「NO SPEED NO LIFEっちゅー話や!」


自慢の俊足を生かして校内中を駆け回る(※校則違反)彼の名前は忍足謙也。四天宝寺中学校に通う、「自称:浪速のスピードスター」。

走るスピードはもちろん、寝るスピードも食べるスピードも誰にも負けへん!!と豪語するほど己の速さに自信を持ち、そして世界のすべてに速さを求めていた。

彼にとって、生きることはすなわちスピードであった。速くなければ、存在する意味などないとさえ思っていた。


彼女に出会うまでは。







恋はスローモーション








「アラ謙也クン、どう?ちゃんとは仲良うなれた?」
「ハッ!?な、ななんやねんいきなり!何のことやねん!」


同じ男子テニス部に所属する、金色小春と廊下ですれ違った折、唐突にそんなことを聞かれて彼はとっさに後方1mジャンプという明らかなる動揺を見せた。


「そない赤くならんでも……もう、可愛えんやから〜」
「せやから、知らんっちゅーねん!!」


周囲にはバレバレな態度ながら意地でもシラをきり通す忍足のことを、金色は多少からかいながらも心から微笑ましく思っていた。純粋に、彼の片思いが実ればいいと願っていたのだ。


「あんれれれ謙也くん、スピードスター☆は告るんも早いんとちゃうんか」
「なっ!?」
「ユウくん」


そこに割って入ってきたのは、二人と同じくテニス部に所属している一氏ユウジだった。
あたたかく見守る金色とは違って、冷やかしたいという態度が丸出しのニヤニヤした笑みを浮かべて、忍足の肩に手をかけようとすると、それを思い切り振り払って忍足が言った。


「うっさいわ!!関係ないやろ!!」
「ユウくん、そないからかったりしたらかわいそうやんか」
「小春は優しいなあ。謙也もはよ、俺らみたいに幸せになりいや。なー、小春♡」


今度は金色の肩に手を回そうとすると、先ほどの忍足と同様……いやそれ以上の強い力で振りほどかれた。それにショックを受けている一氏に、忍足は「アホちゃう!」と真っ赤顔をして言い捨てると、逃げ去るようにその場を走り去った。








「あっ、スマン……」


忍足は何とか自分の教室まで戻ってくると、入り口付近で軽く誰かとぶつかってしまった。とっさに謝ろうとしたところ、その相手が視界に入った途端その口をつぐんでしまう。


「ううん、大丈夫やで。それよか、忍足くんのが平気やった?」
「あ、ああ……俺は、鍛え方がちゃうからなあ……!」
「あはは、そうなんや。すごいな、さすがやな」


おっとりとした話し方で、にこにこと笑っている彼女は、忍足と同じクラスの女子生徒であった。


、行くで」
「あ、うんすぐ行くー。忍足くんも、次音楽室やで」
「あ、ああせやな」


友人に、と呼ばれる彼女はそれこそ、先ほど廊下で金色が口にした「ちゃん」その人だった。

3年生にあがって初めて同じクラスになった彼女はとても優しく、いつも穏やかで、今までの彼の中の女子像を覆すような、そんな存在だった。

ひどく恋愛経験の乏しい忍足は、気が付けばいつも彼女のことが気になってしまう自分を不思議には思っても、それをはっきり恋だと自覚するまでには至らなかった。

彼はそんな自分のもやもやとした気持ちは他人には気付かれていないはずと思っていたけれど、実際には校内で彼の恋心を知らないのは、忍足自身と、想いを寄せられている張本人の二人くらいなものだった。

彼女もまた、恋愛に関してはひどく鈍感で、恋と鯉の違いもよくわかっていないようなそんなレベルだった。

そのため周囲の人間のほうが必要以上にヤキモキとし、何とか上手くいかないものかと色々手助けをするけれど、当の本人たちに自覚がないためなかなか事態は進展しないままであった。








「謙也。悪いけど、これさんに渡しといてくれへんかな」
「なんや、ノート?」


音楽の授業を終えて、同じくテニス部員でありクラスメイトでもある友人の白石蔵ノ介と教室に向かう途中、彼はおもむろにノートを忍足の前に差し出した。そこにはの名字である「」という文字が書かれている。


