8.伊達者
文禄元年(1592)、秀吉は朝鮮出兵の出陣式を催した。出陣式の一番隊は前田軍、二番隊は徳川軍、そして伊達軍は三番隊で3千の軍隊で現れた。伊達隊が現れると秀吉をはじめ、見物に来ていた京の人々が大歓声をあげた。何故なら伊達隊のいでたちが見事だったからである。金色のとんがり笠をかぶり、銀箔の太刀を腰に付けた足軽隊、紺地に金の日の丸の幟(のぼり)が30本、騎馬隊の馬上の武士は全員黒鎧を身に付け、兜には金色の半月の前立てで統一されており、馬鎧は虎、豹、熊や孔雀の羽で作ってあった。特に原田宗時と後藤信康の二人は特に目立ち、長さ1間半(約2.7メートル)もの大太刀を金の鎖で肩から下げ、地面にとどきそうであった。政宗は熊毛の陣羽織をはおっていたが、逆に派手さの中でシックにきめることによって、かえって目立つようにしていた。

京の人々の中から誰彼となく「さすがは伊達だ。伊達者だ」と喝采を浴びせる声があがった。。秀吉も「政宗、政宗、」と声をあげたという。

政宗とってこの派手な出陣のいでたちには計算があった。1.伊達政宗は他の武将とは違うことをアピール。2.秀吉の派手好みに答え、秀吉が気に入ることで自分の側におかせたいと思い、朝鮮への出兵を見送る(朝鮮へ行かずにすむ)。1については充分その効果を得、2については半分成功した(初回は行かずにすんだが、2回目は朝鮮へ渡った)。

戦国の世における武将達はいずれも自分の存在を知らしめるため、それなりにおしゃれには気を使ったと思うが、それらの殆どが勇猛さを象徴する渋いいでたちであったのに対し、政宗のそれは勇猛さをふまえながら美しいファッションセンスにもこだわりを持つ心の余裕があったように思われる。

※「伊達者」とは政宗が語源であると言う説についての問題定義を「政宗いろいろ」のこちらでしております。

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