年号をクリックするとその年の内容が物語になっています。政宗の生涯が目に浮かぶよう工夫してみたつもりです。なお、小生オリジナルの小説ですので、下手な書き方ですが、かんべんしてください。現在まだ天正5年(1577)までしかできていません。随時でき次第アップします。
全ての小説の著作権は「あおきたけ」が所有しております。よって無断での転載を固く禁じます。
「あと20年早く生まれていれば・・・」、秀吉の天下統一が確実となったとき、政宗は己の若さを恨むほかなかった。政宗が若干18歳で家督を継いだとき、中央で活躍をしていた武将達の年齢は30代から40代である。「とにかく出来る限り領土を確保せねば、羽柴、徳川、上杉、彼等とは対等な力関係でなければならん・・・」、「独眼竜」の名は奥州を駆け巡り、覚ましい勢いで領土を拡大していった。そして家督相続から5年後、政宗は23歳という若さでついに奥州を制覇、「奥州に伊達政宗あり」と天下にその存在を示すこととなった。しかしそれは皮肉にも秀吉による天下統一と時期を同じくしていたのである。
奥州の覇者政宗は秀吉政権以来老獪な大名達との駆け引きと対等に渡り歩き、徳川政権下では「いつでも天下を奪ってやる」とつねに幕府を脅かす存在としてあり続けた・・・。
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1567 |
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8月3日:米沢城に生まれる。 |
8月:織田信長、斎藤竜興を滅ぼし、岐阜城に進出。 |
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永禄11 |
1568 |
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伊達成実生まれる。 |
9月:織田信長、足利義昭を奉じて入京。 |
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永禄12 |
1569 |
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5月:徳川家康、遠江国をほぼ平定。 |
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1571 |
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疱瘡を患い、右目を失明する。 |
6月:毛利元就、死去(75)。 9月:織田信長、比叡山焼討ち。 10月:北条氏康、死去(57) |
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1572 |
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虎哉宗乙禅師が師となり、資福寺住職となる。 |
12月:三方ガ原の戦い。 |
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天正元 |
1573 |
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4月;武田信玄、死去(53)。 7月;織田信長、足利義昭を追い、室町幕府滅亡。 |
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天正4 |
1576 |
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2月:織田信長、安土城に移る。 |
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1577 |
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11月15日:「元服し、藤次郎政宗と名のる。 12月5日:祖父晴宗死去(59)。 |
10月:羽柴秀吉中国討伐に向かう。 |
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天正6 |
1578 |
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3月:上杉謙信、死去(49)。 |
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天正7 |
1579 |
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冬:三春城主田村清顕の息女愛姫と結婚。 |
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天正9 |
1581 |
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5月:輝宗に従い初陣。 |
8月:織田信長、高野山を討つ。 |
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天正10 |
1582 |
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4月:輝宗に従い相馬氏を討つ。 |
3月:天目山の戦い、武田氏滅亡。 6月:本能寺の変、織田信長自刃。羽柴秀吉、明智光秀(55)を討つ。 |
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天正11 |
1583 |
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2月:輝宗と共に金山・丸森両城を攻める。 |
4月:賎ヶ嶽の戦い、柴田勝家自刃。 |
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天正12 |
1584 |
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5月:相馬氏と和睦。 10月:家督を相続する。 冬:大内定綱、米沢に参向。 |
4月:小牧・長久手の戦い。 |
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天正13 |
1585 |
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4月:大内定綱、芦名氏を頼って政宗に背く。 5月:芦名氏を攻める。 8月:大内定綱を攻める。 9月:大内定綱、会津に敗走。 10月:畠山義継、降参。 10月8日:輝宗を、拉致した畠山義継とともに撃つ。輝宗死去(42)。 11月17日:人取り橋合戦、佐竹・芦名連合軍と戦う。 |
7月11日:羽柴秀吉、関白となる。 8月:羽柴秀吉、四国を平定。 |
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天正14 |
1586 |
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7月:二本松城を攻め、畠山氏敗走。 この年輝宗の菩提寺「覚範寺」建立。 |
