休日でも部活の練習はある。 そりゃいつもの朝練よりかは少し始まりがゆっくりしとるけど、それでも俺はいつもと変わらんくらいの時間に朝起きて、早々に家を出る。 部長やし。やっぱり、一番最初に行かなあかんかなって思うし。 みんなは「そない白石ばっかり頑張らんでもええよ」と言ってくれるけど、でも、そうもいかんやろ。 誰か、しっかりせな。 「蔵ちゃん」 そんなことを考えながら道を歩いていたら、その横を車がとまり、窓がウィンと開いた。にこりと微笑むその人は、親しげに俺の名前を呼ぶ。 「姉」 うちの近所に住んでいる、お姉さん。面倒見が良くて、俺がまだ小さい頃からよく遊んでくれたりした、とても優しい人。 「これから学校行くん?よかったら送ってくで」 「え?でも……」 「ちょうど通り道やから。さ、乗って乗って」 遠慮する間もなく、すすめられるままに車の助手席へと乗り込んでしまった。こうして車に乗せてもらうんは、なんや久しぶりな気いすんな。 「聞いたで。蔵ちゃん、テニス頑張っとるんやってな。すごいなあ」 「え、ああ……まあな」 「蔵ちゃん真面目やからな。部長やっとるんやって?えらいわあ」 にこにこと笑うその優しい横顔は、なんだか随分と大人びているように感じた。まあ、姉は大人なんやから当然のことやけど。 スーッと長い睫毛とか、口紅とか。ふんわりと漂う香水の匂いとか。やっぱり、俺よりもずっと年上の大人の女の人なんやと実感して、妙にドキドキする。 姉は大学を出たあと、オカンいわく”ええ会社”に就職してそれからずっとキャリアウーマンをやっているらしい。今日もこれから休日出勤するみたいやし、頑張っとるんやな。 気前も面倒見も良い姉は、勤め出してからもよう気に掛けてくれる。どこか出掛けた時は土産買うて来てくれたり、正月にはお年玉をくれたりもしていた。 「なあ蔵ちゃん、久しぶりにごはんでも行かへん?二人で」 「え……?」 「なんでも好きなもの食べに連れてくで」 チラリとこちらを見て微笑む姉と目が合って、思わず逸らしてしまった。 べつに二人でメシに行くんは初めてちゃうし、これまでも何度かあったし。何もやましいことなんてないのに、なぜだか緊張する。 「ぶ、部活終わったあとなら……ええけど……」 「ほんま?嬉しいわ。はなまた夕方、蔵ちゃん迎えくるわ。あとで時間連絡してな」 「わ、わかった」 「それまでになに食べたいか考えといて。なんでもええからな」 コクリと頷き、助手席のドアを開けて降りる。去り際に窓を下げて、少し顔を出した姉が「部活頑張ってなあ」と笑うのに、俺は頷くだけで何も返せんかった。 「なんや白石、今日やけにソワソワしとるやんけ。もしやデートか?」 「は、な、なんでやねん!そないなことあるわけないやろっ」 部活中、突然謙也に話しかけられて自分でも驚くくらいに動揺してしまった。 謙也は冗談で言っていたらしく、想定外にマジな反応を返した俺を見てポカンとしており、内心しまったと思う。 「うっそーん、蔵リンがデートぉ?!アタシというものがありながら、浮気なんてヒッド〜い!小春傷つくぅ」 「こっ小春!なんで白石なんか……コラァー白石!お前!俺の小春やぞ!!」 「先輩らほんまキモいっすわ」 小春に抱き付かれ、ユウジに胸ぐらを掴まれ、財前に冷たい視線を送られながらも、頭ん中に浮かぶのは姉のことばかり。 「ほんまに白石、大丈夫か?」 からかっておきながら様子のおかしい俺のことが気になったらしく、謙也は心配そうな顔でこちらを見ていた。 「蔵ちゃん、お待たせ」 家まで迎えに来てくれた姉の車に、誰かに見られたりしてしてへんか細心の注意を払いながら乗り込んだ。 「なに食べたいか決まった?」 「え、あ……。それがまだ……」 「あはは、そうなんや。