いじわる





最初に侑士に彼女ができたと聞いた時は、本当に嘘だと思った。だって今まで彼女がいるなんて聞いたこともないし、そんな素振りも見せなかったし。ありえない、と友達には言ったけれど、でも気になって直接本人に聞いてみるとあっさり事実を認めたので、私は内心動揺していた。

「それって誰なの」
「あー……あれ、B組の」

そう言って侑士の口から出たのは、私が聞いたことないような名前だった。

「……え、なに誰それ」

侑士ならいくらだって可愛いくて美人な子と付き合えるはずなのに、いつだって侑士は「美人は好かん」と言って、どんな綺麗な子に告白されても片っ端から断っていたし、彼女は作らないのかと尋ねても、面倒くさいし今は興味ないと言っていた。

だから私は安心していたのに。本当はそんなのタテマエで、もしかしたら侑士は私のことが好きなんじゃないかって、心のどこかで期待していたのに。

「その子、可愛いの?」
「……さあ、どうやろ」

私は侑士のとなりの席に座って頬杖をつきながらその横顔をじっと見ていたけれど、私と話しているというのに、侑士は本ばかり見ていてちっともこっちを見てくれない。いらいらして、私は強引にその忌々しい本を奪い取り、ぽいと床に投げ捨てた。

ちょっとやりすぎたかと思ったけれど、侑士の顔を見るとべつに怒っておらず、普段どおりの表情をしていた。

「その彼女から告白したわけ?」
「……いや」
「じゃ……侑士から?」
「……たぶんな」
「なにそれ」

いつも侑士は曖昧な返事ばかりする。そして問い詰めれば問い詰めるほど、真実からは遠くなっていくような気がするけれど、私には上手い手段が見つからない。

「ねえ、その子のどこがよかったの」

本がなくなったと思えば、今度は窓の外を眺めだした。
そんなに私と顔を合わせたくないっていうの。

「……さあ……美人じゃないとこやろか……」
「意味わかんない」

侑士の彼女なんて一体どんな子なんだろうか。たとえどんな子だったとしても、そんなの許せない。 氷帝の女子生徒で侑士と一番仲がいいのは私だし、誰よりもよく知っているのも私のはずなのに。


放課後、私は友達二人と一緒に、その彼女のクラスを訪れた。
「ほら、あの女がそうだよ」と言って友達が指差したのは、侑士の言ったとおり美人でもなく、これといって可愛いわけでもなく。本当に、どこにでもいそうな、ただの女子生徒だった。

「なんであんな奴が忍足くんと付き合えるんだろ」
「ほんとマジありえんし。ねえ、
「…………」
「どしたの、大丈夫?」

何なんだろう、この感覚。……気持ち悪い。胸の中がぐるぐるする。友達に心配されて大丈夫だと笑って見せるけれど、どことなく引きつる。何、これ?こんな気分に今までなったことがないから、どうしたらいいのかわからない。

「どうする、あの女呼ぼうか?」
「ん、いいや……とりあえず今日は。様子見」
「そっか。じゃ、帰る?」
「うん……」


その日の夜はベッドの上でいくら目をつむっても、いつまでも眠れなかった。
友達が調べたところによると二人は付き合い始めてからもう数ヶ月経っているらしい。どうして私はそれに気付けなかったの?そんなことも知らずに毎日のん気に過ごしてたの?信じられない。「あんな奴すぐに別れるから大丈夫だよ」と励まされたって、素直にそれを信じる気にはなれなかった。



「昨日さ、彼女見てきた」
「……へー」

相変わらず侑士は私の話には興味がなさそうだ。腹が立つけれど冷静な振りをして、自分の席で昨日とは違う本を読んでいる侑士の前に立って、彼を見下ろした。

「なんか、地味じゃない?」
「……」
「暗いし、全然目立たないし」
「……」
「ちっとも可愛くない」
「……」

侑士は何にも言い返さない。
私にしてはずいぶん嫌味な言い方してやったのに。


「ああ、せやな」

少しして、侑士は私の方を見ずにそう言った。それは怒っているわけでもなく呆れているわけでもなく、いつもと同じように単調なトーンだった。素直に認めるとは思わなかったので、少し驚いたのと、何だか小馬鹿にされたようで腹が立ったけど、そう言われてはこちらも返す言葉がない。

