22.青葉城(仙台城)
仙台の観光名所の筆頭は仙台城(別称:青葉城)跡であろう。しかしながら赴いた人達は「城跡」を見に行った 感覚をあまり得ないであろう。実際、赴いた複数の不特定の人達から 「青葉城って思ったほどじゃなかった」という感想を異口同音に聞かされるのである。跡であるため当然ながら城らしい建物はなく、資料館や複数のお土産屋がただあるだけの場所だからである。唯一「騎馬像」が赴いた価値をどうにかもたらしていると言ってよいかもしれない。よほど政宗ファンや城跡(歴史)ファンでない限り「隅櫓」や「石垣」等を見て感慨にふけることはないであろう。
しかしながらもしも「城跡」ではなく復元された「城」があったとしても、そこでは残念ながら期待するような城の実感を得ることはないであろう。 それは仙台城は「天守閣を持たない」城だからである。
天守閣は日本の城において象徴と言っても過言ではない。そこは当主が「殿」として我が国を見下ろす場所であり、当然ながら戦(いくさ)のときはその状況を知るための展望場所となる。大阪城を見て「城!!」と思うのは、あの天守閣をともなった三角形のような姿がまさに日本の城の姿だからである。政宗は自ら無理無理??に家康へ願い出た「仙台」の地においての新城の普請にあたり、城の象徴となる天守閣の建設をあえて行わなかった。その理由は「徳川家による太平の世においてどうして天守閣を必要といたしましょうや??」と家康に言ったという逸話がある。言い換えれば天守閣を持たないという条件で新城の普請を家康に許可してもらったと言われている。
が、新城を築くのはあの伊達政宗である。天守閣をあえて持たないと自ら言うこと自体非情に怪しい。そこには絶対に“裏”がある。
元々青葉山に城を築いたのは仙台が「千代」と呼ばれていた時代、国分氏が城を築いていたのだが、政宗もまさにこの場所を新城の場所にふさわしいと思ったのである。青葉山は急な渓谷と広瀬川が堀の役目を成した自然の要害になっており、頂上はまさにそれ自体が天守閣の役割を成している。すなわち政宗は太平と言われる時代に入って“山城”を造ったのである。
ただし、単なる山城ではなく、その本丸は「千畳敷き」といわれる大広間を持った桃山文化の粋を集めた豪壮華麗なものであった。実際の広さは430畳と伺われ、その様相は豊臣秀吉が築いた絢爛豪華な聚楽第の大広間を模したと言われている。
いくら天守閣を持たぬといえど、誰が見ても「山城」としか見えない仙台城、家康も当然認めたくはないところであったろう。しかしながら、逆に「一国一城」制を制定した幕府が仙台藩においては「白石城」の存在も認めたところに家康の政宗に対する複雑な想いを感じさせずにはおけない部分である。

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