じゃあお寿司とかどう?好きやったけ」 「お寿司……」 「焼き肉でもしゃぶしゃぶでも、ええよ」 結局、それどころやなくて何食いたいかなんてことまで考えられへんかった。 ええと……と悩みながら、にこにこと笑う姉の方を見ると、ハンドルを握る手に何かキラリと光るものがあって一瞬固まる。 (……指輪……?) 朝は緊張し過ぎて姉の方なんて向けずに窓の外ばっかり見とったから、ちっとも気が付かんかった。 「蔵ちゃん、決まった?」 「え、ああ……じゃあ、しゃぶしゃぶ……」 「わかった、しゃぶしゃぶな」 ほんまはもうなんでもよくて、半ば適当に答えてしまった。 だって、今の俺の頭ん中にはもう指輪のことしかなかってん。……指輪、左手の薬指やったから。他の指やったらべつに気になんかならへんのになんでその指やねん。 (その指につける意味くらい……俺でも知っとる) 「さ、好きなだけ注文してな」 「……うん」 想像より高級っぽい店で若干居心地悪い気したけど、相変わらず指輪のことが頭の大半締めていてそこまで気にならんかった。 しばらく他愛もない話をどこか上の空で交わしながら、ひとしきり食べ終わると二人とも箸を置く。 「今日は蔵ちゃんとこうして、久しぶりにごはんできて嬉しかったわ」 「……俺と?」 「うん。ありがとうなあ」 「なんや、おおげさやな。こんくらい、いつだって……」 「……それがなあ」 急に寂しそうな表情をする姉の顔を見て、なんやどきっとした。 ……嫌な予感。 「蔵ちゃん、私な……大阪出ることになってん」 「……。なんで?」 「今度、結婚するねん」 なんで、なんて聞かなくてもわかっとった。姉の指に光るものを見た瞬間から、全部全部わかっとった。でも、そんなんわかりたくなんてなかったんや。 「……相手の人、大阪の人とちゃうんか」 「まあそうなんやけど、なんや転勤で東京の支店に異動するんやて」 「せやから姉も一緒に行くんか?」 「まあ、結婚するわけやから、そうやね」 そうなれば姉は今の仕事辞めて、その人について行くことになるやろう。結婚するんやから、姉の言うとおり、そうするんが普通やと思うけど。それはわかるけど……。 彼氏がいるのも知らんかったし、結婚する話になっとるのももちろん知らんかった。急にそないな話聞かされてどんな返事したらいいのかわからへんし、俺の頭ん中はごちゃごちゃや。 (おめでとうって、言わなあかんのやないか……?) 結婚するんやから。みんな、当然そう言うやろ。 でも、なんでか知らんけど喉に何か引っかかって言葉が出てこおへん。 「おめでとう」なんて、ちっとも言う気になれへん。 「蔵ちゃん、寂しいけど……元気でな。正月とか、たまには帰ってくるから」 「……」 「結婚式はな、大阪でやるねん。ぜひ来てくれると嬉しいわ」 「……」 「蔵ちゃん?どないしたん」 当然や。姉は俺よか10歳以上、歳が上やし。性格も良くて美人やし。今まで結婚してへんかった方が不思議なくらいやってそう思うけど。でも……俺はきっと、心のどこかでほっとしてた。 まだ結婚せえへんのや。まだ、誰のものにもならへんのや、と。 俺はずっと、心の中で姉に憧れとった。誰にも言わへんかったけど、いつか、姉みたいな人と結婚したいなって思っとった。そんなん無理やのに。口に出せるわけあれへんのに。 それでも、その笑顔を眺める度に、そんな想いがばかりが膨らんでいった。 「なんで、大阪出てくねん」 「……え?」 (元気でな、ってなんやねん) 誰や、その男。 どこのどいつか知らんけど、俺のがずっと昔から姉と知り合いやねんぞ。家も近所やし。それこそ赤ん坊ん時からよう面倒みてもらっとったんや。 彼氏や旦那や言うたってどうせ、たかだか数年の付き合いやろ。