱灯篭 |
兼六園 雁行橋 |
金沢城 石川門 |
尾山神社 |
尾山神社 |
長町武家屋敷跡 |
長町武家屋敷跡 |
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