エルフの




もうすぐ夏休みということで、みんなの心はどこか浮かれていたけれど私はそうでもなかった。

あまり浮かない気持ちのまま、たくさんの人が取り囲むテニスコートを横目に、あまり一般生徒は寄り付かない校庭の奥のほうへと向かう。段々木が多くなっていくのとは反対に、見かける生徒の数は少なくなっていく。

校庭の端の端へと着く頃には、もうすっかり人影はなくなっていた。振り返れば、テニスコートはすっかり木々によって見えなくなってしまっているけれど、まだ小さくギャラリーの歓声だけは聞こえている。だけどそんなことはどうでもよくて、向きなおすと私はただ、この辺りで一番大きな木の元へと急いだ。

少し息を弾ませながら辿り着いたその場所には、やっぱりいつもと同じように慈郎ちゃんがいた。
この木は慈郎ちゃんのお気に入りで、天気のいい日によく部活や授業を抜け出してはこの木の下でぼんやりしたり、お昼寝をしたりしているのだ。

私は何か悲しいことやつらいことがあったとき、ここへ来る。だけど特に何をするわけでもなくて、ただ慈郎ちゃんのとなりにいるだけ。でも慈郎ちゃんといるとなんだかすごく安心して、幸せな気持ちになる。

これが恋というのかどうかは、よくわからない。だって慈郎ちゃんとは同い年の幼なじみで、すごく小さい時から仲良しだったから、私にとってはもう家族のようなもので。だけど本当の家族じゃないから、きっといつか慈郎ちゃんは私から離れていく。自分のそばに慈郎ちゃんがいないなんて考えられない私は、やっぱり慈郎ちゃんのことが好きなのかもしれない……。

そんなことを考えながら、私はいつものように木の幹に寄りかかって眠っている、ユニフォーム姿の慈郎ちゃんの左どなりに腰を下ろした。芝生がフサフサしていて気持ち良いし、ちょうどいい具合に日陰になっているのでここは絶好のお昼寝ポイントだ。

その辺の花で花占いをしたり、飛んでいく鳥の声を理解しようとしてみたりしながら一人でのんびり遊んで過ごす。しばらくすると、風に吹かれて飛んできた落ち葉が、慈郎ちゃんの頭の上に落ちたので取ってあげようと髪の毛に触れると、ふと慈郎ちゃんが目を覚ました。まだ眠そうな目をして、ぼんやり私の顔を見る。

「あの、葉っぱ……」

と私が葉っぱを見せると、あくびをしてちょっと涙目になったあとに、軽く目をこすりながら「うん」と言った。


「……ねえ、慈郎ちゃんて妖精なの?」

そんなトンチンカンな質問に、眠そうな顔をしていた慈郎ちゃんもきょとんとして思わず目を丸くした。私は聞いたあとに、自分でも何でそんなことをいきなり口に出してしまったのだろうと思って驚いた。

「……それってなに?俺なんて返せばいいの…」

またすぐに眠そうな目に戻った慈郎ちゃんは、さっきの可笑しな質問にツッコミを入れるわけではなく、かといってその可笑しな質問をした私を笑うわけでもなく。新しいジョークとでも思ったのか、その切り替えし方を逆に質問されてしまった。

「ごめん……何でもないの……」

我ながらちょっと恥ずかしくなる。
ただ私は、風に揺られる慈郎ちゃんのちょっとウェーブのかかった金色の髪を見て、妖精の髪の毛もこんな感じなのかなとか、もしかしたら前世は妖精なのかもしれないとか。なんでそこで急に妖精が出てきたのかはよく分からないけど、とにかくそんなことを考えていたら思わず口に出してしまっていた。

「ふうん……変なの……」

あまり興味なさそうに呟くと、もう一度あくびをする。


「……で、今日はどうしたの……」

私のほうは見ないままで、芝生をいじりながら慈郎ちゃんが言った。
はっきり言ったことはなかったけれど、私が落ち込んだときにここに来ていることには気が付いているみたいだ。慈郎ちゃんはぼんやりしているようで、実は結構色々なことに気づいている人だからなあ。

「……あのね……今日、二者面談があったんだ」
「うん」
「それで、成績の話とかするでしょ。でも私…何にも得意な科目とかなくて…」
は美術が好きじゃない」
「……主要科目じゃないからだめなんだって……、それに好きなだけで成績はよくないし……」

ああ、また思い出して落ち込んできてしまった。…あの、教室の中で先生と二人だけのシチュエーションというのが、たまらなく私は嫌いなのだ。特に、まるで成績が良くなければ生きている意味が無いとでもいうような考えを持っている先生とは。

「なんかひどいこと言われたの……?」
「……ううん……」

先生は一応先生だから、生徒に対してそれほどひどい言い方はしない。でも、私は先生から投げられた、何重にもくるまれた言葉の本当の意味を探してしまう。きみはやれば出来る子なんだから、と言われれば、じゃあ今の私は何もしていない出来ない子なのか……と余分なことを考える。

全ての言葉の包みを開いていけば、結局私はダメな奴なんだといわれているようで、泣きそうになった。何もべつに先生はそんなことは言っていないのに、勝手に解釈して勝手に傷ついている自分に心底うんざりする。

