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五代大橋宗桂

 四世名人。初代伊藤宗看の実子で、前名は宗銀。幼名清政。寛永十三年(1636年)に生まれ、正徳三年(1713年)78歳で没した。  四代大橋宗伝の早世で大橋本家が断絶の危機に瀕したため、寛文四年(1664年)、初代宗看の実子宗銀は大橋家の養子となり、五代宗桂を名乗った。彼が28歳の時である。名人就位は元禄四年(1691年)、彼が56歳の時である。
就位に先立つこと22年、寛文九年(1669年)に詰将棋百番『象戯図式』(俗称『象戯手鑑』)を献上した。これには林春常の序文と五代宗桂の跋が付いている。
 晩年の五代宗桂は伊藤家と不和だったのか、宝永六年(1709年)にそれぞれの嫡子の生命をかけた争将棋をやらせた。宗銀・印達五十七番指しがそれで、大橋家養子宗銀(16歳)と伊藤家長子印達(13歳)を、平手から始まって四番手直りの指し込み手合いで10日に一局の割合で一年半にわたって争わせたのである。
この争将棋は次代の主導権争いだったらしいが、精魂を使い果たした印達は正徳二年(1712年)に15歳の若さで病没し、翌正徳三年(1713年)には提唱者の五代宗桂と宗銀も相次いで病没して、悲劇の争将棋は幕を閉じた。
 五代宗桂の『象戯図式』には貞享三年(1686年)版『図式象戯手鑑指南抄』、貞享三年刊『五代目宗桂象戯作物』、年代不明『図式象戯手鑑』、貞享三年版『象戯筌』、文化七年(1810年)版『五代目大橋宗桂将棋図式』、年代不詳『将棋智恵競』などの版がある。
 また五代宗桂には、『象棊百ケ条』(元緑十一年筆)と『五代宗桂記』の著作がある。

実戦集


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