「さっき音楽室出るときに見つけてん。なんや置いて行ってしまったようなんやけど、俺これからちょっと保健室に用事あんねん。頼まれへんかな」
「べつに、ええけど……。渡せばええんやな?」
「ああ。ほな頼むわ」


そう言うと白石は軽く手を上げて去っていくけれど、保健室に用事があるというのは実は嘘だった。白石もまた、忍足の恋愛を影ながら応援しているうちの一人であり、自分が偶然音楽室で見つけたのノートを、何とか二人の接点に利用できないものかと考えてのことだった。




「これ、白石に頼まれたんやけど、音楽室に置いていってしもてたらしいで」
「あ、ほんまや!ありがとなあ、忍足くん。助かったわ、おおきに」
「俺はべつに……気付いて持ってきたんは白石やし」
「ううん、でもこうやって私のとこまで持ってきてくれたやん。ほんまにありがとう」


にっこりと笑うの笑顔を見て、忍足は自分の考えていた以上に彼女の喜んでくれたことが嬉しかった。それが白石の仕組んだこととは夢にも思わず、ただ純粋にラッキーやったな、と思う程度だった。








「ねえ、蔵リン。謙也クンのことやけど、何とかちゃんに気付いてもらえひんもんかねえ」
「せやけど、さんもごっつ鈍感みたいやしなあ……」
「はっきり好きやって言うたらええやん、俺みたいに。なー小春♡好きやで♡」
「うっさいわ一氏!黙っといてんか!」


放課後、部活で練習をしながら、忍足のいないところを見計らって友人たちは彼の恋愛について話し合うことが度々あった。

忍足が明るく優しい良い人物であるということをみんな知っているから、何とか上手くいって欲しいと願う一心でのことだった。


「一番問題なんは、いまいち謙也に自覚がないっちゅーことやな」
「どっちも筋金入りの鈍感なんやねえ。どないしたら上手いこと二人とも気付いてくれるかしら?」
「うーん、そうやなあ……」
「……小春う……」


「お互いのことどう思っとるんか、聞いてみたらどや」
「……!!」


白石、金色、一氏の三人とも自分達だけだろうと思っていたその場所で、突然どこからともなく四人目の声が聞こえたことに驚き、彼らが勢い振り返るとそこには同じくテニス部員である小石川謙二郎が立っていた。


「小石川、おったんか」
「ビックリさせんといてやあ、もお」


副部長でありながらもいまいちインパクトに欠け、存在感の薄い彼、小石川。本人にその気はなくても、突如現れたと勘違いされて周囲の人間を驚かせてしまうのがこの頃の悩みであった。


「最初からずっとおったやろ!……ほんで話に戻るけどな。謙也とさんそれぞれにお互いのこと聞いて、”もしかして好きなんとちゃうん?”ってなるよう誘導尋問するんや。そしたらいくらあの二人でも少しは意識するようになるやろ」
「……すごいわ謙二郎さん。今まで彼女が一度もおらんかった人とは思えへんほど恋愛戦術に長けとるやん。ほんで、なんで彼女できひんの?」
「余計なお世話やで!」
「それはなかなかええアイデアやな。やってみる価値はありそうや」
「……小春う……」








「は、のこと?な、何やねん急に……小春」
「んーん、ただ可愛えなあって思て。謙也クンはどない?」
「べ、べつに俺は……」
「優しくてええ子やないの。そんな子がクラスにおって楽しいやろ。羨ましいわあ」
「そ、それはまあ、そやなあ……」
「あんな子が彼女になってくれたらええなあ……、なんて思ったりせえへん?」
「かっ、か彼女?!何言うとんねん、小春!そんなん思ったことなんかあらへんわ!!」
「あら、そうなん?その割には、謙也クン、お顔真っ赤やでえ」
「…………!!!!」


廊下で忍足を呼びとめた金色は、面白いほど素直に反応して顔を赤く染める彼に、内心しめしめ、と笑っていた。計画通り、このままもう少し追求すれば、いくら鈍感な忍足でも自分の気持ちに気が付くであろう。

そう手ごたえを感じ、密かにガッツポーズをしていたところだった。


「ホンマはあ、ちゃんのコト……ぶうぎいいあっ???!!!!」


ついに核心に触れようとしたその時、まるでイノシシのようにものすごい勢いで何かが二人の間に突っ込んできた。金色は今までに誰も聞いたこともないような悲鳴を上げ、忍足はというとイノシシの直撃を受けて廊下の数メートル先まで飛んでいっていた。


