政宗没後、20名の家臣達が殉死した。伊達家においては輝宗が亡くなったときに数名の重臣達が切腹したことから、政宗の代になって「追い腹は御法度」となっていた。「生きて伊達家に奉公すべし」ということである。
ただし、政宗は己の死期を感じた頃から「はたして何名の者が追い腹することだろう」となかば期待感を持って側の者につぶやいたという説がある。
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享年 |
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石田将監興純 |
48 |
曇りなき月のあごとふやまのはの |
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茂庭釆女兼綱 |
44 |
終に行旅に道立武士のてらさすも |
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佐藤内膳吉信 |
29 |
地水花風おのれおのれに返しつつ |
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青木忠五郎友重 |
32 |
よしさらは曇らはくもれくもるとも |
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南次郎吉政吉 |
22 |
おそくとも心ははやくのりの駒 |
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加藤十三郎安次 |
23 |
曇りなき月の入るさを慕いつつ |
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菅野庄左衛門重成 |
41 |
出るより行衛もしらぬたひのみち |
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岡崎喜齋 |
75 |
情には露の命もおしからす |
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入生田三右衛門元康 |
60 |
ふるさとへかへると見れは霧はれて |
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桑折豊後綱長 |
66 |
くもりなき月の光をもとの道 |
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矢目伊兵衛常重 |
63 |
はれて行月かけしとふ道なれや |
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小平太郎左衛門元成 |
63 |
かそふれは六十ちあまりのゆまさめて |
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小野二左衛門時村 |
51 |
かけたかき松に風のふきあれて |
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大槻喜右衛門貞義 |
61 |
君はみた光をさそふ友なれは |
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渡邊權亟重考 |
47 |
みな人はくるる月日とおもふらん |
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青柳傳右衛門 |
未詳 |
さきまちし君をしるへに行道の |
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加藤三右衛門 |
未詳 |
いつくともしらてちこくに行なれは |
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東海林茂傳次 |
未詳 |
弥陀たのむ頼む心をしるへにて |
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横山角兵衛 |
未詳 |
すへの露もとのしつくときえかへり |
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杉山理兵衛 |
未詳 |
名はかりは夢の此世に残し置 |
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