さいごの純真




「……なだ。真田」
「……!ああ、幸村か。どうした」
「どうしたじゃないよ。さっきからずっと呼んでたじゃないか」
「いや……すまない、気がつかなかった」
「どうせまた、ちゃんのことでも見てたんだろ」
「……む」

どうやら図星である様子の真田を見て、幸村は呆れたように笑った。
真田が教室の窓から校庭を熱心に眺めているその視線の先には、ちょうど体育の授業を終えてゾロゾロ教室へ戻ろうとしている一年生の姿がある。

真田は話しかけられたので少しだけ幸村の方を見ていたが、すぐにまた窓の外へ視線を戻した。幸村は真田が見つめているものを、ちょっと冷やかすつもりで一緒になって覗き込む。

「真田さあ、」
「……何だ」
「妹が心配だっていうのは、俺にもわからなくはないけど……」

幸村の言葉を遠くで聞きながら、真田はほかの生徒たちに混ざって校舎の中に入っていく妹の姿を、目で追っていた。そしてその姿が完全に見えなくなってから、安堵のため息をもらしつつゆっくりと幸村の方を向いた。

「あんまり、何でもしてあげないほうがいいんじゃない」
「……俺が、に何でもしてやっていると?」
「まさか、自覚ないの」
「……」

すっかり返す言葉を見失ってしまった真田に、幸村は「これは重症だな」と言って、からかうようにして笑った。



「弦一郎」
「……蓮二か。何だ?」
「いや……お前は、何をしている?」

柳はこれといって真田に用があったわけではなかったが、たまたま目に入った真田がよりによって机の上に裁縫道具を広げて、なにやら熱心に取り組んでいるので思わず声を掛けてしまった。

「む?クロスステッチだが」
「……確か、家庭科でそんな課題は出されていなかったはずだが……」
「ああ、これはの課題だ」

やはり、と思って柳は小さくため息をついた。普段の鬼副部長ぶりからは想像もできないような、まるで世話焼き女房のような姿に涙すら出てきそうなものである。

「それは、がお前に頼んだのか?」
「いや……違うが」
「ではなぜだ」
の指に針が刺さって、怪我でもしたらどうする」
「……。お前は、に甘すぎる」
「……先ほど幸村にも同じようなことを言われた」

本人としては全く甘やかしている自覚がないから余計にタチが悪い。兄として妹のことを可愛がるのはとても良いことだとは思うが、ここまで過剰なのもどうか…と柳は思った。

「あまり、に干渉しすぎるな。あいつももう中学生になったんだ。自分のことくらいは自分で出来る年齢だろう」
「……しかしだな……」



「そんなに何でもかんでもやってあげてたら、ちゃんは何にも出来ない子になるよ」
「……幸村!」
「聞いていたのか」

突然二人の会話に入ってきた幸村は、だいぶ呆れた顔をして「……聞こえてきたんだよ」と言った。

「まあ、何も出来ない子になる……というか、すでにそうなっているんだけどな」
「む……、柳」
「ああ、すまない。しかし本当のことだ」
「へえ、どんな子なの。俺まだちゃんと会ったことないんだよね」
「口では説明しにくいな……。まあ、本人に会ってみれば分かるだろう」

「ちょうどそこにいることだし」と続けて、柳は教室の入り口に立っている少女を見た。それに気が付いた途端、真田はほかの二人を置き去りにして一目散に妹の元へと向かった。

、どうした。何かあったのか」

そう尋ねられた妹のは、にこにこしながら首を振る。たまたま通りかかったので、少し寄ってみただけなのだと言う。真田はそんな妹を教室の中に招き入れ、柳と幸村の元へと連れて行った。

「妹の、だ」

真田は、妹を幸村に紹介する。は知らない人に会ったので初めきょとんとしていたが、幸村が「こんにちは」と言うので同じように言い返した。それから、「だれ?」と言いたげな顔で兄のほうを見る。それに気づいた幸村は、「ああ、ごめんね」と言って自己紹介をする。

「はじめまして、幸村精市です。よろしく」
「……真田です。おにいちゃんのお友だち?」
「そうだよ」
「蓮二くんとも?」
「うん」
「へえー。……あの、ともお友だちになってくれる?」
「もちろん。じゃあちゃん、って呼んでもいいかな」
「うん、いいよ!も精市くんて呼ぶねっ」

この妹は人懐こくて、そしてよく笑う。年の割りに、少し幼いのかもしれない。顔だけじゃなくて性格まであまりにも真田と似ていないので、幸村はそれが何だか妙に可笑しくて吹き出してしまった。そんな幸村に、柳は「どうした」と尋ねる。

「いや、可愛いなあと思ってさ」

幸村は、真田がこの妹を可愛がりすぎてしまうのも今ならわかるような気がした。
すると柳は心の中で「やはり」と思いつつ、少しうんざりしたような顔をする。

「……頼むから、第二の弦一郎にはならないでくれ……」
「…自信ないなあ」

困ったように笑う幸村に、柳はため息をついた。少し心配はしていたが、やはり会わせるべきではなかったのかもしれない。これ以上、を甘やかす人物が増えては困る。それは、のためにならない。

「……先ほどまで、弦一郎に述べていたことはどうした」
「忘れて」

この娘には、どこか人(特に男)を惹きつけるような魅力がある。それを本人はわかっているのかいないのか……。いつか男を利用したり、騙したりする性悪な女にならないければいいが、と柳は今から懸念していた。


、そろそろ授業が始まる」
「あ、うん」
「教室まで送っていってやろう」

真田はそう言うなり、中学生にもなって妹と仲良く手を繋いで教室を出て行く。真田も真田だが、妹も妹だった。少しも嫌がる素振りを見せない。

「蓮二くん、精市くんまたねー」

は真田に手を引かれながら振り返り、笑顔で手を振る。同じように笑顔で手を振り返す幸村のとなりで「まあ、あの男が傍にいる限り大丈夫か」、と柳は変な安堵感を覚えたのだった。