5.白装束で小田原へ
政宗はついに小田原へ参陣した。しかし秀吉はすぐに会おうとはしない。このときまだ秀吉は政宗の顔を知らず、政宗もまた秀吉の顔を知らない。秀吉の前知識は「片目の調子ずいている田舎の若造」であり、政宗の前知識は「猿顔の百姓あがりの成り上がり者」であった。

秀吉は政宗を箱根山中の「底倉」と呼ばれる三方を山に囲まれた天然の要害に建つ屋敷に留めさせた。そしてそこで秀吉の側近である浅野長政や施薬院全宗ら5人の詰問役をやらせ、参陣の遅延の理由、秀吉による私戦行為の中止(怱無事令)中の芦名氏との戦い等について詰問させた。政宗は全ての詰問に淡々と答えてみせた。しかし詰問行為は秀吉としては儀礼的なものであったようだ。何故なら詰問役の者達はどれも政宗と以前から好みを通じていた者たちばかりであったからだ。皆が以前より政宗へ小田原参陣をとにかく早くするようにと心配の手紙を送ってきており、政宗も彼らへの心使いに答えるように贈り物をしてきていた。そのようなことを秀吉が知らぬはずがない。もしかしたら秀吉自身も24歳の若さで名門芦名氏を滅ぼした手腕のある政宗を参陣の遅れで殺すようなことはしたくなく、とにかく北条氏が降参せぬ前に1日でも早く来ればよいと思っていたかもしれない。とにもかくにも詰問は無事終わり、その後は当面の北条に対する処遇等の憶測話に移った。そのようなとき政宗はとんでもないことを言い出した。「この小田原にはかの有名な千利休殿もおいでになっているとのこと、願わくば天下の茶人に一度お目通り願えないであろうか」と懇願した。その話を聞いた秀吉は「明日の命もわからぬ者がそんなことを・・・」と政宗の図太さに感心したという。はたしてついに秀吉は政宗を呼ぶこととなった。

秀吉が陣所で待っているとなんと白装束に身を包み、髪を下ろした片目の若者が現れた。周りに居る者達は政宗の顔とそのいでたちに一瞬黙したが、「なんだその格好は、不吉であるぞ」とどなった。秀吉はニヤっと薄笑いを浮かべ、政宗を手招いた。秀吉の目の前に膝まついた政宗は「いつでも首を刎ねられる覚悟の気持ちの白装束です」と言った。秀吉は「そうかそうか、なんとも小気味のよい奴だ。もう少し遅ければここが危なかった」と言いながらピシャリと手に持っていた杖で政宗の首を叩いた。このとき政宗は熱湯をあびせられた気持ちがしたという。

政宗としてはなんとも悔しい思いであったろう。理由は2つある。ひとつは懐に短刀を忍ばせ、刺し違える覚悟で臨んだにもかかわらず、身体がこわばってしまったこと。もうひとつはこの度の秀吉の謁見は事前に秀吉と予行練習していたという説があり、その説を前提とするなら、そのときは主従関係確約の言葉の取り交わしで終わっていたのに、実際はさらし者のように扱われたということ。前の理由は百戦錬磨の完成された天下人と奥州の覇者とはいえまだまだ世の中を知らない田舎の武士との歴然とした器の差がそうさせたのであり、後の理由は秀吉の「世の中そう甘いものではない」と言わんばかりのアドリブと思える。

秀吉と政宗の初対面、初対戦は秀吉の圧勝に終わったが、へそ曲がりの政宗はこの日を境に秀吉へ闘志を燃やすようになった。

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