そんなんで姉の何がわかんねん。 お前のもんとちゃうぞ。勝手に東京なんか連れてくなや。 「姉は、その人のこと……好きなんか」 「え、うん。好きやけど……」 「……」 「……蔵ちゃん?」 姉は不思議そうな顔して俺のこと見とる。今さら俺みたいな奴が、それもガキが横恋慕してヤキモチ焼いたとこでなんの意味もないことくらい、十分わかっとるけど。 よう知らん男のとなりで笑ってる彼女の顔を想像しただけで、胸が痛い。 「俺かて……俺かて姉のこと好きやし」 「……」 「俺のが好きやし。絶対」 「……」 「あと3年したら結婚できるようなるから、それまで待っといてや」 黙ったままぱちぱちと瞬きを繰り返すその目が視界に入ると、なに言うとんねん俺、と急に我に返る。 途端に恥ずかしさが込み上げてきて、やっぱりなんでもないねん、と取り繕おうとしたところ姉がにこりと笑った。 「ほんま?嬉しいわあ」 「……」 「蔵ちゃんが旦那さんやったら毎日楽しいやろなあ」 「……冗談とちゃう」 「わかっとるって。私のこと好いてくれとんのやろ?私も蔵ちゃん大好きやねんもん」 「本気にしてへんやろ」 「なんで、そんなことない。そうやったらええのにな、って思っとるよ。うちの旦那めっちゃ歳下でごっつ男前やねんって、友達に自慢できるやんか」 「からかわんといてや!」 思わず大きめな声を出してしまったら、姉はちょっと驚いた顔をしたあとにごめんごめんと気遣うように謝った。 ……俺は子どもや。 大人の彼女が、中学生の俺なんか相手にしてくれるわけあれへんのに。 せめてあと10年、早よう生まれとったらなあ……、なんて。無理に決まっとるやんか。あほらし。 「そう言うてくれて、ほんま嬉しいと思ってんねんで」 「……」 「私なんか、蔵ちゃんからしたらもうオバサンさんやのに」 「姉はオバサンとちゃう!!」 一際大きな声で否定しながら思わず椅子を立ち上がってしまうと、店の中が若干シーンとなって周囲の客の注目を浴びてしまった。 はっとして恥ずかしくなり、すぐに席に着くと姉は驚いたように何度か瞬きをしたあとまた笑顔に戻る。 「あ、ありがとなあ。気い遣ってくれて」 「……そんなんやない」 「そっかそっか。蔵ちゃん優しいもんなあ」 ありがとう、とにこにこ笑う彼女はやっぱり俺なんかよりもずっと大人に見えて。きっと、旦那さんになる人も、大人なんやろな。俺なんかとはちゃうんや。 黙りこくったまま、そう、思った。 帰りの車の中でもずっと優しく笑う彼女の横顔を眺めながら、俺にできることはなんやろと考えていた。 どんなに好きやって、今さら、結婚の話がなくなるわけでもない。二人の年齢差が縮まるわけでもない。東京になんか行って欲しくないけど、でも、そうもいかん。わかってるよ。 なら、今すべきことは。 少しでも、彼女の幸せを願って送り出してやることなんやろ。 「……姉」 「ん?なに、蔵ちゃん」 「その……、結婚おめでとう。……幸せになってや」 祝いの言葉をやっと言えたんは、もうじき、俺の家に付く頃やった。赤信号になって、なんややけに長いな思ううち、ちゃんと言わなきっと後悔すると思って意を決してそう口にした。 言いたくあれへんけど、でも、祝いたい気持ちは嘘なんかやない。幸せになって欲しい気持ちは、紛れもなく本物やし。 「東京行っても……、元気でな」 これ以上気遣わせへんように精一杯笑ってそう言ってみたつもりやったのに、ふと首を向けて見た姉の顔はちっとも笑ってへんかった。 さっきまでずっと笑っとったのに。じっと俺の目を見たまま、にこりともせえへん。なんでやろ、と不思議に思うと信号は青になって姉はまた前を向き、車は走り出した。 「もう引っ越しの準備とか、しとるんか?」 