意見があるなら手を挙げて スカートは膝丈。ブラウスの第一ボタンは閉める。靴下、鞄、およびカーディガン(冬季はコート、マフラーも)は学校指定のもの。サブバックは、華美なデザインは避けること。靴は基本的に、ローファーまたはスニーカーでも可。 女子は髪の毛が肩にかかる場合、束ねるのが望ましい。しかしあまり高い位置で結んではならない。一つまたは二つ、あるいは編み下げがよいでしょう。その際ヘアゴムは黒、紺、または茶のいずれか。 それから……、 「こんなの、暗唱できるのも実践してるのも、全校生徒中私だけでしょうよ」 私は頬杖をつきながら、反対の手でポイ、と生徒手帳を机の上に投げ捨てる。 普通の生徒なら、生徒手帳の風紀についてのこんなページ、誰も読まないだろうし、書いてあることすら知らないかもしれない。 私だってべつに読みたくて読んでいるわけじゃないし、やりたくてやっているわけじゃない。 じゃあ、なんで? 「うるさいな」 心の中で問いかけてくる声に、思わず不機嫌そうな声が出る。はっとして教室の中を見回してみるも、まだ誰も登校してきていないこの早い時間、この部屋には私しかいるはずがない。 時計を見ると、まだ、始業のチャイムが鳴るまでには一時間近くあった。たまに、学校のカギを開ける当番の先生よりも早く校門に着いてしまうこともある。 朝一番に教室にやって来て、机を整え、黒板を綺麗にして、花瓶の花を活け変え、水槽の金魚にエサをやる。本当はそれぞれ、当番が決まっていることだけれど、彼らはそれらを嫌々やっている。 嫌々やれば結果など見えている。ならば私がやるしかない。 ねえ、なんで? 「学級委員だからに決まってるでしょ!」 違う、べつにそんなことしなくたっていいんだ。現に、もう一人いる男子の学級委員は何もしないじゃないか。見事なまでに、何もしないじゃないか。 いい子になりたいんでしょ? いい子だって褒められたいんでしょ? 「うるさい!!」 ♯ 「丸井くん」 「……あ?」 席まで行って、声をかけたのはクラスメイトの丸井くん。別段親しいわけではないので、普段なら声をかけることもないけれど、今日は彼に用事があるのだ。 「海原祭のクラスの出し物の希望アンケート、提出期限昨日までだったんですが」 「……あ、ああ、そういやそんなんあったなあ」 「まだ提出していないの、丸井くんと仁王くんだけなんです」 「ワリ、忘れてたわ。出す出す、すぐ出す」 そう言って丸井くんは自分の机の中をごそごそ探し出した。アンケート用紙を見つけているのだろう。 本当は、この役目だって学級委員とはべつに文化祭実行委員というのがいて、本来彼らがやるものだ。けれど、彼らの不十分な働きの補いを、担任の教師は私に頼むのだ。 「仁王くんは気が付くといなくなってしまうので、伝えておいてもらえませんか?」 「いいけど。んで、誰に出しゃいいんだ?」 「私にお願いします」 「えっと委員長って……あれ、ワリ、名前なんだっけ」 「……です」 小学生の頃から、委員長というのが私の名前だった。それにももう慣れたし、みんなが私の名前を覚えていないことにも慣れた。今さらどうでもいいことだ。 「なあ、お前っていつもそんなしゃべり方すんのか?」 「え?」 「そんな」とは、きっと同級生なのに敬語を使っていることだろう。べつに特別意識しているわけではないけれど、私は学校で誰かと話すとき、自然とこの話し方になってしまう。 「べつにいいけど。なんか、柳生みてえ。ハハ」 ……柳生?ああ、A組の柳生くんか。 話したことがないので、よく知らない。そんな話し方をするのか。 と、思ったりした。 ♯ 「委員長」 教室でピラ、と二枚の白い紙を差し出したのは、それとは対照的に燃えるような赤い髪をした、例の丸井くんだった。 「仁王の分も預かってきたぜ」 「ありがとうございます」 受け取って、さらりとそれに目を通してみる。 丸井ブン太と書かれた紙には、カフェや屋台などの食べ物のことばかりで、仁王(実際には”におう”)とだけ書かれた紙には”丸井と同じく”としか書かれていなかった。 「はい、お預かりします」 べつに中身なんてどうでもいいのだ。