2012年。
サイキッカーにとっての氷河期はいまだ終わりを知らなかった。
軍サイキッカー部隊との攻防は熾烈を極め、新生ノアは疲弊していた。
そのリーダー的存在であるカルロ。明晰な頭脳、迅速な行動力を持つ彼もまた、疲労の極みに居た。
だが。
「キース様のご苦労を思えばこれしき……」
気遣う妹や他の同志に、彼はそう言って笑って見せるのだった。

そう、真に疲労の極致にいたのは彼だったろう。
キース・エヴァンス。史上最強の超能力者にして、「新生ノア」総帥。
彼が「最強」を冠するのはあくまで超能力に関してのみ。
その精神は繊細で、生真面目な性質は彼を常に思い悩ませていた。
サイキッカーの未来のこと。
自分を庇って負傷し、未だ目覚めない親友のこと。
そして、敵−軍サイキッカー部隊のこと。
なんとも皮肉だが、敵は同じサイキッカーそれもかつては「ノア」の同胞としてキースとともに戦った者達なのだ。



「新生ノア」本部の居住区。
といっても作戦室と隣接しているので、「居間」「談話室」というところか。
通りかかったカルロは、ソファから覗ける髪の色を見咎めた。
見慣れた色……銀髪。そっと近寄る。
「キース様?」
見ると、キースがソファに沈み込んでうたた寝していた。
身じろぎ一つ……息すらもしていないかのように、静かに。
やはりお疲れなのだ。テーブルの上のティーカップはほとんど中身が減っていない。
お茶を入れて、さあ飲もうと思った途端睡魔に負けたらしい。
カルロは、そっと隣りに座った。
蒼白い……いや白い顔を見降ろす。
静かな時間だった。
常に本部に満ちている怒号も、苛立つ議論の声も、悲壮な溜め息もない。
自分と、キース様だけの……
この幸運な時間を大切にしたい。しかし。
「キース様、こんな所でお休みになっては……」
個人的な幸福を向こうにやって、カルロはキースを起こしにかかった。
肩を軽く叩くと、キースは煩げに身を捩った。
「……ん……」
放っておいてくれ、とでも言うように、キースはソファにぱったりと横たわってしまった。
「お風邪を召しますよ。お休みになるならお部屋で……」
「……っ、……ウォン……」
吐息と聞き違えるくらいに小さな呟きだった。
しかしキースが呼んだ名はカルロを硬直させた。

……ウォン……ですって?

カルロの脳内MAGIシステムが演算を始める。
――落ち着けカルロ。これは寝言だ。
夢なんて理不尽で脈絡がなくて当然。
眠りに入った脳は、過去の記憶や体験を撚り合わせて
突拍子もないストーリーを作ってしまうものなのだ。
その中にウォンが出てきても決しておかしくはないだろう。
……まあ、よりにもよってウォンというのが……おかげで動揺してしまったが。
「きぃすさま、あの……」
「や……もうよせウォン……」
「!?」
「もぉだめだったら……あっ……」
寝言が鮮明になり、言葉数が増えていくに従って、カルロの心臓の動きは加速していく。
「はっ……やだ、ぁ、こんな熱い……」
何の夢だーーー!
苦しげな、切なげな吐息とともに漏れる濡れた声。薄く開かれた唇。
その口調も、声音も、内容も全てがカルロを発狂に追い込んでいった。
思わずバブルマインを自身の周辺に大量生産してしまう。
怪しげな寝言は尚も続く。
「そんなの入れたら……死んじゃう……やっ……」
速まる呼吸。紅潮する頬。苦しげに寄せられた眉。
カルロは墜落寸前だった。
「そんなにいっぱい……! 僕、も、もう……!」
「きーーすさまぁぁーー!」



「カルロ……どうした」
目に飛び込んできたのはカルロのただならぬ形相。
文字どおり叩き起こされたキースは、必死で現実に帰ってこようとして瞬きを繰り返していた。
「同志に何か?」
「い、いえ、そうではありません。た、た、ただ……キース様がお苦しみのようでしたので」
お起こしした方がよいかと、と言うカルロに、キースは表情を変えずに答えた。
「夢を見ていた……確かにあまりいい夢とは言えな……」
ふと俯いた。最後まで言わない。
カルロの心臓は早鐘となった。
「お差し支えなければ……その……ど、どのような夢だったかお話しくださいませんか……?」
キースは頬をぱっと赤らめる。
「……言えない」
目を逸らす。
ぐわあぁぁあああーーーーーっっっ
カルロ崩壊寸前。
「……昔の……・その、ウォンの夢だ……」
さらばカルロ。



言えるわけがなかった。
あれは2年前。昼食はウォンが作っていた。
ある日出されたメニューは「激辛!タンタン麺」
辛かった。それはもう凄まじく。
辛すぎる、食べられないと言うとウォンは
「総帥たる者が辛い物を食べられないなど情けない!」とばかりに昏々と説教をたれ始めた。
総帥の責務と食べ物の嗜好が関係あるのか? と、あの頃のキースには突っ込めなかった。
さらにキースを追い込んだのは「辛味バター」の存在だ。
お好みで入れてくださいと出されたそれは、何と言っていいのか……
オレンジ色をした小さな四角いバター。
さながら賽の目切りにされたニンジン。つまりバターに一味唐辛子を練り込んだわけのわからん代物だ。
一瞬何だかわからず、呆然としていたらウォンは勝手にキースのドンブリに一つ入れてしまった。
あ、という間もなくバターは紅のスープの中に溶けていく。
さながら溶鉱炉に落ちたターミネーターT−1000のようだ。
そんなもん入れたら更に食べられないという抗議に聞く耳も持たず
ウォンはどっばぁーっとありったけ入れてしまった。
「このくらい入れないと物足りないでしょう? ははははははははは」



血涙と共にウォン憎しの思いを新たにするカルロ。
未だ悪夢に脅える総帥(甘党)。
新生ノアは今日もいい天気だった。


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