「…………侑士のアホ」

悔しかったのでとりあえず思いついた悪口を言ったところで次の授業が始まるチャイムが鳴り、私は自分の席に戻った。授業中も斜め前の席の侑士の後ろ姿をぼんやり眺めながら、あの背中はもう誰かのものになってしまったのだと思ったら苦しくて、私はシャープペンシルから出ていた芯をポキリと折った。
それから数日の間、私が侑士に話しかけることはなかったし、侑士から私に話しかけることもなかった。


……、あれ」

休み時間、いつもの様に廊下で友達と話していると、突然友達が怪訝そうな顔をして遠くのほうを指差したので、何かと思って見るとそこにいたのは紛れもなく侑士と、あの女だった。
二人が一緒にいるところを見るのは初めてだったし、あんな風に優しい笑い方をしている侑士を見たのも初めてだった。

「なんだあれ、当て付けかよ」
「てかマジ釣り合ってないんですけど」
「……」

不機嫌そうな声をあげる友達の横で、私は何も言えずにいた。
私にはあんな風に笑いかけてくれたことなんて、一度もないのに。どうしてなの?何が違うの?私とあの女と、何が違うの?

(……まただ、)

(また、あの気持ち悪い感覚)


あの日から私の胸の中のぐるぐるは、確実に、大きくなっている。
どうすれば楽になれるの。あの女を罵って罵って傷つければ、こんな気持ち消えてなくなるの?




「ねえ侑士、あの子ってどこがいいの。どっかいいとこあるの」

昼休みにぼんやりと窓際で外を眺めていた侑士の背中に話しかける。けど、返事をしないのでとなりに並んでもう一度「ねえ」と言ったら、視線だけを動かして一瞬、こちらを見るだけだった。本当は今すぐに近くにある椅子でも持ち上げて侑士に投げつけたいけれど我慢する。

「……なんやの」
「いいから答えてよ」

面倒くさそうな声を出す侑士をキッと睨みつける。何で私があの女に負けたのか理由がわからない。面白くない。じれったくて、ううん、と唸って手のひらで顔を覆う侑士の足を軽く蹴った。

「暴力やめてえな」
「早く答えないからでしょ」
「怖い女やなあ……」

はいはい、とため息混じりにこちらを向いた侑士は、じ、と私のことを見下ろす。負けずに私も上目使いで睨みつけてやったけれど、何となく負けているような気がする。

「せやなあ、……ジブン知らんやろ」
「なにがあ?」
「あいつ、笑うとめっちゃ可愛いねんで」

まさか侑士の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。だって、今まで一度だって、侑士が誰のことを可愛いなんて言ったのを聞いたことがなかった。
目の前が真っ暗になるって、こういうことなんだろうか。

めまいがする。気持ちが悪い。

私は自分から聞いておきながら「あ、そう」と適当な返事をしてその場から走って逃げた。そのまま人気のない階段の陰に隠れてうずくまり、午後の授業が始まってもずっとそこにいた。夢ならいいのに、と何度も思ったけれどやっぱりこれは現実で。助けて欲しいけれど、誰もいない。

侑士の彼女が私じゃないなんて。可愛いと言われるのが私じゃないなんて。

許せない。

そんなの許せない。



(いなくなればいいのに)

(あんな女、いなくなればいいのに)






「ねえ、ちょっといい?」

放課後。廊下を一人で歩いていた彼女を友達が呼び止めると、少し不安そうな顔をして近づいてきた。私達のようなタイプの人間は苦手なのかもしれない。まだ何もしていないのに、申し訳なさそうに身をすくませている。

(……なんで、こんな子が)

「ちょっと話があるんだけどさあ」
「うちらときてくれる?」

二人の友達の後ろで、私は何も言わずにそれを見ていた。

あのあと、階段の下でうずくまっている私を探しにきた友達にどうしたのかと心配されて、本当は口に出すことさえプライドを傷つけるようで嫌だったけれど、どうしても苦しくてさっきのことを話した。すると友達はこれ以上が苦しむのはかわいそうだ、今日すぐにでも彼女を呼び出そうと言った。