人数分のアンケート用紙さえ回収できれば、それで私の役目はまっとうできる。 「大変だな、委員長も」 「いえ、これも仕事ですから」 「仕事ねえ……」 休み時間が終わるまで、まだ少しある。さっそく担任の教師に持って行こうと教室を出ようとしたところ、後ろから声がした。 「お前さあ、疲れねえ?」 「……え?」 「そんなんでさあ」 「いえ、べつに。慣れてますから」 慣れの問題か?と丸井くんが言ったけれど、それには答えなかった。 べつにいいでしょう。みんなは、私が自分たちの分の仕事までやってくれるなら、それでいいと思っているんでしょう。私がどう思っているかなんて、興味ないんでしょう。 なら、放っておいてくれればいいのに。 ♯ 「マジかよ」 それは、いつもなら聞くはずのない他人の声だった。 この、朝の早い、誰もいない教室の中では。 「委員長って、いつもこんな早く学校来てんのかよ!」 「……なんで、」 丸井くんが、こんな時間に登校するのだろう。 いつもなら彼はテニス部の朝練があったはずだし、二学期になって引退した今も大抵はチャイムの音と同時くらいに滑り込んでくるはずなのに。 「すげえなあ、こりゃ模範生に選ばれるワケだ」 「……今日は、早いんですね」 「あ?ああ、朝練に遅れると思ってダッシュで来たら、もう引退してたんだった。起きた時気付いてりゃ、まだ寝られたのになあ」 「それはお気の毒です」 あーあソンした、と言いながら丸井くんはだるそうに自分の席に着く。 たった一人、この教室に増えただけなのに、私は何となく自分の居場所を奪われたような気がしていた。 「なあ、委員長」 「はい」 以前、私の名前を聞いておきながら、彼は相変わらず私を委員長と呼び続ける。 なら、最初から聞かなきゃいいのに。 「お前って、学校好きか?」 「え?」 何を突然。思わず振り返ると、彼は、机の上に伏せるようにしながら、目だけ私の方を向いていた。 「……べつに、好きでも嫌いでもないですけど」 「ふうん。なのにそんな優等生してんのか?」 「ほっといてください。私の勝手です」 大きなお世話だ。私は丸井くんや他の生徒が学校でどうしようと、口を出すつもりはない。だから私のことも放っておいて欲しい。 「でも、お前の笑顔って引きつってるぜ」 「……は?」 「なんかすげえ苦しそうに見えんだよな。お前が好きで優等生やってんならいいけど、そうじゃねえみたいだし」 うるさい。 うるさい。 思わず耳を塞ぎたくなるのを堪える。 「関係ないでしょう、丸井くんには」 「でも、一応クラスメイトだろい」 「たかがクラスメイトじゃないですか。私の名前だって知らないくせに!」 気が付くと大きな声を出していたのに、自分でも驚く。それは丸井くんもだったのだろうか、眠そうだった目が大きく開いている。 「ほっといてって言ってるの!みんなは私が雑用係やってればそれで文句ないんでしょ?ならいいじゃない」 「……オイ、どしたんだよ」 本当は、望まれて学級委員長になったんじゃないって、よくわかってる。いつだってみんなが私を推薦するのは、自分たちのやりたくないめんどうな仕事を、誰かに押付けたい一心からだって。 優等生と思われたい私が嫌がらず頷くのを見て、みんなほっとしていたはずだ。 (……しまった) でも、それは彼らばかりが悪いわけではない。私だって悪いのだ。 そうすることでしか、いい子になることでしか、生き方を見つけられなかった私だって。 「……すみません、何でもないです。忘れてください。あ、それとさっき私嘘をつきました。私学校大好きなんです。だから一秒でも早く学校に来たくて」 「……は?」 なんだよソレ、と丸井くんが声を出したところで、別のクラスメイトが登校してきたので、私はそれきり前を向いてもう振り返ったりはしなかった。 この人に本音をぶつけたところで何になる? あなたには理解できない。理解して欲しいとも思わない。 (好きなように生きられる、あなたになんて) ♯ 結局、文化祭の出し物は丸井くん含め他数名の案により、一旦はカフェになったものの、どうやらA組が執事喫茶をやるらしいという情報を聞いた。 