12.副将軍 伊達黄門

寛永3年(1626)後水尾天皇の二条城への行幸の折、将軍家光は政宗を含む諸大名を伴ない二条城へ参内した。このときの政宗の身分は従三位権中納言である。ちなみに他の武将は駿河、尾張、紀伊の御三家は大納言、水戸、前田、島津が中納言である。行進するときの馬に付ける総(ふさ)の色には慣例があり、大臣と征夷大将軍は紫色で、大納言および中納言は赤色であった。駿河、尾張、紀伊、水戸は家光へ一門であることを理由に紫の総を願い出たが、家光は了承しなかった。しかし将軍家光はなんと自ら外様大名である政宗へは紫の総の使用を認めたのだった。理由は伊達家は藤原鎌足から続く家柄とのことだったが、実際は父親代わりである政宗へ将軍家と同一色の総を付けさせることによって、「将軍家には政宗のような立派な武将がいるので心配はありません」と朝廷へアピールしたのではと思う。

政宗はこれ以上ない日本を動かす人間達のいる場所で将軍に準ずる位置の者と認められたのである。中納言の別称は「黄門」と云い、よって紫の総を唯一認められた中納言伊達政宗は天下の副将軍扱いであった。

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