3月10日(金曜)【旧暦如月二月十一日】 天候;雨 気温7.4℃(午前9時20分)
■一日よい天気があると、その後三日は曇りや雨のぐずついた天気が続きます。
今日も朝からしとしとと小雨がふったりやんだり。
真冬のような厳しさはありませんが、外に出るときにはちょっと肩をすぼめたくなるような肌寒い陽気です。
みなさまの地方はいかがでしょうか。お変わりはありませんか。
■昨日9日、当地ではキブシの花が咲き始めました。春の訪れを告げる山野の樹木の代表です。箱根山のすそ野になり、崖がたくさんある真鶴にはあちこちに見られます。
明るい黄緑色の花のかたまりが、まるでぶどうの房や首飾りのように、木の枝にたくさん着く樹木です。
前の日まで、赤さびた短い鎖やひものようにしか見えなかったものが、かたい蕾が割れ、春の光のような薄い黄緑色の花をのぞかせはじめました。
■この日は中学二年生の息子の誕生日でもありました。
学校から帰ってきて、「おめでとう、今日はお誕生日だね」と声をかけても、「うん」と返事をしたきり、何となくおもしろくない顔をしています。
「どうしたの? 具合でも悪い。」
「ん、いや、なんでもない」と答えてあとはむっつり…。
家に帰ってきてからは、コタツに入り込んで漫画を読んだり、ガンダムの模型をいじったりしています。
「まっ、試験が終わったんだから好きにしていいんだけどさ」と、私。
ため息をつきながら、帳簿つけの仕事に戻ります。
子育てというのは、子供を通してもう一度人生をやり直す試みでもあります。
いま私たちは、一方でこの子たちの親をしながら、他方でこの子たちを通して中学生という時期を追体験しています。
若い時は二度と戻ってこない。
息子の姿を見て、何か時間を無駄遣いしているように思えてならないのですが…。
でも、自分のことを振り返って「こんなものだったのかなぁ…」とも思い直してみます。
■夜は、夕方のスーパーで3割引きのシールの貼られた寿司パックを求め、女房が不二家のショートケーキを買ってきました。
(家計の大半が子供たちの教育費に消えます)
14才をあらわすロウソクを立て、電気を消して「ハッピー バースデー トゥユー…」の歌。
「おめでとう!」
息子は「フーッ」と一息で火を消しました。
その後、女房と子供達はTVのお笑いバラエティー番組を見てげらげら笑っていました。
「あんたらほんとにTVが好きだね」と嫌味な口調で言うと、勤め人の女房は「これがストレス解消よ」、なんて顔をしています。
同じテーブルの席で私は、図書館から借りてきた『アメリカ現代詩101人集』という本をぱらぱらとめくり、たとえばジェイン・ケニヨンの「とことん憂鬱とつきあう」なんて詩に目をとめて、ひととき心配事を忘れようとします。
こんな風にして、2006年わが家の長男の誕生日は暮れました。
アイルランドの詩人W.B.イエイツの詩に、
「すべてを秤(はかり)にかけ、すべてを思い浮かべてみた時、
これからの歳月は生命(いのち)を無駄遣いするように、
過ぎ去った歳月は生命(いのち)を無駄遣いしたように思えた」
I balanced all, brought all to mind,
The years to come seemed waste of breath,
A waste of breath the years behind
In balance with this life, this death.
(「アイルランドの飛行士は死を予知する
(AN IRISH AIRMAN FORESEES HIS DEATH)」
中林孝雄・中林良雄『イェイツ詩集』松柏社 より)
という言葉があります。
空を駆けようが、地を這おうが、人生は「生命(いのち)を無駄遣い」するようだということは、同じなのかもしれません。
いずれにしろ、息子は自分の人生を歩き始めています。彼を信頼するしかありません。
そうそう、 先日息子と久しぶりに腕相撲をしました。
一年前には勝てたはずなのに、部活で毎日のように和太鼓をたたいている彼には、もうまったくかないませんでした。
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