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久留島喜内

 享保時代から宝暦時代にかけて、三代宗看と看寿の登場で詰将棋は黄金時代を迎えたが、二人に刺戟されてすばらしい作品が誕生した。この天才兄弟と同時代に生きた作家たちの中で最も大きな存在は久留島喜内(義太)である。

 久留島の本業は数学者で、和算史上重要な人物である。彼は独学で和算を修めて最高の境地に達した天才で、『平方零約術』(現在の「連分数展開」)を著した。将棋はアマチュアであったが、四段の棋カを有し、趣味で創作した詰将棋は数学者らしい天才の閃きが随所に見られ、三代宗看や看寿とはひと味違った傑作を残している。
彼は妙手の創造よりは構想の表現に興味を感じたらしく、平明で秀れた構想の作品が多い。特に趣向の創造に妙を得ていて、次から次へとあふれ出るような趣向の豊富さは並ぶ者がない。また彼はいかにも数学者らしく、一つの構想(趣向)をいろいろの形に展開しているのが他に例を見ない特徴である。

 伝記によると、彼は数百題の詰将棋を創作したというが、大部分は失われ、今日伝えられるのは『将棋妙案』百題と『橘仙貼璧』百二十題の二書だけである。両書の約七十題は重複しているので、約百五十題が伝わっていることになる。彼は奇人で、算法の業績もまとめず、放ったらかしておいたらしく、詰将棋の両書も自分でまとめたものではないらしい。作品は傑作と駄作が混在しており、不完全作が多く、同一書の中に重複作品も見られるといった具合である。両書とも江戸時代の刊本は存在せず、写本で伝えられたようで、原本の書名もなかったらしい。『将棋妙案』と命名をしたのは幕末の好棋家榊原橘仙斉で、『橘仙貼璧』も恐らく同人の命名と推定される。
『将棋妙案』は昭和八年に写本を元に小林豊、岩木錦太郎の両氏により開刻されて、急に有名な存在となったが、『橘仙貼璧』は不完全な写本が好事家の間に伝わるだけである。


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詰将棋博物館