2005年10月10日(旧暦九月八日) 天候:雨のち曇り、また時々雨 気温15.9℃(午後1時51分現在)

■ いまから800年ほど前の歌人 藤原定家( ふじわらのていか)に、こんな歌があります。
春の夜の ゆめのうき橋 とだえして
峰にわかるる 横雲のそら (新古今集)
季節はいま秋ですが、今日の外の景色はちょうどこんな風でした。
夜があけ、夜通し降っていた雨が時間とともに小降りになると、雨と雲の帳(とばり)のなかから周囲の景色が、はじめはぼんやりと、次第にはっきりと浮かんできました。
その様子はちょうど「横雲」、横に長くたなびく雲が「峰にわか」れ、つまり帳(とばり)=カーテンが開かれるようでした。
定家の歌は春の夜明けを読んでいて、もしかしたら、その後空は晴れていったのかもしれません。
しかし今日の私たちの空は、「峰にわか」れた雲が行きつ戻りつしながら、結局「曇り時々雨」の一日になりました。みなさまの地方はいかがでしょう、お変わりはありませんか。
そうそう、歌の前段の話もあります。
「春の夜の ゆめのうき橋」というのは、おそらく恋人と過ごしたロマンチックな夜を前提にしているはずです。「ゆめ」と「うき橋」というのが、閨(ねや)の中での男女の心と体の繋がりの仕方を絶妙に表現しています。
そう受け取ると、「峰にわかるる 横雲のそら」という後段の表現も、単なる風景をあらわしたものではないことが見えてきます。
思い浮かべてみて下さい。
夜が明けて、朝がはじまる気配がする。「ゆめ」と「うき橋」の繋がりがとだえて(別れて)、起き出さなければならない。平安時代は妻問い婚といって、男が女の家へ通うのが一般的でしたから、男は朝になれば自分の家や職場へ帰らなければなりませんでした。
でも、「別れがたいよね」といって、朝の風景を眺めているふたり。
「峰にわかるる 横雲のそら」というのは、そんなふたりの心の有様も表現していると思われます。
ところで、今日の私。
いつものように朝5時前に目が覚めたのですが、外は雨だし少し寒さも覚えて、寝床を離れるのがおしい。窓の外で寝ていたイソヒヨドリはもうとっくに起き出しただろうな。
枕元のラジオをつけ、パキスタンの地震やイラクの政情不安、日本のモデルガンやら強盗事件やらを報じるニュースを聞きながら夢うつつ。結局6時半前まで寝てしまい、枕元のラジオ体操の音にびっくり!
「仕事だ、仕事だ」とあわてて飛び起きました。
情けない…。