テーマが被ってしまううえ、うちのクラスは単なるカフェ。これは勝ち目がないということで、急遽第二案に変更せざるを得なくなってしまった。 「……チェ、お化け屋敷かよ。食いモンねーじゃん」 ブツブツ言いながら、私の後ろを歩くのは丸井くん。 買い出しは、いつものように私が引き受けた。こういうのは慣れてるし、べつに一人でもいいと思っていたけれど、気が付くと、丸井くんもくっついてきていた。 「ボンドと、ガムテープ……とあとなんだっけ」 「ええと、あと両面テープです」 あの時あんな風に言ってしまったので、もう丸井くんとは話すこともないかと思ったけれど、実際には彼は何かにつけて私に話しかけるようになった。 委員長と呼ぶこともなくなった。 「あの、丸井くん」 「あー?」 「どうして、」 「ちょ、待った。意見がある時は手を挙げてくだサーイ」 「……は?」 買い出しを終えて学校に戻る途中、ふと疑問に思ったのでたずねようとしたら、彼はストップと言わんばかりに手のひらを私の前に突き出した。 「お前昨日言ってただろ、学級会議のとき。そうすっと、みんな急に黙んだよな」 「……ああ」 あれか。教室内の騒ぎを静まらせるにはあの方法が手っ取り早いから。 丸井くん、てっきり寝ているのかと思っていたけれど、起きていたのだろうか。 「(スッ)はい」 「はい、さんどうぞ」 「どうして、丸井くんは私に関わるんですか?」 「へ?どうしてって……」 わかっている。きっと、彼なりに私のことを気にかけてくれているのかもしれない。 でも、それがよくわからなかった。からかうわけでも、奇異な目で見るわけでもなく、私に関わってくる人がいるのがとても不思議だった。 それに彼には、あんなことも言ってしまったのに。 「どうしてですか?」 私は丸井くんのことがうらやましかった。丸井くんみたいに、自由に、好きなように生きられる人がうらやましくて仕方なかった。自分もそんな風に生きられたら、と何度思ったことか。 長いスカートの丈も、きちんと閉めた第一ボタンも、私を戒める鎖に思えた。 それを自分で望んだはずなのに、 苦しかった。 「んなの当然だろい、クラスメイトなんだからよ」 「……」 「あ、違った。たかがクラスメイトだったな」 「……丸井くん」 そう言って笑う彼の顔に、悪意などは一つも見えなくて。 「怒らないんですね、あんな風に言ったこと」 「べつにい。俺もお前の名前覚えてなくて、悪かったし?」 「……それは、」 「お前も自分の意見言えんじゃん。それでいいと思うぜ」 ……。私は、彼のことを誤解していた。 丸井くんは、自由奔放で、それなりにわがままで、他人の心の機微に鈍感な人間だと勝手に思っていた。ちゃんと話したこともないのに、そう、決め付けていたのだ。 「……丸井くん、本当にごめんなさい」 「あ?」 彼がこんなにも優しい人間だったなんて、知りもしなかった。 一体私はこの半年以上、クラスメイトたちの何を見ていたというのだろう。 ただ、委員長のフリばかりをして。 「それに、……どうもありがとう」 「謝るかお礼言うかどっちかにしろい」 「……、ありがとう」 「おう、いいってことよ!よくわかんねーけど!」 それからの私は、窒息しそうな毎日の呼吸が少し楽になり、ちょっとずつ自分の言いたいことを言えるようになった。 それは、そう。他でもない丸井くんの、明るさに救われたからだ。 度々、何でもないようにさりげなく話しかけてくれるのが、本当に嬉しかった。 「、お前購買の新作パン食ったか?」 「いいえ、まだですけど」 「マジか、絶対食ったほうがいいって。蟹クリームコロッケパン!」 「じゃあ、今日買ってみます」 (……もしも、) もしも、どんな夢をみてもいいのだというのなら。 (丸井くんと、友達になれたらいいのに) ♯ 何だかんだ、あったけれど、文化祭は大きなトラブルもなく終了することができた。 お化け屋敷のセットも、こうやって朝一番の明るい教室の中で見るとツギハギだらけのダンボールでしかない。けれど、みんなで一生懸命作ったものだ。壊してしまうのは少し勿体ない気もする。 (まあ、仕方ないか。