「謙也!!500円貸してや!!学食でたこ焼き買いたいねん!!!」


その正体は、イノシシ……ではなく、テニス部の後輩でもある、一年生の遠山金太郎であった。校内で知らぬ者はいない、超野生児のスーパールーキーだ。音速を凌駕すると豪語する浪速のスピードスター☆をも気絶させる強靭な肉体、パワー、何者をも恐れぬ精神力。もしかしたらイノシシの方が幾分かマシかもしれないと通りすがりの男子生徒は心の中で思ったという。


「なあええやろ!!謙也!!!昼寝なんかしとらんと起きてや!!!」


遠山は忍足のYシャツの胸ぐらを掴んでガクガクさせるけれど、頭の上ではヒヨコたちがピヨピヨと回っている様子で一向に返事はなかった。金色はというと、衝撃でメガネがどこかへ吹っ飛んでしまい、まるでドラえもんに登場するのび太くんのように両目が「3」になりがら、メガネメガネ……と辺りを探し彷徨っていた。

謙也サイド(担当:小春)の計画は、遠山金太郎の乱入によりそれどころではなくなり、結果失敗となったのであった。




一方、サイド(担当:白石)とはいうと。


「ありがとう、白石くん。手伝ってくれて」
「いや、ええんや。このくらい」


休み時間、廊下で重そうな資料を運んでいる途中のを発見し、これはチャンスとばかりに近付くと、一緒に運ぶと申し出た。

到着した資料室には他に誰もおらず、ますますチャンス。この好機を逃す手はないと、白石はなるべく自然に、しかし確実に任務を遂行するため謙也の話題に持ち込もうとする。さてどうしようか、と彼女に笑い掛けながら思案していたところ偶然にも謙也が担当する校内放送が流れた。


「はは、謙也の奴、また至急や言うとるわ」
「忍足くん、おもろいよなあ」
「……さん、ほんまにそう思うか?」
「え?うん。めっちゃ明るいし、ムード―メーカーって感じやんな」


よし、なかなかの好印象、手ごたえありや。このまま上手いことやったら、もしかして、もしかするんとちゃうか。と白石の頭の中で成功メーターの数値がぐんぐん上がっていく。

遠回しに聞いたところで、きっと鈍感な彼女には伝わらない。よし、この際思い切って直球でいったるかと白石は決意した。


「あんな、さん。謙也のことええと思わんか?」
「……え?」
「おもろいし、面倒見もええしな。まあちょっとおっちょこちょいなとこあるけど、ほんまに優しくてええ奴やし。顔やって、なかなかシュッとしたイケメンやと思うで」
「そうやね」
「そ、そやろ?そう思うよな」
「うん。白石くん、忍足くんのこと、ほんま好きなんやね」
「……ん?」


にこにこと笑いながら白石の言うことに頷いていた彼女は、友人のことを褒め倒す彼のことを微笑ましく見守りたい気持ちでいっぱいで、まさか自分にプレゼンされているのだとはちっとも気が付いていない様子だった。


「いや、ちゃうねん。俺が好きとかやなくて」
「気にせんでええと思うよ。男の子のこと好きやって、べつにええやん」
「……は?いや、ちゃうねん。ほんまにちゃうんやって」
「大丈夫、私誰にも言ったりせえへんから」
「ちょ、聞いてや」


結局、壮大な勘違いを繰り広げるの誤解を解くことに必死で、期待されていた白石サイドの結果も失敗に終わったのであった。








「ハア〜〜〜〜」


部活で顔を合わせた作戦実行部隊の白石と金色は、お互いに惨敗報告をするなり深いため息をついた。


「ヒトの恋愛成就させるんがこない難しいとは、思わんかったわ」
「ほんまやねえ、蔵リン。あとちょっとのとこやのに」
「小春う……」


一氏は、特に参加も協力もしていないが、いつもの様に金色の後ろに張り付いている。この頃はちっとも構って貰えておらず、その表情は何だか寂しげであった。


「先輩ら、なに顔付き合わせてごちゃごちゃやっとるんすか。マジうざいっすわ」
「あら、光。光もちょっとは謙也クンのこと協力したって」
「……はあ?」


不機嫌そうな顔で、心底嫌そうな低い声を出すのは同じくテニス部に所属する二年生の天才、財前光くん。クネ、と体をしならせて寄りかかって来る金色のことを容赦なく弾き返し、その様子を一氏に避難されても、少しも気にする風もない大物である。


