梵天丸誕生 義姫は一日も早く子を授かりたいと願い、長海上人という行者に命じて出羽三山のひとつ「湯殿山」へ祈祷させた。長海は祈祷の証拠として湯殿山の湯へ浸した弊束(へいそく=祈祷のときに神に供える紙または布を切りとったもので神が宿るもの)を持ち帰り義姫へ差し出すと、早速近侍の者がその弊束を義姫の寝所の屋根に安置した。そして翌朝のこと・・・「殿、ひとつお伺いしたいことがあります」義姫は輝宗に言った。
「どうした改まって。我らは夫婦、遠慮無くなんなりと申すがよい」
「実は昨晩わたしの夢枕に白髪の老僧がおいでになりまして・・・」
「なに、老僧が参ったと申すか。してその老僧が何としたぞ」
「実はその老僧、わたしの胎内に宿を借りたいと申してきました。わたしは殿にお伺いせねばならぬと言い、老僧に一晩待っていただくよう告げました」
「なんと、老僧がそなたの身体を借りたいと申したか。それは瑞夢だ。この輝宗になんの異存があろうか。再びその老僧が現われたならば、ぜひとも許すよう申せ」
輝宗は義姫の手を取り満面の笑顔で喜んだ。
そしてその晩、義姫の枕元に再び老僧は現われた.。義姫は老僧に言った。
「殿からお許しをいただきました。どうぞわたしの身体をお借りください」
すると老僧は一片の弊束を手に取り、「ならばこの弊束を胎育したまえ」と義姫に手渡した。
そして義姫はめでたく身ごもり、永禄10年(1567)8月3日、元気な男子を出産した。
輝宗は義姫の床で静かに寝ている我が子を見ると目を潤ませて義姫に感謝した。
「でかしたぞお義、誠にようやってくれた。立派な子じゃ。これで伊達家も安泰となろう」
善良な輝宗にとって第一子が男児であったことは義姫が仏様のように見えた。しかしそんな幸せそうな輝宗を見る義姫は複雑な気持ちであった。なぜならこの男児を人質に最上へ戻る計画があったからである。しかし我が子を見る輝宗の純真さは義姫を微妙な決断に至らせた。
「最上へ戻ることはそう急ぐ必要も無いであろう。しばらくのあいだ輝宗を喜ばしておくか・・・」
翌日、輝宗は転げんばかりの勢いでなにやら筆をしたためた紙を持って義姫の寝所へやってきた。
「お義よ、我が子の名が決まったぞ。我ながらみごとな命名じゃ」
「まあ、名が決まりましたか」義姫は妻としての笑顔で答えた。
「命名、梵天丸。どうだ、みごとな名だとは思わぬか。知ってのとおり梵天とは修験道でいう弊束のこと、我が子はそなたが老僧より頂いた弊束から授かった子なればこれ以上の名は他にはあるまい」
「梵天丸ですか。なんてよい名でしょう。この子に代わってお礼申し上げます」
そう言った義姫ではあったが心中では輝宗にたいする不安感を抱かずにはいられなかった。
「武将の世子の名が梵天丸とは・・・、あの方は信心深すぎる。伊達家の当主、いや、武将として末が心配じゃ・・・。やはり最上への手筈を急がねばなるまいか・・・」
実際父の最上義守または兄の義光(よしあき)から隠密に義姫へ最上帰参の催促が幾度もあった。
そのような状況のもと義姫は輝宗の一途な愛情に身をまかせている自分が女性としての幸福感に満たされていることに気付いていたため、なかなか決断できないでいたのである。
梵天丸が生まれたこの年、中央では織田信長が美濃の斎藤龍興を攻め、稲葉山城を落とし、天下を睨みはじめていた。この時信長34歳、秀吉32歳、家康26歳である。
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