12月:羽柴秀吉、豊臣姓を賜わる。 |
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天正15 |
1587 |
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10月:鮎貝宗信、最上義光に通じて政宗に背く。政宗これを討つ。 この年大内定綱の来降を許す。 |
3月:豊臣秀吉、九州征伐。 9月:豊臣秀吉、聚楽第完成。 |
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天正16 |
1588 |
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2月:大崎氏を攻めて大敗。 5月:田村氏をめぐり相馬義胤と争う。 6月:郡山において佐竹・芦名氏らと戦う。 7月:佐竹・芦名氏と和睦。大崎・最上氏と和睦。 |
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天正17 |
1589 |
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5月:相馬氏を攻め、駒ヶ峯城を奪う。 6月5日」磐梯山麓摺上原の合戦、芦名氏を破る。 6月11日:黒川城に入る。白河義親を家臣に加わる。 9月3日:上郡山仲為をつかわし、秀吉に芦名氏討伐の弁明をする。 10月:須賀川城を攻め、二階堂氏を滅ぼす。 11月:石川昭光、服属。岩城常隆、服属。 |
7月:豊臣秀吉、上杉・佐竹らに政宗討伐を命じる。 11月:豊臣秀吉、小田原征伐を発令。 |
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天正18 |
1590 |
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1月:豊臣秀吉から小田原参陣を命じられる。 4月:弟の小次郎を斬る。母の保春院(義姫)、最上義光を頼って、山形に走る。 5月:小田原に向かう。 6月:浅野長政らに問責される。秀吉に謁する。 7月:黒川城を明け渡し、米沢城に帰る。 10月:大崎・葛西一揆討伐に向かう。 11月:佐沼城の木村吉清父子を救出。 |
4月:豊臣秀吉、小田原城を包囲。 7月:小田原城落城。岩城常隆、死去(24) 8月:豊臣秀吉、奥羽仕置を発令。徳川家康、江戸城に入る。 10月:大崎・葛西一揆勃発。 この年、豊臣秀吉による全国統一がほぼ成る。 |
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天正19 |
1591 |
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2月:入京。侍従に任ぜられ、羽柴姓を許される。 5月:米沢に帰る。 7月:大崎・葛西一揆の鎮圧のため出陣。 9月23日:岩出山城に移る。 |
2月:千利休自刃(70)。 9月:豊臣秀吉、朝鮮出兵(文録の役)を発令。 12月:豊臣秀吉、太閤となり、豊臣秀次、関白となる。 |
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文録元 |
1592 |
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1月:岩出山城を発ち、京都へ向かう。 3月:朝鮮出兵の政明軍に加わり、名護屋に出陣。 |
3月:豊臣秀吉、肥前名護屋に向かう。 |
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文録2 |
1593 |
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2月;朝鮮への出兵命じられる。 4月:釜山に上陸。 6月:晋州城を攻略。 7月:帰国途上原田宗時病没。 9月:名護屋に帰陣。後、京都に着く。 |
8月:豊臣秀吉の側室淀君が秀頼を出産。 |
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文録3 |
1594 |
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2月:豊臣秀吉の吉野観桜に随行し歌会に列席する。 |
この年、豊臣秀吉、伏見城に移る。 |
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文録4 |
1595 |
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夏:岩出山城に帰り、すぐに秀次謀反の共謀者の疑いにより上方へ向かう。 8月:大坂にて秀吉に謀反の疑いで詰問される。後、秀吉に許される。 |
7月:豊臣秀吉、秀次(28)を自刃せしむ。 8月:豊臣秀吉、秀次の一族30余人を処刑する。このなかに最上義光の息女駒姫(政宗のいとこ)が含まれる。 |
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慶長元 |
1596 |
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この年、伏見城の修築の課役をつとめる。 |
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慶長2 |
1597 |
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1月:従四位下右近衛権少将に叙任。 |
1月:豊臣秀吉、朝鮮への再出兵(慶長の役)を発令。 8月:足利義昭、死去(61)。 |
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慶長3 |
1598 |
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この年、秀吉の遺品として縞藤四郎の脇差を受ける。 |
8月18日:豊臣秀吉、死去(63) |
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慶長4 |
1599 |
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1月20日:長女の五郎八姫、徳川家康の6男松平忠輝と婚約。 |
1月:豊臣秀頼、大坂城に入る。 3月:前田利家、死去(62)。 5月:長曽我部元親、死去(62)。 |
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慶長5 |
1600 |
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7月:上杉景勝の支城「白石城」を攻略。 9月:最上氏に援軍を出し、直江兼続軍と戦わす。 10月:福島城などを攻める。 12月:仙台城の縄張りを行う。 |
5月:徳川家康、上杉討伐を発令。 9月15日:関ヶ原において徳川家康率いる東軍が石田三成率いる西軍を破る。 10月:石田三成斬首、(41)。 |