「……」 「ええなあ。結婚式の会場とか衣装とか、決めんの楽しいやろな」 「楽しないよ」 ぼそりと呟いた彼女の声に、思わず「え?」という声が口から出る。横を見ると、彼女はハンドルを握ったまま、真っ直ぐ前を見ていた。行き交う車のヘッドライトが、表情のない横顔を照らしとる。 「なんで、結婚なんかせなあかんの。嫌や、私」 「……」 「結婚なんかしたないよ。大阪やって出たない」 「……姉?」 急にどないしたんやろ、と若干動揺した。冗談やろか、一瞬そう思っても声のトーンからそんなわけはないことくらい、俺にもわかった。 「なんで好きなように生きたらあかんねん。私は私やのに」 「……」 「妻とか母とか、そんな名前にこれから一生縛られながら生きてくなんて、まっぴらごめんやわ」 うんざりとした様子の彼女を見るんは初めてやった。せやって姉はいつも笑顔でにこにこしとって、愚痴も文句も言ったりせえへん。昔から、周囲の大人には「ええ子や」と褒められとった。 彼女の口から出た言葉とは信じられなくても。 それは本音やろか。ずっと我慢しとって言えへんかったこと、なんやろか。 「あ。でも、蔵ちゃんとやったら結婚してもええなあ、私」 「……。姉、」 「冗談や」 「え、」 「全部嘘や、嘘。さ、蔵ちゃんの家に着いたで」 見れば、確かに俺の家の前やった。さっきの話を追求しようとしても笑顔ではぐらかされてしまい、結局何も聞けないままに俺は仕方なく車のドアノブに手を掛けた。 「結婚式、来てくれるやんな?」 振り向くと、彼女はなんやどこか悲しそうな笑顔で。それでも、ただ「うん」とそう頷くことしかできんかった。 あれから数カ月後、姉は言っていた通り俺達一家を結婚式に招待してくれた。 晴天の良い日やった。高級そうなホテルで式場も広くて、招待客も多い。相手の人はさぞエリートなんやろな、と思った。まあ姉の結婚相手やから、当然か。 昨日彼女から連絡があって、式の前に会いたいから控室に来て欲しいと言われた。 なんでやろう。親族でもないのに、そないなことしてええのやろか。と、なんや悪い気がして初め「でも……」と断ったけど、どうしてもと頼まれた。 (俺なんかに会ってどないするんやろ……?) 不思議に思いつつも結局言われた通りの時間にやって来ると、ちょっと緊張しつつノックをして「どうぞ」と言われた後に開けた部屋の中には姉しかおらん。 真っ白なウェディングドレス姿の彼女は、言葉に表せへんくらい、綺麗やと思った。 姉やけど……なんや、姉やないみたいや。 「蔵ちゃん!来てくれたんやな」 「あ、うん……」 「ありがとう。さ、入って入って」 笑顔で促されて中へと入り、椅子に座っている姉のとなりの椅子へ腰掛けるようすすめられて、座らせてもらった。 おばさんもおじさんも誰もおらへん。人払いでもしたんやろか。なんで?そう思ってもなぜだか聞く勇気はなかった。 「その……姉、結婚おめでとう」 「ありがとう」 「めっちゃ綺麗やな……びっくりしたわ」 「あはは、そう?着られてる感すごいけどな」 「そんなことないよ、お姫様みたいやで」 「褒めすぎやって」 楽しそうに明るくにこにこと笑う彼女はいつも通りで、以前に見た悲しそうな表情は微塵も見えずにほっとした。 やっぱり、あれは嘘やったんやろか。時々思い出しては、少し不安になっていた。 「なんや、俺に話でもあったんか?」 「え?」 「わざわざ大事な式の前に呼ぶなんて……」 「あ、うん。話っていうか……。ただ蔵ちゃんの顔見たかっただけやねん」 「俺の?」 「うん」 (俺の顔……?なんでやろ) 不思議に思うことばっかりでも、やっぱり追求はできひんかった。 「蔵ちゃん、前私のこと好きや言うてくれたやろ。めっちゃ嬉しかってん」 「あれは……」 「私も好きやで。