大脱走(6)


 いつもは気楽に歩いている道だが、横断歩道がこんなにあったとは思わなかった。
 赤信号のときは止まれ。そんなことは百も承知だが、こちとら生まれながらの色弱なのだ。それに、人間が一緒ならば車は止まってくれるが、犬一匹だと馬鹿にして止まらない。たとえひき殺したって、パトカーに追われる心配がないからだ。早く法体系を整備しないと。
 それはともかく、当面困った。

 手を上げて、横断報道を渡ろうよ。てやんでえ。手を上げたら歩けないじゃないか。
 赤信号、みんなで渡れば恐くない。至言だ。しかし、犬が大勢で歩いていたら、即鑑別所行きだ。冗談じゃない。

 田町ハイレーンの看板がある。そこを左に曲がれば、うちは目と鼻の先だ。パグでない限り、犬の目と鼻の先はちょっと離れているにしてもだ。うだうだ言わずに、意を決して渡ることにした。

 横断歩道を渡って、ほっと一息をつき、ハイレーン横の草むらの匂いを楽しんだ。
 ぼくは気がつかなかったが、後で聞いたところによれば、このとき、道路の反対側にお父さんがいたらしい。

 おおっ!お父さんだ!
 あちゃ。夢中で気がつかなかったが、赤い胴輪を首にぶら下げたままで歩いていた。かなり恥ずかしかった。
 バカ!とぼくを怒るお父さんの目頭が、なぜか潤んでいた。散歩に誘わないで、ひとりで行っちゃったことが、よほど哀しかったのだろう。悪いことをした。これからは必ず誘うことを心に決めた。

 家に帰ったらお母さんにも叱られた。自分発見の旅も楽じゃない。
 ぷらっぷら、ひとりでよく出歩いている友紀姉ちゃんなら、きっと分かってくれるだろうと思って、部屋を覗いたがいなかった。30分ぐらい前に、自転車でぼくを探しに出て行ったきりだという。ちゃんと横断歩道を渡れるか心配だった。

 この長い間いったいどこに行ってたと問い質されたが、返す言葉がなかった。腕時計を、いや腹時計を探ると、1時間半も過ぎていた。

 お母さんはまだぶつぶつ言っていたが、お父さんは、まあ無事で帰ってきたんだからいいじゃないかと、とりなしてくれた。そして友紀姉ちゃんを呼び戻しに出て行った。そうでもしなければ、友紀姉ちゃんが行方不明になる可能性があるからだ。

 友紀姉ちゃんが戻ってきて、ぼくの旅の行程がおおよそばれてしまった。ぼくを見かけたという聞き込み調査をしてきたからだ。

 そうか!分かった。(金田一の野村刑事ではないぞ)
 自分発見の旅って、ぼく、くろ発見の、お父さんと友紀姉ちゃんの旅のことだったんだ。
 納得したところで、また寝ることにした。


後日談
 友紀姉ちゃんが大騒ぎしてくれたおかげで、芝浦の犬仲間に、ぼくの旅のことが知れ渡るところとなってしまった。
 街や公園ですれ違うたびに、「くろちゃん、ひとりで家に帰ったんだって?偉かったねえ」と誉められた。おだてられて豚は木を登る。が、ぼくは豚でも猿でもない。同じことを2度するのは野暮というもんだ。
 しかし、あと10分もあったらなあ。だーれにも気づかれずに、屋上に戻ってそ知らぬ顔をできたのに。返す返すも残念だ。