(ある敗者の話 / 千石)
「負けちゃった」 「……キヨ」 「…ごめん」 そう言って彼は軽く頭を下げた。そして顔を上げると、すこし苦笑いをする。 たった一人でたくさんの人の期待を背負って、きっとものすごいプレッシャーだっただろう。なのに私は、彼が多くのものと戦っているときも、それに押しつぶされそうになっているときも、ただ遠くから見ていることしかできなかった。 「……キヨ、謝らないで…」 謝るのはむしろ私のほうだ。ずっと近くにいたのに、何もしてあげられなかった。 彼の支えに、なってあげられなかった。 「…俺、もっと強くなるから」 ラッキー千石なんて、まるで運だけのような呼ばれかたをしたりもするけれど、彼がここまでこれたのは決してそれだけの力じゃない。彼は本当に、頑張っていた。努力していた。 彼はたしかに運がいいけれど、だけどいつも運任せにしたりしない。だから、私はその呼び名が嫌いだった。 私がそう呼んではやし立てる人たちの文句を言う度に、彼は「いいんだよ」といって笑った。 彼は誰よりも優しくて、強い。 「次は、絶対に負けないよ」 「…うん。頑張れ、キヨ」 私も、頑張るから。 - - - - - -
(生徒会室の午後 / 跡部)
「あの、跡部くん…あれ?」 跡部くんは、昼休みには大抵生徒会室にいる。 私は生徒会の役員で、今度の校内行事の企画書を提出しに来たのだけれど…。 「……寝ちゃってる。困ったなあ」 周りをきょろきょろ見回してみたけれど、他には誰もいないみたいだ。 …それにしてもあの跡部くんが、人に(しかも私みたいな奴に)寝顔を見せるなんて。 「おーい。跡部くーん」 小声で呼んでみたけれど、やはり返答はない。 せっかく眠っているのに、彼を起こすべきなのかどうか迷う。 (……よっぽど疲れているんだろうなぁ…) 跡部くんは、とても忙しい人だ。きっと私の忙しいのとは、レベルが違うだろう。だけど彼は誰にも愚痴をこぼしたりしないし、疲れたような素振りを見せたりもしない。 そしていつだって、完璧に仕事をこなす。 だからみんな、つい彼を頼ってしまうのだ。 「企画書、ここにおいて置きますけどー」 そう言って、跡部くんが肘を突いて眠っている机に書類を置く。 初めてだ、こんなに近くで彼の顔を見たのは…。寝ているときの彼は、起きているときよりも少し幼く見えた。…窓からすべり込んでくる風が、跡部くんの髪の毛を少し揺らす。 「……跡部くん…」 ああ、このまま時間が止まってしまえばいいのに。 「……好き、です」 - - - - - -
(恋駅 / 柳生)
まだ朝も早い電車の中は人もまばらで、なんだか寂しい。 私は学校へ通うための電車に乗っている時間が、とても長い。なので音楽を聴いたり、本を読んだりして時間を潰していたけれど、いい加減毎日では飽きてしまう。 ふと気が付くと、電車の中には私が乗ったときよりもたくさんの人がいて、とても賑やかだった。私はいつのまにか寝てしまっていたらしい…。 ぼんやりしたまま向かいに座ったサラリーマンの広げた新聞を見ていて、「これ、今朝のニュースで見たやつだ」なんて思いながら、ちょうどあくびをしたときに電車はひとつの駅に止まった。 (…あ、この駅だ) いつもこの時間帯に会う人。予想通り今日も、彼はこの駅で乗り込んできた。 (今日は…、近い) 今までは遠くから見ているだけだったけど、今日は彼がとても近くに座った(向かいのサラリーマンのとなり)。眼鏡の似合う素敵な彼は、いつも難しそうな本を読んでいる。テニスバッグを持っているから、テニス部の人なんだろう。 (……ん?) よく見ると、テニスバッグに名前の刺繍がしてある(!)。 えーと、YAGYU……や、ぎゅ…。やぎゅさん?違うな…。やぎゅう…あ、柳生さんか!へえー柳生さんっていうのかあ。 新たな発見があって、どうしようもなく嬉しくなる。一人でニヤニヤ笑ったりして、周囲には私はきっと気持ち悪い人に見えていただろう。(でもまあいいか) 今日もいいことありそう。 |