2006年11月17日(火曜) 【旧暦十二月十八日】 天候:曇り 気温12.5℃(午後0時40分) ■今日は朝からSoul Flawer Unionの「満月の夕(ゆうべ)」を聴いています。兵庫県西宮市出身のミュージシャン 中川敬(なかがわ たかし)さんが作った、阪神大震災のあの日をうたった歌です。 これまで培ってきた人やものや心の繋がりが、一瞬のうちに揺すられ、断ち切られ、炎と寒風に巻き込まれながら瓦礫の山となったあの日。 人々はそこで、人間にとって何が一番大切なことなのか、ということに気づかされたのだと思われます。と同時に、それを回復し、維持することの困難さも…。 その大切なこととは? 「満月の夕」を聴いていると、「いのち」と「きずな」という言葉で表現されるものではないか? ということに気づかされます。 いま私が聴いているヴァージョンはアイルランドのミュージシャンDonal Lunnyのバンドとともに録音された、「Marginal Moon」(1998 Kioon/Sony)というアルバムに収録されたものです。琉球とアイルランドのトラッド(伝統音楽)を基調に、ロックミュージック、さらに中川さんの(たぶん関西的な)こぶし回しの歌い方が見事に融合した名曲です。 D.Lunnyはアイルランドのトラッド(伝統音楽)や世界に広まったアイルランド移民の歌や音楽を、ロックミュージックなど同時代の音楽に結びつけることで、世界のミュージックシーンに大きな影響を与えた人です。いまメジャーな映画にサウンドトラックとして当たり前のようにアイルランド音楽が流れるのは彼のおかげかもしれません。 彼がプロデュースした代表作『BRINGING IT ALL BACK HOME-アイリッシュ・ソウルを求めて』のテーマ、つまり歌と音楽を支えるものとは、「いのち」と「きずな」であり、それは時間や空間を結んで繋がる「連続性」だったように思えます。 11年前に阪神で起こった出来事。 「いのち」と「きずな」の連続性を断ち切ろうとする動きは、同時に日本の他の地域でも、さらにアフガニスタンやイラクなど…世界のあちこちでも、繰り返し繰り返し起こっています。自然災害としてだけでなく、人が権力や軍事力や財力などに関わって起こす社会経済的な出来事、そして人と人との関係の上にも。 それは「よそごと」ではなく、いまここ、私たちが否応なく置かれる日常の生活の中でも起きています。 東京大学教授 松原隆一郎さんの新著『分断される経済…バブルと不況が共存する時代』(NHK出版)は、そのことを教えてくれます。 現在の小泉政権がおし進める経済政策は、これまで培ってきた人々の繋がりを裁ち切るばかりで、本当の意味での景気回復には結びつかない。むしろ、格差ばかりがどんどん広がり、「改革」のかけ声とは裏腹に、年金や様々な公共制度、家庭や企業、地域や国の秩序が崩壊していく可能性を指摘しています。 私たちの宿を気に入ってくださり、新著が出るとわざわざ送って下さいます。 現在の経済政策は、生産性の低い仕事や人をカットし、規制を緩和して市場の自由な競争にまかせれば経済は活性化するという考え方です。 しかし、自由な競争が公平な競争となる保障などどこにもありません。 「ルール」と「信頼」という「きずな(繋がり・連続性)」に支えられなければ、「競争」さえも実は成り立たないのです。 また、生産性の低い・高いという評価ほど曖昧なものもありません。 短いサイクルでは利潤(貨幣価値)が低い、あるいはマイナスであったとしても、長期的な視点では社会の根本を支える価値あるものはたくさんあります。 子育てや教育、農業など、「いのち」を育てることが必要な分野はここに該当します。この分野は何よりも時間と連続性が不可欠です。 これらを切り捨ててしまうことは、将来をひどく不安定にしてしまいます。 いま私たちが抱く不安感の根底に、社会経済分野で進む、この「連続性」の分断があるように思えてなりません。 それは人と人との関係にも反映され、治安の悪化や自殺、理由の分からない殺人を日常の風景にさせています。 これらの事態は、構造改革が本格化し年間の自殺者が3万を突破した頃から、「あたりまえ」のようになりました。 「改革」されるどころか、ますます「加速」されています。 松原さんの、現政権の経済政策に対する批判は、アダム・スミスの「道徳感情論」と「国富論」のふたつの著書、つまり「道徳」と「自由」が両輪になって出発したはずの近代の経済学が、いつしか「道徳」を切り捨ててしまったことに対する、経済学からの根本的な批判から出発しています。 と同時に、松原さんが私に「連続性が大事なんだよ」という言い方で話して下さったこと、11年前の大震災で肉親を失った経験のある氏は、「いのち」と「きずな」の大切さを「実践知」として、専門とする社会経済学の根本に置いているように思えてなりません。 ■ 「連続性」を断ち切ろうとする動きは、私たちの日々の暮らしの中に常に押し寄せています。ついつい、その流れに流されてしまいそうになります。 不安と絶望、不信や疑惑、猜疑や(自他への)中傷や攻撃などとして、私たちの心や行為の中に忍び込もうとします。そこに引き込まれないように、今日は朝からSoul Flawerの「満月の夕」を聴いています。
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