「慈郎ちゃん、私ってちょっと変……だよね……」
はどこも変じゃないよ」

急に慈郎ちゃんの声が真剣な感じになったので、ちょっとどきっとしてちらりとそちらを見る。何故だか怒られる、と思った。慈郎ちゃんに怒られたことなんて一度もないのに。

慈郎ちゃんの顔は、べつに怒っていなかった。……そういえば、慈郎ちゃんが怒っているところを見たのはいつが最後だろう。幼稚舎の頃、違うクラスの男の子にいじめられているのを助けてくれた時だろうか……。

ううん……違う、もっと最近で……。


、手ぇ出してみ」

ぼんやり考え込んでいたら、となりで何やらゴソゴソしていた慈郎ちゃんに急に右手をつかまれてちょっとびっくりした。まだ、出してみ、と言う途中でだ。

「これ……」
「可愛いっしょ」

にかっと笑う慈郎ちゃんが右手の中指にはめてくれたのは、黄色い、名前も知らない小さな花で作られた指輪だった。小さかった頃、よく慈郎ちゃんがシロツメクサやタンポポの花で指輪や冠を作ってくれて嬉しかった。私は自分じゃ作れなくて、いつも「作って!」と言っては慈郎ちゃんに駄々をこねていたことを覚えている。

慈郎ちゃんは、いつも優しい。
私じゃない、誰かにも。


「慈郎ちゃん、あのね…」
「うん」
「……私、将来の夢とか、目標とか聞かれても……何にも……」

答えられない。
楽しそうに未来のことを語り合う、同級生たちの中に入っていけない。

「……わからないの……」

自分が一体、何をしたいのか。何が出来るのか。
何をどうすれば、私は出来る子になるのだろう。それは、誰も教えてくれないのだろうか?自分で探しに行かなくてはいけないのだろうか?それさえもわからない。

もし、探しに行くそのときは…あなたは……。

…………。


「心配しなくても、そのうちちゃんと見つかるから大丈夫だよ」
「……うん……」

全然根拠なんかないんだろうけど、でも慈郎ちゃんにそう言われると何故かとても安心した。

には、いいところたくさんあるから」
「……うん……」

やわらかい風に吹かれて、指輪の花も少し震える。

……と、そのとき遠くの左のほうから、誰かが慈郎ちゃんの名前を呼んだ。慈郎ちゃんがそちらを向くのと一緒に、私もそっちを見る。テニスコートの方向に小さく見えるのは男子テニス部の、マネージャーの女の子だった。彼女は、もう一度慈郎ちゃんの名前を呼ぶと両手で大きく手を振った。

……ああ、思い出した。
慈郎ちゃんが怒ったのを最後に見たのは、何ヶ月か前にあの子がたくさんの女の子に囲まれているのを慈郎ちゃんが助けたときだ。ジローちゃんは怒っていて、あの子は泣いていた。遠くからそれを見ていた私は、一体どんな表情をしていたのだろう。

「……呼んでるよ、慈郎ちゃん」
「うん」
「行かなくていいの?怒られちゃうよ……」

早く行ってしまえという気持ちと、まだここにいて欲しいという気持ちが混ざり合ってぐるぐるする。
そんな私の言葉に適当な返事を返す慈郎ちゃんは、また花で何かを作っているようだ。

仕方なく木の幹に寄りかかりながら、ぼんやりと遠くの小さなマネージャーを見る。それは、近づきもしなければ遠のきもしない。さほど邪魔ではないけれど、それでもやっぱり、目障りで。

(……………)

となりから、「出来た」という小さな声が聞こえて、意識が現実に戻る。

、ちょっと頭下げて」

言われるとおりに少し頭を下げると、慈郎ちゃんはさっきの指輪の花と同じ花で出来た冠を、私の頭にかぶせた。姿勢を元に戻すと、ふと慈郎ちゃんと目が合う。

のほうが、妖精みたいだ」

いたずらっぽく微笑みかけられて、私ははじめ言葉の意味がすぐに理解できず、きょとんとする。
妖精……?それ何だっけ、と言おうとする途中で思い出した。

「さっきの仕返しっ」
「……ふふっ」

全然仕返しじゃない仕返しが可笑しくて、私もつられてちょっと笑う。だけど、遠くから再び慈郎ちゃんを呼ぶ声が聞こえると、その笑顔はすぐにどこかへ飛んで行ってしまった。迷いのない、真っ直ぐな呼び声に思わず耳を塞ぎたくなる。

(やめて)

お願い、慈郎ちゃんの名前を呼んだりしないで。
私から、慈郎ちゃんを連れて行かないで。

引き止めるために何か言おうとしても、何も浮かんでこない。あの子は今どこにいるのだろうかと見ようとしても、首が動かない。私の視線はずっと、慈郎ちゃんのユニフォームの、黒い縦じまの辺りから離れることが出来なかった。

(私、馬鹿だ……)

こんなに好きなんて、今さら気が付かなければ良かった。


「……慈郎ちゃん」
「うん」
「……慈郎、ちゃん……」
「うん」


涙は出ないのに、どうしてこんなにも泣きたいのだろう。