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慶長6 |
1601 |
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1月:仙台城築上に着手。 4月14日:仙台城に移る。 2月〜5月:岩出山の士民を仙台に移す。 この年、近江国に5000石の地を加増される。 |
8月:上杉景勝、米沢に転封。 |
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慶長8 |
1603 |
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2月:徳川家康、征夷大将軍となり、江戸幕府を開く。 |
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慶長10 |
1605 |
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4月:秀忠に従って参内。 |
4月:徳川秀忠、2代将軍となる。 5月:豊臣秀頼。徳川家康の上洛催促を拒否。 |
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慶長11 |
1606 |
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3月:常陸国に1万石の地を加増される。 12月24日:長女五郎八姫、松平忠輝に嫁ぐ。 この年、将軍秀忠を伊達江戸屋敷に招待する。 |
9月:江戸城増築。 |
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慶長12 |
1607 |
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1月:奉行の屋代景頼を追放。 2月:伊達(留守)政景、死去(59)。家康を伊達江戸屋敷に招待する。 8月:大崎八幡神社造営。 |
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慶長13 |
1608 |
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1月:陸奥守に任じられ、松平姓を許される。江戸を発ち、仙台へ向かう。 9月:家臣の知行割をおこなう。 |
3月:徳川家康、駿府城に隠退。 |
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慶長14 |
1609 |
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3月:松島瑞厳寺上棟式。 |
7月:オランダに貿易を許し、平戸に商館設置。 12月:有馬晴信、長崎でポルトガル船を撃沈。 |
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慶長15 |
1610 |
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2月:大内定綱、死去(65)。 この年、仙台城大広間造営。 |
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慶長16 |
1611 |
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5月:虎哉宗乙禅師死去(82)。 10月:宣教師ソテロの説教を聴き、キリシタンの布教を許す。 12月13日:嫡子虎菊丸元服、忠宗と名のる。 |
1月:島津義久、死去(79)。 4月:浅野長政、死去(65)。 6月:加藤清正、死去(50)。 |
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慶長17 |
1612 |
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3月:幕府、直轄領のキリスト教を禁止。 4月:佐竹義重、死去(66)。 |
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慶長18 |
1613 |
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9月15日:支倉常長、月ノ浦を出航。 |
1月:池田輝政、死去(59)。 4月:大久保長安、死去(65)。 12月:全国的にキリスト教禁止。 |
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慶長19 |
1614 |
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8月:後藤信康、死去(59)。 9月:支倉常長、スペイン本土に上陸。 10月:大坂冬の陣に従軍、大坂城を攻める。 12月:長男秀宗、宇和島10万石に封じられる。 |
1月:最上義光、死去(69)。 10月:大坂冬の陣。 12月:東西両軍和睦。 |
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元和元 |
1615 |
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4月:大坂夏の陣に従軍。 10月14日:片倉景綱、死去(59)。 |
4月:大坂夏の陣。 5月:大坂落城。豊臣秀頼(23)、淀君(49)自刃。 |
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元和2 |
1616 |
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2月:駿府へ徳川家康を見舞い、後事を託される。 7月:松平忠輝夫人五郎八姫、政宗のもとへもどる。 8月:横沢将監を常長の迎えとしてスペインに派遣。 |
1月:徳川家康、発病。 4月:徳川家康、死去(75)。 7月:松平忠輝、改易.。伊勢に配流。 |
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元和3 |
1617 |
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5月:日光に参詣、鉄燈籠を献上。 12月:忠宗、将軍秀忠の養女振姫と結婚。 |
2月:故徳川家康、東照大権現の神号を受ける。 |
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元和4 |
1618 |
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8月:幕府、キリスト教禁止を布告。 |
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元和5 |
1619 |
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8月:幕府、キリスト教徒60余人を京都で火刑。 12月:直江兼続、死去(60)。 |
