1.隻眼・独眼竜
伊達政宗の別名が「独眼竜」であるのはいうまでもない。5歳の折に疱瘡にかかり生命を取り留めた分右目を失ったのは、幼児であった政宗にとってはさぞかし辛かったであろう。

このことは現代の状況でも全く変わりはないと思う。先天的に身体に障害をもって生まれてきた人々と後天的(病気や事故等)に障害をもってしまった人々と事情は多少異なるのであろうが、小生の思うところ五体満足に生まれた人々よりも身体に何らかの障害をもっている人々の方が力強い生き方をしているように見受けられる。小生自身も実は13歳のときに右腕(利き腕)を骨折してしまい、それ以来手のひらが返せない状態になってしまった。今では別段気にしてはいないが、たまに買い物の後のお釣をもらうときに右手をつい出してしまい、小銭を落としてしまうことがある。レジの人が謝るが、原因は小生にあるのである。また、小生の叔父は重度の身体障害者である。事故で右腕を失い、脊髄損傷で下半身不随になり、車椅子生活である。しかし普通に孫の世話や家事をおこなっている。要は己のハンディキャップをどう受け止めるかは自分自身の問題なのである。

梵天丸(政宗)の立場は現代人とは次元の違うものであった。戦国時代の一国の主となる運命のもとに生まれた人間にとってのハンディキャップはその国に不安をもたすに充分なものであったろう。政宗が片目になってから引っ込み思案になったことは真実であると思う。その梵天丸が不動妙王の仏でありながら鬼のような形相をしているのを見て「梵天丸もこのような顔であるが、仏のような慈悲の心を持ちたい」といった逸話は幼児でありながらもう二度ともどらない以前の顔と決別する強い意思を持ったことが伝わってくる。また、そのような梵天丸の変貌は乳母である於喜多の影響がある。梵天丸が隻眼であるのを「若は隻眼の偉いお坊様である満海上人の生まれ変わりなのですよ」と常々言い聞かせていた。

片目である政宗の甲冑姿は敵国の武将に充分威圧感を与えたことであろう。当時既に「独眼竜」と呼ばれていたなら、政宗の姿を未だ知らぬ武将、特に下級武士達はどのような姿を想像したであろうか。

隻眼の風貌は諸大名の中にいてかなり目立っていたであろう。政宗は虎哉和尚よりへそ曲がりの術を学んだことから、目立つ己の姿を逆手にとり、さまざまな派手な行動をおこした。「この天下には伊達政宗がいる」ことは日本全国に充分伝わることとなった。片目であるコンプレックスを合戦、政治、文化へと見事に昇華し、天下の副将軍にまで至った伊達政宗はやはり「独眼竜」でなければいけなかったのである。

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