「伊達」の読み方は「イダテ」?
「伊達者」とは政宗が語源ではない?
「伊達」と書いて「ダテ」とあたりまえに読んでいるが、あらためて考えるとどうも納得がいかない。そう、「伊」の音が発音されていないのである。では「伊達」は最初から「ダテ」と読まれたのか?このことについては誰でも確認しやすい資料がある。

仙台市博物館にある政宗が遣欧使節団に持たせたローマ法王宛のラテン語訳の書簡をぜひ見ていただきたい。政宗の花押部分にローマ字で「Idate Masamune」と明記してある。奥州王として正式なサインに用いていることから、本来の読みである「イダテ」と記したのだろう。

ただし、遣欧使節が慶長18年(1613)で、それを遡る天正17年(1589)の秀吉からの手紙(政宗が贈った鷹と鶴の返礼)には「たてさ京の大夫とのへ」と書かれており、既に「タテ」ないしは「ダテ」の読みがあてられていた。

さて、「伊達」が「イダテ」であるならば、政宗が語源であるといわれる「伊達(ダテ)な」という形容詞はどう解釈すべきなのか。「伊達者」、「伊達な振る舞い」等「ダテする」とは政宗以前から「タテる」または「タタせる」という言葉があり(際立つの意に繋がる)、よって、その言葉の意味合いが政宗の言動と見事に合致したことから、「伊達」を「ダテ」と無理なく読ませたのであろうと思う。ちなみにシャレのきく秀吉ならば派手な振る舞いをする政宗を「ダテ」と呼んでも自然なことであったろう。

朝鮮出兵の出陣式では京の人々はダジャレ的に政宗の隊を「さすがはダテ者だ」(ダテとはまさしく政宗のことだ)と愉快に称賛したのだろう。

よって本来「伊達者」とは政宗の存在以前より話し言葉の中で「ダテ者」とあったのであり、厳密には政宗が語源であることは否定される。しかし、政宗が全国区に名を出すようになってから「伊達」の文字を当てたことは政宗の存在によるところは確かなようである。

※「出羽」も本来は「デワ」ではなく「イデワ」と読んだ。

※幕末までは故実として伊達に「イダテ」のかなをふっていた。

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