![]()
小田原参陣に間に合った政宗は秀吉の配下に加わり、秀吉から蒲生氏郷と共に奥州仕置きの命令を受ける。主に大崎・葛西の一揆の鎮圧なのだが、なんとその一揆の扇動者が政宗であることが秀吉の耳に入った。事の発端は政宗の大崎・葛西の郎党に後ろ楯をする旨が記された密書が裏切り者の手によって氏郷へ渡されたからである。秀吉は政宗の小田原参陣への遅参を大目に見てやったことから、政宗の謀反に怒りをあらわににした。すぐに政宗へ上洛の命令が下った。
政宗は2度目は白装束姿だけでは通用せぬと思い、他の策を練った。そしてひらめいたのが金箔の磔柱であった。「おれを磔にするなら並の磔柱では納得せん。金の磔柱を持参してやる」。30余騎の家臣を伴い、先頭に金の磔柱を2本押し立てての行進で、政宗自身は白装束姿で髪を水引で束ねていた。そのことを知った秀吉は政宗に対し憎さと可愛さが混同していた。
Copyright (C) 2008 Takeshi Aoki All Rights Reserved.