「……」

その時の私がそうだったように、彼女も何も言わずに頷くだけだった。


そのまま私たちは彼女を人気のない校舎裏まで連れて行き、壁に押し付けてそれを取り囲むようにした。彼女は今にも泣き出しそうな顔をしているけれど、かわいそうだとは少しも思えず、いい気味だとさえ、心の中の私がつぶやいていた。

「……あの、」

聞き覚えのない声がしたかと思えば、それはその女の声だった。

「なんだよ」
「は、話って、なに……?」

強い口調で言い返す友達に、彼女はおずおずと尋ねた。

「なにって、わかってんだろ」
「アンタみたいな奴が、忍足くんの彼女なんてありえないんだよ」
「……」

彼女は目に涙を浮かべ、そのままうつむいてしまった。
私は何も言わずに彼女の頭のてっぺんから足の先までを、じっと眺めていた。彼女のスカート丈は短くもないけれど長くもない。きちんと指定を守っているハイソックスから覗く膝が、可愛く見えて仕方なかった。それと同時に、あんなに気に入っていた自分のスカート丈の短さが、今は嫌に感じる。

「お前マジうざい」

友達の声とともに、パシッという音がして私は彼女の膝の辺りから目線を上げた。いきなり頬を叩かれて、彼女は驚いた顔をしている。それからじわ、とその瞳に涙が浮かんで、微かに赤くなった頬を伝っていくのをただ見ていた。ふと窓ガラスに映った自分が目に入ると、その顔は薄く笑みを浮かべている。

何だか気持ちがいい。傷ついて悲しむ彼女を見て、胸の中のもやもやが消えていくような気がした。


「侑士を独り占めできて楽しい?」

彼女に近づいて、私は意地悪なトーンで話しかける。

「侑士はブスが好きなんだって。よかったね、ブスに生まれて」

ブス、のところを強調しながらさっき叩かれたのとは逆の頬を、今度はぎゅ、とつねってやったら、彼女の瞳からまたぬるま湯が零れ落ちる。

「なんで泣くの?幸せなんでしょ、侑士に好かれて」

もっともっともっと苦しめばいいのに、と思ったところで急に友達が青ざめた顔をして「」と私の名前を呼んだので、どうしたのかと尋ねたら、小声で「忍足くんが……」と言いながら校舎の方を見上げた。

友達と同じ場所へと目をやると、2階の渡り廊下に確かに侑士はいた。こちらを見ているようだけれど、友達が「どうしよう」と震えた手で私の袖を掴んでいる間に、フイといなくなってしまった。

焦る友達とは逆に、私は妙に冷静だった。ばれてしまったのなら、それはそれで仕方がない。べつに侑士の前でだけいい子ぶるつもりなんてはじめからなかったし。どうせ侑士は私のことなんて好きじゃないんだし。

「いいよ、私気にしないから。……アンタも帰れば?」

私のことを心配する友達に気にしなくていいと言ったあと、すっかり怯えていた彼女を開放する。泣きながら走り去っていく後ろ姿を眺めながら、何となくこの世の終わりを感じていた。








「さっきの見たでしょ、私のこと軽蔑した?絶交するの?」
「……なんのことかわからんわ」
「嘘つき、さっき渡り廊下にいたじゃん。私達のこと見てたんでしょ」
「さあ、遠くてよお見えんかったし。知らんわ」

あのあとすぐに侑士を探したけれど部活には出ていなかった。学校中探して、もう帰ってしまったのかと思って最後に教室に行ってみると、誰もいない部屋の中に一人、まだ残っている生徒がいて、それが侑士だった。

「私って最低な人間なの。見下して蔑めばいいじゃない」
、どないしたん」
「私は侑士の彼女とは違う。素直じゃないし純粋じゃないし、ずるくて意地悪で汚いの」
「なんやのさっきから。落ち着き」
「なんで知らないふりするの?!ほんとのこと言ってよ!!」

私は思わずヒステリックに叫んだ。本当は全然冷静なんかじゃなかったのかもしれない。
無様な姿をさらす私を見下ろす侑士の目は細くなり、それはどこか哀れむようだった。

「わかった。ほんまは……、でもあんなことするんやなあって思って見とった」
「…………」
「ジブンせっかく美人なんやし、もったいないで」

初めて侑士と話したとき、いきなり「ジブン、整形しとんの?」と聞かれて「はあ?」と思い切り不機嫌な顔をしたあとに、「いや、綺麗やなあ思て」とさらっと言われ、ぽかんとしてしまった。それからも侑士に容姿を褒められたことは、何度かあった。嬉しかった。それが侑士にとっては大した褒め言葉ではないということを知るまでは。

