'93.4 -10 ケニヤ、ナイロビより南ア、ケープタウンへむけて


 1993.5.17 一ヶ月の準備期間を経た私は不安を抱え込んだまま南ア、ケープタウンをめざして重たいペダルをこぎ始めた。
 タンザニアに入ってからはアルーシャからセレンゲティとンゴロンゴロクレーター(カルデラ)へのサファリツアーに参加した。

ンゴロンゴロクレーターにてフラミンゴ 

 ムサタからはバガモヨ経由でダルエスサラームへ行った。ここは少々マイナールートで一車線以下の白く砂っぽい道が続いた。言うならば荒れかけた林道くらいの頼りなさで、巨大な水たまりや倒木もある。また地図上には川を渡る箇所に小さなフェリーのマークが記されていたのだが、地元の人に聞いてもはっきりしなかった。
問題の箇所には人力(手動)のフェリーがあった 


タンザニア ダルエスサラームからはマラウイまで内陸の道が1000km以上続く。これまでは現地食を中心に外食し続けていたのだが体力的にきつかったのでやり方を改め、自炊と果物でパワーアップすることにした。またコーラの類を最小限に控えることにした。自炊では米を炊いたが炊き方がまだ下手だったのでパンとジャムを加えたり、屋台でムシカキ(肉の串焼)を加えたりした。果物はポポ(パパイヤ)を毎日昼食のとき食べた。
ムベヤへ向けて快走 


ナミビア、 ナミビアは1990まで南アの植民地だったためジンバブエよりさらに白人の国という色彩が強い。アフリカチックな安宿はもはや存在せず、スプリンクラーのまわる芝生のキャンプ場があるのみだ。食事も100%自炊になり、スーパーで買ったタイ米を毎日食べた。たぶんオーストラリアもこんな風なんだろうと思った。治安もよく、道端に堂々と野宿したりした。
ソッサスフレイ(高さ300mの砂丘地帯)にて 


1993.10.5ケープタウン到着。噂通りテーブルマウンテンがそびえ、その下に小ぎれいな街並みが広がっていた。不安に押しひしがれつつナイロビを出発してから5カ月近くがすぎ、走行距離は9240kmに達していた。あのナイロビの鈍よりした雲のしたと、この小ぎれいな街並みが同じ空の下というのはにわかに信じられなかった。しかもこのちっぽけな自転車のタイヤでつながっているとは・・・。
 しかし感動で涙々というのとは全く違う。自分の場合ケープタウンだけに目標を定めて走ってきたわけでは無いからだ。むしろ毎日ペダルを漕ぐ充実感と新たな土地への好奇心で走ってきた。だからケープタウン到着はうれしかったけど歓喜のゴールなどではなかった。
南ア、ケープタウンへむけて。正面はテーブルマウンテン。 


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