ほんまに3年待とうか思ったくらいやもん」 「……え、」 「そしたら私と結婚してくれんねやろ?」 「あ、ああ」 「そっかあ。やっぱり、3年待っといたらよかったかなあ……」 言いながら俯きがちになる彼女の長い睫毛が、微かに震える。 まさか俺みたいな子どもの言うこと本気に受け取るとも思えへんし、冗談やろか。それとも俺に気遣ってくれたんやろか。でも、あんまり、そんな風には見えへんけど……。 「……姉?」 黙り込み、段々とその表情が陰っていく様子を眺めていると、なぜだかこちらが焦る気持ちになる。 もうじき、式が始まるというのに。 「どうかしたんか」 「……」 「そない悲しそうな顔しとったらあかんで?幸せな花嫁さんなんやから……」 「……なんで、みんな幸せやって決めつけんの」 「え……?」 ぼそりと呟いたその声はどこか沈んでいて、以前に車の助手席で聞いた時とよく似ている。 「幸せかどうかなんて私が自分で決めるし、そんなん誰かに言われたない」 「……姉……?どないしてん」 「……」 「せやって、さっきまで幸せそうに笑っとったやんか……?」 俯いた、綺麗に化粧されたその顔を覗き込むと瞳にはじわりと涙が滲み、ぽろりと零れ落ちた。なんで……?驚いた俺は、もう、正直どうしたらええのかわからへん。 大事な式の前に、花嫁に悲しそうな顔させて泣かせてしまうなんて。 「姉、ごめん、泣かんといてや……」 俺は慌てて謝った。 ただでさえ女の人を泣かせることに罪悪感を感じるのに。こんな、純白のドレスを身に纏った彼女の晴れの日に……。 それでもその涙は止まらずに、溢れてはぽろぽろと零れ落ちる。 「みんなが、お前は幸せなんやから幸せそうな顔しろ言うから……」 「……姉は、幸せとちゃうんか……?」 「…………わからん」 姉は震える声で小さく答えると微かに首を横に振った。なにか、理由があるんやろか。嫌なことでも、あるんやろか。 心配になって、俺は、姉の両手を優しく包み込むようにして握った。 「彼は、酷いことする人なんか?」 「ううん……ええ人やで。すっごくええ人……」 「そんなら……」 「……それやのに……なんで、幸せやって思えへんのやろ。これでよかったんかな、って思ってしまうんやろ……」 「……」 「最低やな……私って」 自身を軽蔑するようにそう言い、握り返されたその手にぎゅっと力が入ると、そこへぽたりと一粒、涙が落ちた。 「わかってるよ、蔵ちゃんと結婚できひんことくらい……。私、大人やもん。イヤんなるくらい、大人やもん……」 「……」 「あと10年遅く生まれとったら、なんて、この期に及んでなに考えとんのやろ……私。ほんまアホやんな」 無理して笑顔を作りながらも、その瞳からは涙が零れる。 (……姉……?) これまで知りもしなかった彼女の気持ちを、よりによってこんな日に、こんな場所で、こんな姿の彼女の口から聞くなんて夢にも思ってへんかった。 ずっとずっと大人やと思っていた姉が、なんだか幼い女の子のように見える。 いっそ。このまま彼女を連れ去ってどこか遠くへ行ってしまいたい。 (……せやけど、どこかってどこやねん) 俺には彼女を守る力も養う力もあらへん。姉が幸せに暮らすためには、彼と一緒になるのが一番いいのだと。俺も、周囲のみんなも、そして彼女自身も。痛いくらいにわかってるはずや。 ……それでも。 誰もが「幸せだ」と言うものを手に入れても、彼女は幸福そうには笑わない。 美しいドレスに身を包んだ彼女のその涙はどこまでも透明で、まるで宝石のようにキラキラと光り、悲しいはずやのに。胸の苦しくなるくらい、綺麗やと思った。 これが、喜びの涙だったならどんなによかったか。 幸せだ、と笑ってくれたなら……。 |