私は綺麗だと褒められるよりも侑士に愛されたい。可愛いと言われたい。
それだけが、ずっと、ただ一つの望みなのに。

「ねえ、じゃあなんであの子なの、なんで私じゃだめなの」
「……」
「私だって侑士のことずっと好きだったの、わかってたんでしょ?」
「……」
「だからいじめたの、侑士の彼女のこと、いなくなればいいと思ったから」
「……」
「黙ってないでなんとか言ってよ!!」

苛立って侑士のシャツの胸の辺りを掴んで引っ張ってみても、哀れむような目をしたままで何も言わない。私は心の中で、もうだめだと思った。好かれたいはずなのに、好きすぎるあまりに嫌われるようなことばかりしてしまう。もう自分をコントロールすることができない。


――終わり、かもしれない。


「…………もういい……」

侑士のシャツから手を離し、最後に何か言ってやろうと思ったけれど、じわじわと目頭が熱くなってきて、それどころではなかった。堪えきれなくなった涙が、それはもうぼろぼろとこぼれ落ちて、あまつさえヒックという嗚咽まで漏らしてしまう始末だった。

「……なにも泣かんでも」
「……ひぐ、……うぇ……」
「さっきまであんな嬉しそうに、あいついじめとったやないか」
「…………えっぐ、……ひっく」

こんな子どもみたいに泣いたのはあまりにも久しぶりで、どうやって止めたらいいのか忘れてしまった。しばらくの間、我を忘れたように泣き続け、途中侑士が「まあ座りや」と言って私を椅子に座らせてくれた。



「……、……ひく」

差し出されたティッシュで鼻をかみ、やっと過呼吸のようなものがおさまってきた気がして、私はゆっくりと深呼吸をしてみる。だいぶ呼吸が楽になって、ふと横を見ると侑士は近くの席に座って頬杖をつきながらこちらを見ている。泣く前はまだ薄いオレンジ色だった教室が、すっかり暗くなっていた。

「……気ぃすんだか?」
「……」
「そんだけ泣いたら疲れるやろ」

私が泣き止むまで、何も言わず、ずっと待っていてくれた。「もう校舎閉まるから、帰るで」と言って私の背中をぽんと叩く侑士の手には自分のカバンと、私のと二つあった。二人とも口を開かないまま学校を出て、暗くなった道を歩く。車道側の侑士が、車が通り過ぎたあとふと立ち止まったので私も足を止めた。

「俺はやめといたほうがええで」
「……、……は」
「俺とおってもは幸せにはならん」

と言うだけ言ってまた歩き出したのでその背中を追いかける。

「……ちょっと、なに、それ、どういうこと……?」
「男は俺だけやないやろ」


違う、他にいない。私は侑士じゃなきゃだめなのに。

幸せにはなれないって、一体何の根拠があってそんなこと……と思ってもう一度聞こうとしたら急に振り返って立ち止まった侑士と目が合った。暗闇の中、ぼんやりとした明るさの街灯に照らされて、思わず口をつぐむ。

「今日のことは忘れるわ」

ほい、とずっとその手に持っていた私のカバンを差し出されて、何も言えずただ受け取った。

「ほな俺こっちやから。気をつけて帰り」

分かれ道だった。侑士は軽く手を振ると、私が帰る方向とは逆へ歩いて行ってしまった。追いかけることもできずに、その場に立ち尽くし、その背中をぼんやりと見送るだけ。

だんだんと後ろ姿が小さくなっていって、しまいには何も見えなくなった。



「……どうして、お前なんか嫌いって言わないの……」

好かれてるのか嫌われてるのかもよくわからない。
もう顔も見たくないと言われれば、それはそれでキリがつくような気がするのに、侑士はそうしない。

好きなのに付き合えなくて、嫌われることをしても離れていかなくて、私は一体どうしたらいいのだろう。ずっと、侑士のそばで苦しみ続けなくてはいけないのだろうか。

死ぬよりもつらいことがあるなんて、信じられなかったけれど、今ならなんとなくその気持ちがわかるのだった。