9.秀忠の重臣を怒鳴る 1

歳若く秀吉や家康と時代を共にした政宗は家康亡き後の幕藩体制の中で外様の筆頭となり、政宗の経験と見識を他の諸大名は畏敬の眼で見ていた。

秀忠の養女の振姫と政宗の長男である忠宗が結婚していることから将軍家とは親戚付き合いとなり、また、家康の秀忠への遺言の中に「政宗を父と思うように」とあったことから秀忠はしばしば政宗へ「親父どの」と呼んで相談をもちかけていた。

寛永5年(1628)3月のある日のこと、政宗は江戸屋敷に将軍秀忠を招待した。招待したときには将軍へ家宝もしくは貴重な品物を献上する習慣があり、前日に幕閣の重役である酒井忠世、土井利勝、内藤正重らが政宗を訪ね、「上様は伊達どのが所有する名刀の鎬藤四郎吉光(しのぎとうしろうよしみつ)を所望しておる」と政宗へ言った。「鎬藤四郎吉光」とは太閤秀吉より遺品として政宗へ贈られたものであった。政宗はそのことを聞くと「将軍家への献上する品は献上するこの政宗が決めること。それを将軍家の方からあれが欲しい、これが欲しいと家臣にねだるとはなんたること。それが誠なら将軍家の威信にかかわることぞ」と幕閣の重役を怒鳴りつけた。

酒井らは何も言えず帰っていったという。

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