その9 「いつものように」
いつものように会社を出、いつもの電車で、いつもの得意先へ営業に出かける。
その日は夏を思わせる陽気で、上着を着るのがわずらわしい。クーラーのきいた電車内が心地よく、いつのまにか眠り込んでしまっていた。ふっと気がついてみると、まだ目的の駅までは3つほどある。少しぼーっとした頭で駅に降り立つと、ほんの1時間前に会社にいたときと時間の流れが全く違う。
なにやら不思議な空間に入り込んでしまったような感覚をおぼえる。
この感覚は何度経験しても心地よく、何かを思い出させるような気もするが、だからといって何を思い出すわけでもない。歩いていると、空気が乾燥しているせいか微かな風が暑さを忘れさせてくれるが、上着を掛けた腕には汗がにじんでくる。
田んぼの中の畦道をゆっくりと歩いていく。
メダカやザリガニはいないものかと水路をのぞいたりもするが、今まで一度も見たことが無い。
看板が見えてくる頃には額にもうっすらと汗がにじんでくる。門をくぐると、自動ドアの前までのほんの10mほどの距離で足取りが速くなる。門を出て、元来た道を帰っていく。
足取りは淡々としたもので、一定の速さでリズムを刻んでいく。電車に乗り、不思議な空間から抜け出す。駅へ降り立つ。
不思議な空間から抜け出してきたはずが、まだその空間から抜け出せていないような感覚がする。
かまわずにすたすたと一定のリズムを刻んでいく。
自分ではそう思っているが、足取りはゆったりとしている。
前から5〜6人の修学旅行生が歩いてくる。
何やら楽しげに笑いながら私の横を通りすぎるが、その声は遠くの方から聞こえているように思える。
その時、何やら落ち付かない、その場にじっとしていられないような、なんともおかしな感覚が私の胸を突き抜けていった。
直後、私の頭の中では、論理的に説明のつかない意味不明の思考が駆け巡る。あの修学旅行生達の目に私の姿は映ったのだろうか?
映像として映っていたとしても、ほんの片隅にでも、ほんの小さなかけらとしてでも記憶として記録されたのだろうか?
私の修学旅行の記憶の中では、すれ違った人々の中でただの一人も記録されている人がいないようだ。
あの修学旅行生達は、今から十数年の月日を経て今の私の年齢になった時、何を思い、何をしているのだろうか。
その時、私は何を思い、何をしているのだろうか?
少なくとも私の記憶の中には彼らの姿が鮮明な形で記録されている。はっとして、我に返ったような感覚をおぼえる。
今やっと不思議な空間から抜け出たような気がする。そして、いつものように会社のドアを開ける。
〜おわり〜