「知らんすわ、そんなん。ほんまアホくさ」
「光かて、謙也クンのこと好きやろ?恋の応援してあげて欲しいのよ」
「好きとちゃいます。謙也さんのことなんか、べつにどうでもええですわ」
「そんなこと言うて、財前かていつも謙也によう面倒見てもらっとるやろ」
「もらっとりませんわ。白石部長、ええ加減なこと言わんといてください」


プイ、と顔を背ける財前に、白石はまあそれも当然やなと苦笑いする。ただでさえ素直ではない性格の彼が、中学二年という最も反抗期をエンジョイしている尖ったナイフのようなこの時期に、そんなこと呑気な話に付き合ってくれるはずもない。


「……師範に」

「え?財前、何か言うたか?」
「せやから……、師範に相談してみたらどないですか、言うたんですわ」
「……銀に?」


目も合わせずにそう言うと、財前はさっさといなくなってしまった。そんな様子を見て、金色は「ほんま素直やないんやから〜そんなとこもス・キ♡」と瞳をキラキラさせると、また一氏が「浮気か!死なすど!」と叫ぶいつもの一連の流れになる。

そんな二人をさっさと捨て置き、白石はせっかくの財前のツンデレアドバイスを参考に、少し離れた場所で座禅を組みながら心頭滅却している様子の石田に近付いた。


「なあ……銀、ちょっとええか?」
「白石はん。ワシに何か」
「その、ちょっと相談があんねん。謙也のことなんやけどな……まあ話せば長いねんけど」
「もしかして、はんとのことか?」
「え、なんや知っとるんか」
「校内で知らん奴の方がおらんと思うけどな」
「……それがおんねん。知らん奴……ほら、あのパツキンやねんけど……」


白石は少し先のベンチで遠山と話して笑っている忍足のことを力なくこっそりと指差した。こっちがこんなに苦労しているというのに、本人はまったく呑気なものだ。しかし、べつに頼まれてやっているわけではないので、何も文句は言えない。


「もう俺らにはお手上げや。あの二人、鈍感過ぎてもう手に負えへんねん」
「白石はんが、そない気を揉む必要なんてあれへんで」
「どういうことや?」
「物事は何でも最終的に在るべき形に収まるもんや。あれやこれやと外野ばかりが心配しとるだけで、案外、本人達はすんなり上手いこといくかも知れへんで」
「……つまり、俺らが何もしてやらんくても、謙也たちはいずれくっつく様なるってことか?」
「そういうことや」


「なんや、白石、俺がどないしたって?」
「な!!」


白石が「さすが銀や……深いな」と思わず手を合わせて拝みたくなったのと同時に、自分の名前が耳に入った忍足がお気楽そうな顔をしてやって来たので、思わず驚いた。


「な、なんでもあれへんで。空耳とちゃうか?」
「いや、さっきからなんや謙也、謙也そこかしこから聞こえてくるねんけど」
「幻聴やろ。誰が、お前の話なんかすんねん」
「……それはそれで傷つくねんけど」


銀の言う通りかも知れへん。俺らがいくらを気揉んだところでしゃあないな、と白石は思い直し、結局なるようになる!ケ・セラ・セラや!という結論に至った。というか、もう正直疲れてしまい、だんだん面倒くさくなってきたのでそういうことにしておきたかった。



結局、事態は石田の思惑通り、数か月後に忍足との関係は、みんなのこれまでの苦労とは裏腹に、ひょんなキッカケからあれよと言う間にあっけなく上手くくっつき、すんなりと落ち着いたことで事態は収束した。

そして後に二人は校内の生徒たちから「うさぎと亀カップル」というあだ名で親しまれることとなるのだった。

そんな様子を、白石と金色、その他協力者達はホンマに良かったなあと笑顔で温かく見守りながらも、心の中ではこの言葉でいっぱいだった。




「なんでやねん!!!」