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元和6 |
1620 |
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1月:亘理重宗、死去(69)。 6月:鈴木元信、死去(67)。 8月26日:支倉常長帰国。 |
3月:三浦按針、死去(54)。 |
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元和7 |
1621 |
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12月:織田有楽斎、死去(54)。 |
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元和8 |
1622 |
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7月:支倉常長、死去(52)。石川昭光、死去(73)。 この年、母の保春院を山形から仙台に移す。 |
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元和9 |
1623 |
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7月:母の保春院、死去(76)。 |
3月:上杉景勝、死去(69)。 7月:徳川家光、3代将軍となる。 8月:黒田長政、死去(56)。 |
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寛永元 |
1624 |
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3月:スペイン船の来航禁止。 7月:福島正則、死去(64)。ソテロ(51)、処刑される。 |
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寛永2 |
1625 |
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11月:秀忠より後事を託される。 |
4月:毛利輝元、死去(73)。 |
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寛永3 |
1626 |
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4月:山岡志摩、死去(83)。 7月:秀忠に従って参内する。 8月:従三位権中納言に叙人。 |
6月〜8月:徳川秀忠、家光、相次いで上洛、参内。 |
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寛永4 |
1627 |
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この年、若林の地に屋敷を造営。 |
4月:今井宗薫、死去(66)。 |
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寛永5 |
1628 |
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11月:若林の屋敷に隠居。 |
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寛永7 |
1630 |
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10月:藤堂高虎、死去(75)。 |
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寛永8 |
1631 |
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11月:徳川秀忠を見舞う。 |
6月:蘆名義広、死去(56)。 |
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寛永9 |
1632 |
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1月:徳川秀忠、死去(54)。 |
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寛永11 |
1634 |
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7月:家光に従って参内。 8月:近江国に5000石の地を加増される。 |
5月:長崎に出島を築き、外国人を移す。 8月:幕府、譜代大名の妻子を江戸に置かせる。 |
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寛永12 |
1635 |
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5月:幕府、日本人の海外渡航、在外日本人の帰国を厳禁(鎖国令)。相馬義胤、死去(88)。 |
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寛永13 |
1636 |
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4月20日:病をおして江戸に向かう。 5月21日:将軍家光の見舞いを受ける。 5月24日:死去。 6月4日:遺骸を仙台経ヶ峰に埋葬する。 6月23日:石田将監ら15名殉死。 |
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寛永14 |
1637 |
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10月24日:廟所瑞鳳殿の造営なる。 |
10月:島原の乱おこる。 |
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昭和20 |
1945 |
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7月10日:瑞鳳殿焼失(仙台空襲) |
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昭和49 |
1974 |
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9月:瑞鳳殿再建のため学術調査がおこなわれる。 |
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昭和51 |
1976 |
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5月24日:瑞鳳殿本殿および拝殿再建なる。(第1期工事) |
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昭和62 |
1987 |
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