さて、) 文化祭が終わったあとは、毎年、後夜祭だの打ち上げだのと色々忙しい。そのため元々どのクラスも後片付けは翌日にするということになっていて、だから私が、今、これからとりかかろうとしていたところ。 いつもの様に一人で。……だけど、 「無事に、終わってよかったな」 声が聞こえた。他に誰もいないはずの教室で。 「……丸井、くん」 「よ、はよ」 「おはようございます……。どうしたんですか?」 「何だよ、俺が早く来たらおかしいか?」 「いえ……」 そう、あの日の朝みたいに、丸井くんがやって来た。でも、違うのは今回は間違えてやって来たわけではなさそうなところだ。 「今日は片付けの日だろ?でも、どうせが一人で全部やっちまうと思ってよ」 「手伝ってくれるために、早く来たんですか?」 「そのつもり、だけど……ンだよんな驚くことねーだろ」 全部やろうと思っていたわけではないけれど、たしかに、みんなの来る前に出来るだけの分はやっておこうと思っていた。それが私にとっての当たり前だから。 丸井くんがそう言ったことに驚いたのじゃない。 そんな風に言ってくれる人のいることに、驚いたのだ。 「ありがとうございます、……優しいんですね」 「は?大ゲサだな。当たり前だろい、クラスの出し物なんだからよ」 「ええまあ、……そうですよね」 さっさと片付けようぜい、と言って彼は壁に張ってあるダンボールをはがし始めたので私も同じように近くの物を分解する。 (……当たり前じゃ、ない) 彼の優しさには、私のような打算さがない。 素直に、心からの、優しさなんだと思う。 「、今まで色々サンキューな」 「……え?」 ダンボールをはがしながら、突然、丸井くんは言った。 思わず作業の手を止めて彼の方を見ると、丸井くんは手を休めることなくはがし続けている。 「他の奴らの分まで、全部仕事やってくれてただろ?俺の分もだけど」 「そんな……、」 思わず首をもとの位置に戻して下を向く。 それは、私が好きでやっていただけのことだから。 本心はみんなのためなんかではなく、ただ、自分のためだけに。 「違うんです、あれは善意からなんかじゃないんです」 「そっかア?」 「はい、私、優等生と思われたいだけだったんです」 「ふうん。ま、お前がそう言うんならべつにそれでもいーけど」 「……」 「……」 呆れられてしまっただろうか?それとも、嫌われてしまった? そうですねとただ頷いておけばよかっただろうか? どうしよう何か言わなくては、と思いながらも何も思いつかない。 「ハイ」 「……え?」 急に丸井くんが声を出したので、そちらを見てみると右手を上げて私のことを見ていた。 「……?」 「ハイ、ハイ」 「あ、えっと……丸井くん。どうぞ」 「でもやっぱお前がそう言っても、俺はそうとは思わない」 「……そ、」 「マジありがとな。今さらだけど、お前がいてくれてよかったよ」 彼は笑っていた。 四月、同じクラスになったときには正直、素行の悪い生徒がいて面倒だなあとしか思わなかったのに、まさか、こんな風に二人だけで話をする日が訪れるだなんて。夢にも。 彼がこんなにも優しい人なのだなんて、……夢にも。 違う、本当に感謝をするのは丸井くんじゃなくて、私なんです。 「(スッ)はい」 「はい、さん」 「丸井くん、私こそ本当にありがとう。本当に、本当にどうもありがとう!」 「俺、べつになんもしてねーけど」 「ううん、私、丸井くんにすごく助けられたんです。だから……」 だから。 だから。 「その、よかったら……。友達、になって欲しいんです」 「は……?」 (ああ、やっぱり……、だめか) ごめんなさい、やっぱり何でもないですと取り繕うとしたところ。 「なに言ってんだよ、とっくに友達だったろい」 「え……」 「クラスメイトなんだからよ。……あ、違ったな、風に言うと」 「たかが、クラスメイト……ですか……?」 「はは、そゆこと」 悲しくないのに、嬉しいのに泣きたいのは、この日が初めてだった。 「てことで、これからもシクヨロ!」 涙ぐむ私とは対照的に、目の近くでVサインを作りながら丸井くんは笑ったのだった。 |